明治43年(1910)4月9日旧尾張
藩士中村修・丹羽精五郎を発起人に丹羽忠
道の文章で綴られ、櫓台に建てられた石碑
です。
題字『忠義を表す』は最後の将軍徳川慶
喜の書であり、徳川家康への忠義を表すと
いう意味です。小牧・長久手の合戦は徳川
家康が天下を取るにおいて重要な戦いでし
た。岩崎城が徳川方の城として戦い、全員
討死したことを家康に対する忠義の表れと
いう意味で使用したと思われます。岩崎村
の人々により有志で建てられました。また
裏面には岩崎城の戦いで亡くなった戦士4
0名と無名騎士60名・足軽約60名・弓
手38名・城下の商工業者30名の名前が
刻まれています。
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