『長久手征伐記』(1709年 赤林信獅)に この石碑付近の様子を「御座の間」(殿様の いた所)とする記述が見られ、この頃から立 石があったと考えられます。 明治39年頃、このあたりで火の玉が目撃さ れ、岩崎城で討ち死にした兵たちがまだ成仏 できていないと地元住民の間で噂されるよう になりました。 そこで、明治40(1907)年に妙仙寺の隆城 和尚が職人に頼んで立石に文字を刻み込み、 供養しました。 それ以降、落城の日である4月9日に慰霊祭 が行われるようになり、現在も続けられてい ます。
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