岩崎城築城当初から水堀ではなく空堀
でした。発掘調査から築城初期(15世
紀末〜16世紀前葉)の段階では薬研堀※1
が掘り込まれていましたことが分かって
います。その後16世紀半ばに入り、城
の防御機能の強化が必要となってくると
大規模な土塁の改修が行われ土塁の沿線
上に櫓台が設けられました。
それとともに、薬研堀がより防御機能
の高い箱堀※2に改築されました。
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現在もその遺構が残されており、当時
の様子が伺えます。櫓台から遊歩道が続
いておりますので、一部の空掘の中を散
歩することができます。
空堀内部へ続く道を歩き、下から見上
げることで堀の深さと防御機能を実感す
ることができるのではないでしょうか。
奥に見えるのが土橋です。
※1薬研堀
V字形になった底の浅い堀。
※2箱堀
両岸を切立にして箱のように
作った堀。
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