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妙仙寺
 天文六年(1537)、岩崎城主・丹羽氏清が本郷から岩崎へ城を移した際、当時折戸町にあった長松寺を菩提寺として一緒に移し、来鳳一覆を請して永禄七年に寺号を改めたのが始まりです。

 寛政五年(1793)に再建された山門は三間一戸の楼門(二階造りの門)で、天井には格間に赤穂四拾七士が描かれており、「臥龍の松」とともに市の指定文化財になっています。
妙仙寺 臥龍の松
6.7mm幹廻り 約2.5m枝張 (東西) 約11.5m(南北)約12.3

 黒松の中では市内で唯一の巨木であり、その美しい姿と、歴史的環境に育まれた銘木として天然記念物に指定されました。樹木医の診断ではこの松が境内に植樹(あるいは自生)されたのは妙仙寺が建立された室町時代後期までさかのぼると思われ、樹齢は約400年を超えると推定されます。

 「臥龍の松」という名称は、幹や枝の張り具合が、まるで龍が臥して体をかがめているように見えることから名付けられたようです。
慈眼寺
 慶長十五(1610)年創建の曹洞宗のお寺で、通称「岩崎観音」。本尊は千手千眼観世音菩薩で、恵心僧都の作と伝えられています。
 
 この観音様は、岩崎城主・丹羽氏清が天文七(1538)年に守本尊として京都の清水寺より勧請し、城内にお堂を建てて祀ったものと言われており、尾張城東三十三観音の第二番札所でもあります。
岩崎御嶽社
万延元年(1860)明心行者・明寛行者の二人が、夢のお告げにより木曾の御嶽大神を岩崎に勧請したのが始まりです。春・秋の大祭などには地元の信者を始め、名古屋などからも多くの参詣者が訪れます。
 
 御嶽山には御岳信仰の各講社や教会によって、たくさんの霊神碑や像などが建てられています。
大応寺
創建年代は不詳ですが、正保二(1645)に赤池町から移転しました。浄土宗のお寺で、岩崎御嶽山の開山・明覚行者を祀っている行者堂をはじめ、鎮守金毘羅社や薬師堂・子安観音堂などがあります。

 また境内には、お釈迦様の弟子である羅漢の像があり、その姿は苦痛に耐えたり、悟りを開いたよろこびに浸っていたり実に写実的で興味深いです。
白山宮
 鎮座年代は不明ですが、境内に古墳が確認されているので創祀も古い年代に求めることができると考えられます。「寛文覚書」によると本宮は本郷・藤島・藤枝・岩崎村四村の氏神とあり、寛文13年(1673)に建立された石鳥居が今も残っています。

 この鳥居は文献から石工の名や石材が太郎廻(現豊田市内)から切り出されたものであることがわかっており、春日鳥居の特徴を備えています。
白山第一号古墳
 平野部に孤立した丘陵の斜面(南側)下手に位置する直径約14mの円墳で、崩壊が進んだ状態にありましたが、昭和55年に発掘調査が行われ金環・鉄製の直刀・装飾須恵器等が出土しました。これら出土品は現在岩崎城歴史記念館にて展示されています。

 その後周辺地域に分布する同時期の群集墳を参考に、横穴式石室の一部が復元され、一般に公開されています。なお現在の所市内では弥生時代以前の遺跡は発見されておらずこの古墳がもっとも古い遺跡です。
香久山古窯(岩崎45号窯)
 名古屋市東方の丘陵地帯、約20km四方には、1000基を超えると言われる猿投山西南録古窯跡群(猿投窯)が分布しており、この窯跡もその中の一つ・平安時代(9世紀頃)のものです。

 昭和57年、株山地区土地区画整理事業に伴う事前発掘調査により、その遺構が天井部を除きほぼ完全に窯体が残存している事が判明しました。現在は保護覆屋を設置し一般に公開されています。全長8m、幅約2m 分焔柱を有する
窖窯(あながま)で丘陵斜面東側に築かれています。

詳しくはコチラまで→日進市ホームページ
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岩崎城歴史記念館
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開館時間  
9:00〜17:00
(入館は16:30)

休館日 
月曜日(祝日の場合は開館)
12月28日から1月4日

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愛知県日進市岩崎町市場67

tel      
0561-73-8825

fax      
0561-74-0046

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