岩崎城岩崎城こどものぺーじ    お問い合わせ  お問い合わせ
 こんにちは!ぼくはにわさきくん。     
 ここでは、ぼくの守っている岩崎城のお話をするよ。

 岩崎城は日進市(にっしんし)戦国(せんごく)時代(じだい)のようすを(いま)伝える(つた  )貴重(きちょう)遺跡(いせき)だよ。
 本丸跡(ほんまるあと)には六世紀(ろくせいき)古墳(こふん)発見(はっけん)されていて、この土地有力者(ゆうりょくしゃ)にとって古く(ふる )から重要な場所だったことがわかるよ。

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 昔、愛知県は尾張と三河にわかれていたのを知っていますか?室町(むろまち)時代末(じだいまつ)始まる(はじ   )考えられて(かんが     )いる岩崎城(いわさきじょう)尾張国(おわりのくに)の東の(はし)にあって、国境(こっきょう)(ちか)くを守る(まも )織田(おだ)信秀(のぶひで)信長(のぶなが)(ちち))の支城(しじょう)(たくさんある国を守るためのお城の一つ)でした。岩崎(いわさき)尾張(おわり)三河(みかわ)のあいだを行き来(いき き)する街道(かいどう)(大きな道路)が通る重要な場所(じゅうよう  ばしょ)でもあって、岩崎城の城下(じょうか)は今でも「市場(いちば)」という地名(ちめい)(のこ)っていることからもわかるように、交易(こうえき)()として栄え(さか  )ていたものと(おも)われます。              

岩崎城の築城(ちくじょう)年代(ねんだい)ははっきりしていませんが、尾張をおさめていた織田(おだ)信秀(のぶひで)により築城(ちくじょう)され、その部下(ぶか)荒川(あらかわ)頼宗(よりむね)が守っていたとされます。しかし、享禄二(きょうろくに)(1529)(ねん)三河国(みかわのくに)松平清(まつだいらきよ)(やす)家康(いえやす)のおじいさん)に尾張(おわり)攻略(こうりゃく)足がかり(あし    )として攻め落(せ お)とされてしまいました。そのあと清康(きよやす)は、「守山(もりやま)崩れ」という事件によって死去(しきょ)(死んでしまうこと)し、岩崎城からも撤退してしまいます。          


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 その後、岩崎城(いわさきじょう)は尾張・三河の両勢力(りょうせいりょく)対立(たいりつ)した状態(じょうたい)のまま、どちらの勢力も手にすることはありませんでしたが、天文(てんもん)年間(ねんかん)のころ、この地方(ちほう)土豪(どごう)(土地の権力者)であった丹羽(にわ)氏清(うじきよ)のものとなりました。それから四代(よんだい)(やく)60年間(   ねんかん))の間、岩崎城は丹羽氏の居城(きょじょう)となりました。

   天正(てんしょう)十二年(じゅうにねん)(1584)、羽柴(はしば)(のちの豊臣(とよとみ)秀吉(ひでよし)徳川(とくがわ)家康(いえやす)織田(おだ)信雄(のぶかつ)連合軍(れんごうぐん)戦った(たたか   )小牧(こまき)長久手(ながくて)戦い(たたか )では、丹羽(にわ)()家康・信雄軍(いえやす・のぶかつぐん)属し(ぞく )ました。このとき、犬山(いぬやま)方面(ほうめん)から岡崎(おかざき)を目指した羽柴方(はしばかた)(ぐん)の通り道となった岩崎城は、それを阻止(そし)しようとして落城(らくじょう)してしまいます(これを「岩崎城の戦い」といいます)。一族(いちぞく)犠牲(ぎせい)にしながらも戦功(せんこう)をたてた丹羽氏は、徳川(とくがわ)()認められて(みと     )いきました。慶長(けいちょう)五年(ごねん)(1600)、関ヶ原(せきがはら)戦い(たたか )参戦後(さんせんご)丹羽(にわ)()地方(ちほう)土豪(どごう)階級(かいきゅう)から一万石(いちまんごく)大名(だいみょう)へと昇格(しょうかく)(しろ)三河国(みかわこく)伊保(いぼ)現・豊田市(げん・とよたし))へと(うつ)ります。
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 丹羽(にわ)()移動(いどう)によって岩崎城(いわさきじょう)廃城(はいじょう)(誰も使わなくなること)となり、それ以降(   いこう)城跡(しろあと)竹やぶ(たけ   )など雑林(ざつりん)(おお)われます。木や草に覆われたことで守られた遺構(いこう)(お城のあと)は、あまり(くず )れることなく現代にまで残りました。昭和(しょうわ)六十二年(ろくじゅうにねん)地元(じもと)住民(じゅうみん)寄付(きふ)により、いまの岩崎城(いわさきじょう)建設(けんせつ)城祉(じょうし)公園(こうえん)として整備(せいび)されます。
 岩崎(いわさき)(じょう)は、中世(ちゅうせい)城郭(じょうかく)特徴(とくちょう)である土塁(どるい)空堀(からぼり)を良く(のこ)しています。日進市のあたり一帯(いったい)勢力(せいりょく)範囲(はんい)としていた土地の権力者(けんりょくしゃ)丹羽(にわ)()の歴史を今に伝えるとともに、日本史上重要(じゅうよう)出来事(できごと)として記憶(きおく)される「小牧(こまき)長久手(ながくて)(たたか)い」ではその勝敗(しょうはい)を左右する戦略(せんりゃく)地点(ちてん)としての役割(やくわり)を果たしたという事績(じせき)を残す、大切な歴史的(れきしてき)遺産(いさん)です。

 いま、岩崎(いわさき)城跡(じょうあと)は、日進市や岩崎城の歴史を伝える「岩崎(いわさき)城祉(じょうし)公園(こうえん)」として市民(しみん)のいこいの()となっているんだよ。
 みんな何気なく(なにげなく)散歩(さんぽ)しているけれど、実は(じつ )空堀(からぼり)土塁(どるい)などのお城の土台のあとが、お城があったころのままでのこされているんだ!()っていたかな?          
 お城のあとがどこかわからないときは、岩崎城(いわさきじょう)歴史(れきし)記念館(きねんかん)聞いて(き  )みてね。戦国(せんごく)時代(じだい)岩崎城(いわさきじょう)のようすがのこっている場所へ案内(あんない)するよ
!          
 


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かんりしゃ
管理者

いわさきじょうれきしきねんかん
岩崎城歴史記念館

指定管理者アクティオ株式会社


かいかんじかん

開館時間
9:00〜17:00(入館は16:30)

にゅうじょうりょう
入場料
無料(むりょう)

おやすみ
月曜日(祝日の場合は開館)
12月28日から1月4日

じゅうしょ
住所
愛知県日進市岩崎町市場67

でんわ
電話
0561-73-8825

ふぁっくす
FAX      
0561-74-0046

 
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