岩崎城の築城(ちくじょう)年代(ねんだい)ははっきりしていませんが、尾張をおさめていた織田(おだ)信秀(のぶひで)により築城(ちくじょう)され、その部下(ぶか)の荒川(あらかわ)頼宗(よりむね)が守っていたとされます。しかし、享禄二(きょうろくに)(1529)年(ねん)三河国(みかわのくに)・松平清(まつだいらきよ)康(やす)(家康(いえやす)のおじいさん)に尾張(おわり)攻略(こうりゃく)の足がかり(あし )として攻め落(せ お)とされてしまいました。そのあと清康(きよやす)は、「守山(もりやま)崩れ」という事件によって死去(しきょ)(死んでしまうこと)し、岩崎城からも撤退してしまいます。
その後、岩崎城(いわさきじょう)は尾張・三河の両勢力(りょうせいりょく)が対立(たいりつ)した状態(じょうたい)のまま、どちらの勢力も手にすることはありませんでしたが、天文(てんもん)年間(ねんかん)のころ、この地方(ちほう)の土豪(どごう)(土地の権力者)であった丹羽(にわ)氏清(うじきよ)のものとなりました。それから四代(よんだい)(約(やく)60年間( ねんかん))の間、岩崎城は丹羽氏の居城(きょじょう)となりました。
いま、岩崎(いわさき)城跡(じょうあと)は、日進市や岩崎城の歴史を伝える「岩崎(いわさき)城祉(じょうし)公園(こうえん)」として市民(しみん)のいこいの場(ば)となっているんだよ。 みんな何気なく(なにげなく)散歩(さんぽ)しているけれど、実は(じつ )空堀(からぼり)や土塁(どるい)などのお城の土台のあとが、お城があったころのままでのこされているんだ!知(し)っていたかな? お城のあとがどこかわからないときは、岩崎城(いわさきじょう)歴史(れきし)記念館(きねんかん)で聞いて(き )みてね。戦国(せんごく)時代(じだい)の岩崎城(いわさきじょう)のようすがのこっている場所へ案内(あんない)するよ!
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