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                こよう
にっしんの古窯
 こんにちは。わたしは「ことひめ」。岩崎城の「水琴窟(すいきんくつ)」に()んでいるのよ。
 ここでは、岩崎城(いわさきじょう)がある日進市(にっしんし)や、愛知県(あいちけん)でたくさん見つかっている、(ふる)窯跡(かまあと)のお話をするわね。
  にっしんにある窯跡では、昔、土をお(さら)つぼ(・・)などのかたちにしたものを焼いて、「やきもの」をつくっていました。
 岩崎城の近くにも、「香久山(かぐやま)古窯(こよう)」という古い窯跡が残っています。この(かま)のあとを調べたとき、昔焼いたお皿などの残りや、陶器の印鑑(いんかん)も出てきました。
 香久山古窯を(ふく)めた古い(かま)の集まりは、「猿投窯(さなげよう)」と呼ばれ、昔はここで作られたやきものが色々な場所へ(はこ)ばれていました。

 
猿投窯(さなげよう)
 愛知県ではたくさんの窯跡(かまあと)が見つかっています。なかには、窯跡が一つの地域にたくさんあつまっている場所がもあります。その場所は猿投山(さなげやま)の西南の方向の山麓(さんろく)(山のふもとのこと)を中心にひろがっていることから、猿投山(さなげやま)西南麓(せいなんろく)古窯跡群(こようせきぐん)(猿投窯(さなげよう))と呼ばれています。
 窯は古墳(こふん)時代から奈良(なら)平安(へいあん)鎌倉(かまくら)室町(むろまち)時代初めまで約900年にわたって作られ、(かま)の数は一千基(いっせんき)()えるとかんがえられています。窯ではたくさんの「やきもの」が焼かれました。
※窯は「一()」「二基」と数えます。
 
 猿投窯ができたころには、まだやきものを作る技術(ぎじゅつ)発達(はったつ)していませんでした。猿投窯では長い時間をかけてやきものをつくる技術も()()されました。平安時代(へいあんじだい)以降(いこう)、猿投窯の技術が(ほか)地域(ちいき)にひろがり、愛知県の瀬戸(せと)常滑(とこなめ)などでやきものの産地(さんち)誕生(たんじょう)したのです。
 瀬戸には陶器(とうき)に色をつける「釉薬(ゆうやく)」の技術が伝えられました。常滑にはかめ(・・)土管(どかん)などの大きいものをつくる技術が伝えられました。
 技術が伝えられた場所では、それぞれ独自(どくじ)の技術がみがかれ、今も(のこ)有名(ゆうめい)なやきものの産地となっていきました。
 
 
やきものはどこで使われた?
  奈良時代や平安時代には、猿投窯でつくられたやきものは税金(ぜいきん)として国へ(おさ)められたり、市場で売買(ばいばい)される商品として(みやこ)に運ばれたりしていました。
 奈良時代の(みやこ)平城京(へいじょうきょう)跡、平安時代の(みやこ)平安京(へいあんきょう)跡からは猿投窯製品(せいひん)がたくさん出土(しゅつど)し、当時の(みやこ)で猿投窯のやきものが使われていたことがわかりました。
    猿投窯で作られた製品は、(みやこ)以外にも東北(とうほく)地方(ちほう)から九州(きゅうしゅう)まで、日本の色々な場所で出土(しゅつど)しており、神社や寺、有力者の家の(あと)などから多く見つかっています。このことから、高級品(こうきゅうひん)として人気があり、全国に流通(りゅうつう)していたと考えられています。
 猿投古窯のなかからもたくさんの出土品(しゅつどひん)がみつかって、昔の人たちがどんなやきものを作っていたかを知ることができます。

 猿投窯のとくちょう
  猿投窯(さなげよう)で多く作られたやきもののなかに「灰釉陶器(かいゆうとうき)」があります。「灰釉(かいゆう)」というのは釉薬(ゆうやく)のひとつで、植物の(はい)(どろ)()ぜて作ります。それを粘土(ねんど)で作ったうつわにぬって焼いたものが灰釉陶器です。
 やきものを高い温度で焼くと、釉薬が(ねつ)でとけて表面(ひょうめん)に緑色のガラスのような(まく)ができます。

※「釉薬(ゆうやく)」・・・やきものを焼く前にぬるもの。表面にぬって焼くことで、やきものにつやつやしたガラスのような膜ができたり、色が付いたりします。「うわぐすり」ともいいます。

 この灰釉陶器は、じつはつくるのが(むずか)しいものでした。(かま)の中の温度(おんど)(たか)すぎても(ひく)すぎてもきれいな(いろ)が出ません。猿投窯(さなげよう)が使われていたころの窯は、中の温度をずっと同じにし(つづ)けることができなかったため、焼きムラができてしまうこともありました。
 量産(りょうさん)することができず、つくるのに手間(てま)がかかるため、綺麗(きれい)にできあがった灰釉陶器は高級品(こうきゅうひん)と考えられ、身分の高い人たちのあいだで人気がありました。
 
 猿投窯でつくられたやきものは、いろいろな場所に運ばれて使われました。綺麗にできたものは他の場所で売ってしまうので、窯跡(かまあと)から完成品はあまりみつかりません。発掘(はっくつ)をしたときに窯で発見されたやきものもありますが、ほとんどは()れていたり、釉薬がうまくついていない失敗作(しっぱいさく)でした。
 岩崎城歴史記念館では、割れてしまったやきものも展示(てんじ)しています。もとはどんな(かたち)だったのか考えながら見てみましょう。

    この地域(ちいき)にあった、たくさんの窯跡(かまあと)をぜんぶあわせて「猿投窯(さなげよう)」といいます。猿投窯のひとつから出土(しゅつど)(発掘(はっくつ)をして出てくること)した灰釉陶器(かいゆうとうき)(つぼ)のふたや、割れたうつわが岩崎城歴史記念館に展示してあります。
 昔の人も見ていた色を、実際(じっさい)に自分の目で見ることができます。ほかにも、昔の人のことを知ることができるいろいろな展示品があるので、遊びに来てくれたらうれしいです。

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