Normandy1


             北フランスに対する連合軍の侵攻が遅くとも1944年の夏までに行わ
             れることは早くから予測されており、これを阻止するためには強力
             な爆撃機部隊で上陸部隊と輸送船団を攻撃する必要があると考えら
             れていました。対応策の第一弾として、1943年9月4日にイタリー戦線
             からD.PertzがIX.Fliegerkorpsの指揮官としてLfl3に転属となり、
             爆撃部隊の再整備にとりかかりました。

             実際の戦力増強の動きとしは、KG6、KG54,I/KG51等が彼の配下に
             集められ1943年12月にJu88、Ju188、Do217を中心に約550機の戦
             力に達しました。しかし経験のある乗務員が多く失われており、
             攻撃力は大きなものではありませんでした。
             1944年1月21日から部隊は英国に対する報復爆撃である
             Unternehmen Steinbockに参加して、D-dayの時点で機数が減少
             していました。@

             更に、1943年末に地中海戦線での対地攻撃の経験を買われて
             A.Buelowiusが指揮するII.Fliegerkorps が北フランスに移動しま
             した。この部隊が実際に保有していたのはイタリアにいたIII./SKG
             10を改組したIII./SG4の約70機の戦闘爆撃機だけでした。しかし
             連合軍上陸の際に各地から戦闘機部隊を集結させて戦闘爆撃機と
             して使用するDr. Gustav Wilhelmsa作戦構想が進められており、そ
             の際の作戦指揮の中核となることが予定されていました。A
             
             次に上陸に対する反撃部隊が行動するための航空基地の整備が
             問題となりました。飛行場が最も充実していたのはParis以東から
             ベルギーオランダに至る地域で、Battle of Britain以来の爆撃機
             の運用に適した基地が残されていました。これを更に強固なものと
             する為に1943年秋に北フランスに拠点基地を増設して、これ
             らが共同して作戦行動を執るべくLuftwaffe要塞と呼ばれる構想が
             作られ、Goeringは1943年10月20日に建築開始命令を出しました。
             しかしLfl3がこの構想に対して以下の反対意見を挙げて抵抗しま
             した。

             1.他の飛行場の修理や建設ができなくなる。
             (要は建築資材と労働力の不足)
             2.いくつかの飛行場に戦力が集中するが、その結果航続力の
              小さい戦闘機は全部の戦線をカバーできなくなる。
             3.連合軍の集中爆撃による被害を受けやすい。

             Lfl3は自らの主張に基づき飛行場整備に関して以下の方針
             に基づいて整備を進めようとしました。

             1.少数の要塞化した飛行場でなく多数の分散した飛行場を運用する。
             2.現在有る飛行場の改良を進める。また連合軍の攻撃を防止する為
              、新しい飛行場は内陸部に作る。
             3.飛行場の運用に直接必要な施設以外は付近の集落に分散する。
              病院、通信設備(飛行場とはケーブルで繋ぐ)、対空砲火、
              補給施設、スタッフ施設、自動車とその運用施設、飛行場防衛の
              地上部隊と施設等
             
             しかし不合理なことに陸軍が連合軍の空挺による飛行場の占拠を
             警戒して、海岸線近くの防衛部隊の配備ができない飛行場の破壊を
             主張してこれが容れられることとなり、多くの飛行場を自ら使用
             不能にして行きました。その結果D-day以降、戦闘爆撃機は
             航続力一杯の行動を強いられ、戦果が上らない原因となりました。

             また1944年の初めまでLfl3の司令官の多くが連合軍の空軍力の威
             力を理解しておらず、新たに加わったII.Fliegerkorpsのメンバー
             としばしば対立しました。従って新規飛行場における十分な
             施設の整備と分散が進まず、地図に記載された飛行場が実際
             には使えないという事態が起きていました。その結果
             、上陸後、フランスに増強された戦闘機隊が飛行場を発見できず、
             大きな損害をを発生することになりました。B
             Galland interview

             一方連合軍側では上陸作戦の構想が次第に固まって行きました。
             具体的な目標設定について、1944年3月迄関係者で議論が交わされ
             ましたが(oil offensive1)、1944年4月に入ると、米英
             両国の空軍部隊は、上陸作戦支援を意識した行動を開始しま
             した。最初に作戦を明確に切り替えたのはRAF Bomber Commandで、
             1944年3月30/31日のNurenberg爆撃で95機と言う記録的な損害を
             被った直後、4月9/10日から目標をFranceとBelgiumの物資集積場と
             鉄道網爆撃に切り替えました。また、米空軍は1944年4月13日から
             上陸地域の爆撃を開始しました。

             しかし、連合側空軍の作戦転換のマイルストーンは
             、1944年4月14日にAEAFの全体の指揮権がA.Tedderに移行した翌
             15日の上陸作戦全体計画の発令と言えます。

             ここで空軍の任務が以下のように規定されました。
             a.Luftwaffeが連合軍の作戦を効果的に妨害できないような空中の
              状態を維持すること。
             b.ドイツ軍の配備と移動に関する偵察を継続すること。
             c.空からの攻撃によってドイツ軍の交通手段と補給ルートを破壊
              すること。
             d.連合軍陸軍の上陸とその後の前進を支援すること。
             e.ドイツ海軍に対して攻撃を加えること。
             f.空挺部隊を輸送すること。C

             加えてドイツの軍需工場の攻撃、V兵器発射施設の爆撃、
             を同時に進める必要が有り、AEAFは圧倒的に優勢な戦力を有する
             とは言え、複雑なmissionを抱えた訳です。
             更にoil offensiveはSpaatz自身の提案なので、第8空軍がmanage
             manageする必要がありました。
             上陸後の作戦分担に関して、その後、連日第8空軍、第9空軍、
             RAF Bomber Commandの代表による調整が開始され、これは5月末
             まで連日続きました。
             
             下に4月の米英空軍のFrance地域に対して実施された主要爆撃
             作戦を整理します。

米空軍1944年4月フランス爆撃
  
日付 目標 参加爆撃機 損失 備考
4/5 8 V兵器施設 四発機 21機 0
4/10 8 V兵器施設 四発機 166機 1
4/13 9 Normandy地域独軍施設 双発機 566機
上陸予定地域初爆撃
4/17 8 V兵器施設 四発機 14機 0
4/18 9 Calais地域独軍施設 双発機 277機

4/19 8 V兵器施設 四発機 27機 1 pathfinding機器テスト
4/20 8 Calais,Cherbourg地域独軍施設 四発機 842機 9
4/20 9 V兵器施設、Poix地域飛行場 双発機 400機

4/21 9 V兵器施設、Abbeville地域独軍施設 双発機 270機 4
4/22 9 V兵器施設  双発機 400機

4/23 9 V兵器施設、Calais地域独軍施設 双発機 263機

4/25 8 Metz/Frescati、Nancy/Essay、Dijon/Longvic地域飛行場 四発機 261機 2
4/27 8 V兵器施設 四発機 476機 4 悪天候の為ドイツ爆撃から目標変更
4/27 8 Nancy/Essay地域飛行場、操車場 四発機 353機 2
4/27 9 France,Belgium沿岸独軍施設 双発機 450機

4/28 8 Avord地域飛行場 四発機 116機 2
4/28 8 V兵器施設 四発機 106機 2
4/28 9 北フランス操車場、Cormeilles-en-Vexin地域飛行場 双発機 266機

4/29 9 北フランス操車場 双発機 217機

4/29 15 Toulon港 四発機 532機 0
4/30 8 Lyon/Bron、Clermont-Ferrand/Aulnat地域飛行場、 四発機 232機 2
4/30 8 V兵器施設 四発機  52機 0
4/30 9 V兵器施設 双発機約300機


出典:E.Hammel Air war Europa
The United States Army Airforces in WorldWarII http://www.usaaf.net/


             4月前半まではV兵器施設への攻撃が中心になっています。V兵器の
             開発は連合軍の爆撃をこちらに分散させて、間接的にドイツ本土
             防空に貢献したと言う議論が有りますが、投入された資材と
             人員の為に戦闘機生産が25,000機減少したと言う分析もあり得失は
             簡単に決める事ができません。

             oil offensiveの項で触れたように当時Luftwaffeの単座戦闘機隊の
             主力はドイツ本土に配備されており、フランス地域ではSeine川
             以東を担当する4.Jagddivisionのstab,I.II.III./JG26に約110機が
             所属し、同以西を担当する5.Jagddivisionのstab,I.II.III./JG2に
             約70機が所属していました。しかしこれらもドイツ本土へ向かう
             爆撃機の迎撃任務に手をとられて、フランス地域への攻撃に
             対して十分な迎撃が行われませんでした。連合軍側は殆ど
             自由に昼間爆撃を行う事ができた訳です

             4月の爆撃実績を見ると上陸地域への攻撃が少ないと感じられます
             が、1944年4月末の時点での連合軍側の認識は以下の通りでした。

             1.自らのドイツへの爆撃によりLWの戦力を大きく削ぐことに成功
              した。
             2.LWの戦闘機の主力を本土防空任務に釘付けにすることにより
              上陸作戦実施時のLWの攻撃の脅威はかなり薄らいでいる。D

             また、Lfl3の実動戦力が実動500機程度と少なく、点在する飛行場に
             分散していることから、飛行場攻撃により直接Lwの戦力を削減する
             効果が少ないと考えられました。しかし連合軍側も飛行場が存在す
             れば上陸直後に各戦域から航空部隊を集結させて攻撃を掛けて来る
             可能性を読んでおり、上陸時点に周辺部の飛行場を破壊する事の重
             要度が高いと考えられました。
             Goeringも当時は「上陸があったなら全ての戦力を上陸地点に集中
             させて撃退する。」と公言していました。

             しかし、飛行場攻撃の効果を持続させる事の困難は、米軍自身が太
             平洋戦域で簡易的な滑走路から作戦を継続してきた事から明白でし
             た。それまで実施されたヨーロッパ地域の飛行場攻撃の経験か
             らも、午前中に滑走路に生じた爆撃孔も素早く土を盛ることによっ
             て午後には修復されて使用可能になる例が報告されていました

             そこで連合軍側は以下の方針を採用しました。
             1.Normandy地域飛行場への集中攻撃は上陸予定日の三週間前
              開始して、予定日まで継続する。
             2.上陸地域をドイツ側に悟られないように、ParisとLille地域の
              攻撃が選ばれて併行して実施する。

             結果としてCaen地域への爆撃は他地域よりも弱くなる結果となりま
             した。

英空軍 Bomber command 1944年4月フランス爆撃
  
日付 目標 参加爆撃機 損失 備考
4月5/6日 Toulouse 航空機工場 四発機 144機  1
4月9/10日 Lille物資集積所 四発機 228機  1
4月9/10日 Villeneuve-st-Georges操車場 四発機 215機  0
4月10/11日 Tours,Tergnier,Laon,Aulnoye,Ghent操車場 四発機 739機 19
4月18/19日 Rouen,Juvisy,Noisy-le-sec,Tergnier操車場 四発機 821機 14
4月20/21日 La Chpelle,Ottignie,Lens操車場 四発機 618機 11
4月22/23日 Laon操車場 四発機 169機  9
4月26/27日 Villeneuve-st-Georges操車場 四発機 203機  1
4月27/28日 Aulnoye操車場 四発機 136機  1
4月30/1日 Somain,Acheres操車場 四発機 254機  1
4月30/1日 Maitenon 弾薬集積所 四発機 116機  0

出典:M.Middlebrook & C. Everitt The Bomber Command War Diary


             RAFのフランスにおける目標は、鉄道操車場に殆ど集中していま
             す。RAFは交通網への攻撃が最も有効という自身の主張に従った
             作戦を続けていたわけです。
             フランス上空に於ける夜間戦闘機による迎撃は爆撃機の滞空
             時間が短いので困難と言われていました。4月中旬の4日間は、
             捕捉に成功して戦果を上げています。この時の迎撃の主力となった
             のは4.Jagddivisionに所属するNJG4でした。

             5月の初めになって、上陸予定地域(Caen地域)への攻撃計画が
             以下のように決められました。

             1.Caenを中心に半径130mile(約200km)の圏内をエリア1としてその
              中に有る40箇所の飛行場の攻撃RAF8箇所、第9空軍12箇所、第8空軍
              20箇所の分担で攻撃する。
             2.半径130mile以遠350mile(約460km)のオランダからドイツ本土
              に及ぶ圏内をエリア2としてその中に有る59箇所の飛行場を第8
              空軍と15空軍が攻撃を担当する。

             しかし連合軍も悪天候と他にも多くの攻撃目標を抱えていて、計画
             された全ての目標の攻撃は実現しませんでした。例えばエリア1の
             第8空軍担当の40箇所の内、D-dayまでに攻撃されたのは32箇所であ
             り、完全に破壊されたのはその内の4箇所でした。

             またエリア2に関しては攻撃の回数を更に減らさざるを得ず、苦しい
             懐具合となっていましたが、爆撃機の機数の不足を補ったのは戦闘爆
             撃機の活動で、制空権を保持しつつ同時に地上への攻撃を行い、
             ドイツ側の動きを制しました。E

             下の地図にフランス地域の主要航空基地を示します。





             連合軍側の爆撃は飛行場の完全破壊には至らなかったものの、
             交通網の破壊や、制空権の把握の効果と併せてLwの移動や作戦を
             大きく妨害して、上陸作戦の成功に大きく貢献しました。

             下の1944年5月、6月の米軍爆撃機による主要爆撃作戦の表中にエリ
             ア1への攻撃に該当する部分を色分けしてあります。
                          
米空軍1944年5月,6月フランス爆撃
 
日付 目標 参加爆撃機 損失 備考
5/1 8 V兵器施設,Montdidier,Poix,Roye/Amy飛行場 四発機 130機 0 400機が悪天候の為爆撃中止
5/1 8 Reims,Troyes,Metz,Saarguemines操車場 四発機 235機 3
5/1 9 フランス、ベルギー操車場 双発機 450機

5/2 8 V兵器施設 四発機 50機 0
5/2 9 Busigny, Valenciennes,Blanc-Misseron操車場 双発機 210機

5/3 8 V兵器施設 四発機 47機 0
5/4 9 Etretat/Sainte-Marie-Au- Bosc, Etaples,Le Treport,Ault,Fecamp他軍事施設 双発機 170機 0
5/5 8 V兵器施設 四発機 33機

5/6 8 V兵器施設 四発機 168機 4
5/7 9 双発機、戦闘爆撃機による上陸予定地域付近鉄道橋梁への爆撃開始


5/8 8 V兵器施設  四発機 92機 5
5/8 9 Meuse川流域橋梁,Oissel(Seine川)橋梁、飛行場 双発機 450機

5/9 8 Thionville操車場、飛行場 St.Dizier/Robinson飛行場 四発機 149機 0
5/9 8 Juvincourt,Laon/Athies,Lille/Vendeville,Laon/Vendeville飛行場他 四発機 295機 2
5/9 9 V兵器施設 双発機  40機

5/10 9 フランス、ベルギー操車場、飛行場 双発機 300機
悪天候の為攻撃困難
5/11 8 Belfort,Epineal,Mulhouse操車場他 四発機 294機 5
5/11 8 Chaumont操車場 四発機  70機 3 悪天候の為攻撃できず
5/11 9 Caen地区飛行場 双発機 300機

5/12 9 沿岸軍事施設、V兵器施設 双発機 450機
悪天候の為攻撃困難
5/13 9 沿岸軍事施設、V兵器施設 双発機 300機

5/15 8 V兵器施設 四発機 128機 0
5/15 9 Somian,Creil操車場、Evreux,fauville飛行場 双発機  45機 0 悪天候の為255機が爆撃中止
5/19 9 沿岸軍事施設 双発機 300機
悪天候の為100機が爆撃中止
5/20 8 Paris/Orly空港、Villacoublay飛行場 四発機 163機 0
5/20 8 Reims/Champagne飛行場、操車場 四発機 125機 0 悪天候の為271機が爆撃中止
5/20 9 沿岸軍事施設、飛行場、V兵器施設 双発機 200機
悪天候の為250機が爆撃中止
5/21 8 V兵器施設 四発機 124機 0
5/22 8 V兵器施設 四発機  94機 0
5/22 9 Calais、Cherbourg、Paris付近飛行場 双発機 330機

5/23 8 Chaumont,Epinal,Metz操車場,Avord,Bourges,Chateaudun,Etampes/Mondesir他飛行場 四発機 1045機 3 フランス最大爆撃
5/24 8 Crei,Melen,Poix 飛行場、Paris/Orly空港 四発機 400機 0
5/24 9 V兵器施設 双発機 450機

5/25 8 Fecamp、St-Valery付近独軍施設、飛行場 四発機 325機 4
5/25 15 Toulon,Lyon操車場 四発機 340機

5/26 15 St-Etienne,Chambery,Grenoble,Lyon,Nice操車場他 四発機 700機

5/26 9 Beauimont-le-Roger,Chartres,飛行場、Poissey,Vernon橋梁 双発機 400機

5/27 8 Fecamp,St.-Valery砲台,Strasbourg軍需工場、操車場,Woippy飛行場 四発機 207機 0
5/27 8 St.-Valery砲台 四発機 18機 0
5/27 9 北部操車場、鉄道、橋梁 双発機 590機

5/27 15 Montpellier,Salon-de-Provence飛行場,Avignon,他飛行場 四発機 700機 0
5/28 9 北部鉄橋,操車場,V兵器施設 双発機

5/29 9 北部鉄橋,操車場,V兵器施設 双発機

5/30 8 CalaisV兵器施設,Reims,Troyes操車場 四発機 200機 0
5/30 9 Denain/Prouvy,Mantes/Limay飛行場,Meulan,Rouen道路橋梁 双発機 320機

5/31 8 Luxeuli操車場 四発機 36機 0 悪天候の為491機が爆撃中止
5/31 9 Bennecourt,Courcelles-sur-Seine,Rouen道路橋梁 双発機 200機

6/1 9 北部飛行場群 双発機 100機

6/2 8 V兵器施設 四発機 805機 0
6/2 8 Paris地域鉄道網 四発機 163機 0
6/2 8 Beaumont-sur-oise,Caen/Carpiquet,Conches飛行場 四発機  62機 2
6/2 8 Bretigny.Creil,Villeneuve飛行場 四発機  74機 5
6/2 9 V兵器施設 双発機 350機

6/3 8 Calais地区沿岸防衛施設 四発機 339機 0
6/3 8 同上 四発機 195機 0
6/3 9 北フランス交通網 双発機 250機

6/4 8 Calais地区沿岸防衛施設 四発機 234機 0 Overlord24時間延期
6/4 8 Calais地区沿岸防衛施設 四発機 275機 0
6/4 8 Melun橋梁,Avord,Bourges,Bretigny,Romorantin/Prunieres飛行場 四発機 214機 0
6/4 8 Massey/ Palaiseau,Versailles/Metelots,Villeneuve/St George鉄道橋梁 四発機 180機 0
6/4 9 橋梁、沿岸防衛施設 双発機 300機

6/5 8 Boulogne,Caen,Cherbourg,Le Havre沿岸防衛施設 四発機 626機 6
6/5 9 沿岸防衛施設 双発機 100機



end



             

英空軍 Bomber command 1944年5月。6月フランス爆撃

  
日付 目標 参加爆撃機 損失 備考
5月1/2日 Toulose航空機工場 四発機 131機  0
5月1/2日 St-Ghislain操車場 四発機 129機  2
5月1/2日 Malines機関車車庫 四発機 124機  1
5月1/2日 Chambly機関車修理工場 四発機 112機  5
5月1/2日 Lyons自動車工場 四発機  75機  0
5月1/2日 Tours飛行機修理工場 四発機  46機  0
5月3/4日 Mailly-Le-Camp独軍施設 四発機 346機 42
5月3/4日 Montidier飛行場 四発機  84機  4
5月6/7日 Mantes-La-Jolie操車場 四発機 141機  3
5月6/7日 Sable-sur-Sarthe弾薬庫 四発機  64機  0
5月6/7日 Aubigne弾薬庫 四発機  52機  1
5月7/8日 Nantes飛行場 四発機  96機  1
5月7/8日 St-Valery砲兵施設 四発機  56機  0
5月7/8日 Salbris弾薬庫 四発機  58機  7
5月7/8日 Tours飛行場 四発機  53機  1
5月7/8日 Rennes弾薬庫 四発機  55機  0
5月8/9日 Haine-st-Pierre操車場、機関車車庫 四発機 115機  9
5月8/9日 Brest飛行場 四発機  64機  1
5月8/9日 Morsalines沿岸砲台 四発機  35機  1
5月8/9日 Berneval砲台 四発機  32機  0
5月8/9日 Cap griz Nez砲台 四発機  32機  0
5月9/10日 Calais地域砲台 四発機 386機  1
5月9/10日 Gennevilliers航空機工場 四発機  56機  5
5月9/10日 Annecyボールベアリング工場 四発機  39機  0
5月10/11日 Courtrai,Dieppe,Ghent操車場 四発機 506機 13
5月11/12日 Boulogne操車場 四発機 127機  2
5月11/12日 Hasselt操車場 四発機 126機  5
5月11/12日









continued





             攻撃を受けたドイツ側の記録が一部有るのでここでご紹介します。F

             1944年6月2日 
             Conches飛行場:
             21時15分、70機の四発爆撃機による5波の攻撃を受ける。滑走路、
             taxiwayI,II及び、ハンガーA,Bが損害を受ける。taxiwayIには22発
             命中、taxiwayIIには15発命中。飛行場は作戦不能になる。
             レーダー設備は20%破壊される。そのほか照明施設、通信施設は
             切断される。兵員1名と女性従業者2名が負傷する。

             1944年6月4日 
             Bretigny飛行場:
             20時17分から20時44分の間に150機のB17の爆撃を受ける。爆撃高度
             3700mから4000m。多数の高性能爆弾と焼夷弾が投下される。飛行場は
             作戦不能になるが、殆どの爆弾は飛行場の周辺に落下した。滑走路
             は6月5日夕方までに修復される。
             対空砲陣地二箇所破壊。二ヶ所損傷。
             ハンガー二ヶ所。全損
             修理工場損傷。
             Ju-188偵察機 1機破壊、Bf110 1機破壊 他に1機損傷。
             人員4名負傷。

             1944年6月4日 
             Bourges飛行場:
             20時5分から20時20分の間に70機の4発爆撃機による高性能爆弾の投
             下を受ける。情報に寄れば損害は軽微、人的損害なし。

             ドイツ側の記録からも飛行場の損害は比較的早期に回復させることが
             できたことが伺われます。連合軍側はD-day以降も飛行場爆撃を
             継続して、攻撃と修復のいたちごっこが続きます
             しかし航空機の損害を防止する為の、機材の分散と点在は作戦の
             準備行動の大きな妨げとなりました。


             LW側は1944年4月1日付で、地中海で艦船攻撃を担当してきた
             X.Fliegerkorpsをフランスに移動させて、Fliegerfuhrer Atlantikを
             吸収しました。X.FlkpsにはHe177を保有する対艦攻撃部隊が配属され
             、連合軍の侵攻に対する空軍による水際での攻撃に大きな期
             待をかけていましたが、大型機が連合軍の戦闘機隊の防御を突破す
             る事には相当な困難が予想されました。
             1944年6月1日現在のLfl3が保有していた部隊と戦力をご紹介
             します。機数は資料により多少異同が有りますが配備数800機強
             実動約500機と言うところです。この機数で約13000機と言われる
             連合国空軍に対峙したわけです。

Luftflotte3編成表(爆撃、艦船攻撃部隊のみGruppe、基地を記載)
部隊 機種:部隊名  配備数(作戦可能数):基地
Luftflotte 3
本部直属部隊
Hugo Sperrle
長距離偵察機
FAGr123
59(30)
輸送機
IV./TG4
64(31)
短距離偵察機 30(16)
夜間戦闘機 33(17)
FliegerkorpsII. Alfred Buelowius
地上攻撃機 73(55)
III./SG4 Clastres-St.Quentin
FliegerkorpsIX. Dietrich Peltz
中型爆撃機 326(150)
stab/KG2
I./KG2
II./KG2
III./KG2
Zeist,
Hespe/Voerden,
Muenster-Handorf
Achmer
stab/KG6
I./KG6
II./KG6
III./KG6
Melsbroek,
Bretigny,
Le Culot,
Melsbroek
Stab/KG54
I./KG54
III./KG54
Marx
Evreux/St. Andre
Marx
I./KG30 Leck
II./KG51 Lechfeld/Leipheim
I./KG66 Avord
I./SKG10 Rosieres
FliegerkorpsX. Alexander Holle
船舶攻撃機 23(20)
Stab/KG40
I./KG40
II./KG40
III./KG40
IV./KG40
Bordeaux-Merignac
Orleans-Bricy
Bordeaux-Merignac
Cognac
Lechfeld
FAGr5 Mont-de-Marsan/
Nantes
Fliegerdivision2. Hans Korte
雷撃機 53(30)
stab/KG26
II./KG26
III./KG26
Lubeck-Blankensee
Valence
Montpellier
stab/KG77
I./KG77
II./KG77
Orange-Caritat
Orange-Caritat
Heiligenbeil
III./KG100 Toulouse-Francazal
6./KG76 Istres
JagdkorpsII. Werner Junck
Jagddivision4. Karl Wiek
昼間戦闘機 104(71)
夜間戦闘機 57(29)
Jagddivision5. von Bulow
昼間戦闘機 69(48)

          


             この配備を見ると、III./SG4はCalaisの近くに有って、ドイツ側
             がこちらを上陸地点と考えていた事を反映しています。
             また爆撃機部隊は連合軍の攻撃を避けて多くは北フランス沿岸から、
             離れて配備されていたことが分かります。従って上陸に効果
             的に反撃する為には、敵の動向を早期につかむ必要が有りました。
             しかし1943年の夏から英国本土上空のRAFの防空が強化され、
             FAGr123は英国南部の海峡地域に対する昼間高高度偵察活動を
             中止していました。代わって試みられたのは雲天を利用した低高度
             偵察でしたが、満足の行く結果が得られず、実際入手できたのは、
             夜間の航空写真のみでした。
             1944年4月からRAFは戦闘機を港湾地区の上空に常駐させたのでLwの
             写真偵察は一段と困難になりました。
             D-dayの直前にはBf-109がPortsmouth港の写真撮影に成功しました
             が、RAFは帰投基地がCherbourgで有ることを割り出して追撃し、
             着陸寸前に同機はSpitfireによって撃墜されてしまいました。G
             それでもD-dayの直前には数少ない写真から多数の船舶が集合してい
             る状況が判明しており、連合軍の上陸作戦が近いことが知られて
             いましたが、最も重要な上陸地点に関しての情報を得ることができ
             ませんでした。
             
                              
             Normandy2へ続く         

             @参考文献1 p316
             A参考文献1 p316
             B参考文献14 p13-p27
             C
             D
             E参考文献14 p41-p45
             F
             G


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