facebook_UP2018.07.08

伽数奇のFairy tale 002_15

ノモンハン空戦からの発想 

第15話 ハルハ河通過から不時着直前まで

 飛行第24戦隊長松村黄次郎中佐の傷付いた97戦闘機に追随する僚機の西原五郎曹長。2機はハルハ河を通過した。
「高度約200mでハルハ河の南渡河点(南渡し)のソ連・モンゴル両軍の戦車やトラックの大部隊が集結している上空をヨタヨタと飛んでいった。渡河を終った戦車・トラックの上空、呆然??と我々を見上げている濃緑の軍服姿の敵兵が見えていたがなす術はなかった。そして、松村中佐が、この前方の開けている草原に降りるつもりらしい事が、慌てている私に解った頃には、高度は100mとなかった。」
と西原曹長。

 最適降下速度で滑空する固定ピッチプロペラ機の、そのプロペラは前方からの空気流に押されて空転し、それは大きな抵抗になると前に書いた。

 西原曹長が2番機位置に付いているのなら、エンジンアイドルであっても前にでてしまう。前にでて、戦隊長の不時着位置をロストでもしたら大変だ。だから西原曹長は機体を滑らせていたであろう。

 私の明野時代、概ねXOH-1の飛行試験が終盤を迎える頃、臨編の「飛行『開発』実験隊」から航空学校研究部に異動となった。

 そこでX(試験機のこと)のとれたOH-1量産機の飛行試験を行いつつ、取扱書、つまり操縦者のための飛行マニアルを起案していた。

 飛行試験と云うのは、量産機も試験供試機と変わらないことの確認のためだ。

 それで冬期性能のポイントチェックなどのため量産機を帯広までフェリーし試験を実施していたときのことだ。UH-60JAの追加試験も同時期に同地で行うことになった。だから試験チームは大所帯だった。

 土日の休みは可能であれば現地でとる。

 それは思い切り楽しまなければ。

 そこで技術研究本部勤務時代に知り合った、十勝河川敷ウルトラライトプレーン飛行クラブ「あひる」飛行場に繰り出した。








 メンバーは、一度ウルトラに乗りたいと云われていた試験部隊の指揮官N御大、そして目をキラキラさせて乗せて乗せてと小躍りする三菱60の試験担当エンジニア、空力屋のO嬢さん、そして仕掛け人のムラテックと私の4人である。

 クラブに到着すると、日没も近いし直ぐに飛べと云う。

 それで隣に三菱のO嬢さん乗せて離陸。

 雪原の上をクルクルと、彼女の要求で縦横の静安定や動安定の評価飛行をする。

 自身でも確認している。

 失速させて、キャー縦静が変、とか云って喜んでいる。

 縦静とは縦の静安定のことだ。そりゃ失速してるんっだから桿を引いても機首は落ちる。そりゃ縦静変でしょう。

 じゃ、そろそろ帰ろうか、「あひる」飛行場どっち、と聞いたら背中、彼女からは見えない4時の方向を、正しく指さした。一面は雪で真白なのに、この娘すごい。

 帰投着陸を要求したら下から編隊の写真撮りたいから待てと。

 そうしたらムラテックが豊美教官と上がってきた。

 豊美さんのことは
https://www.facebook.com/hishikawaakio/posts/456220574450747 この記事の前後に書いている。

 いや編隊の僚機位置維持のための横滑りのことを書こうとしている。
 地上からの要求どおり2機でローパスする。

 そうしたら今から、もう1機準備するから、更に待てと云う。

 夕日に向かう3機編隊を撮りたいらしい。

 やがてN御大と校長先生が上がってきた。

 御大の後方左右にさっとジョインナップする。

 右2番機が私、左3番機がムラテックだ。機種が変わっても編隊飛行の要領に変わりはない。

 ムラテックは先ほどまでは1番機だったのに、いまは僚機ポジションだ。翼が回転していない固定翼機では初体験のはずだが、全く問題ない。

 滑走路上のローパスへ向けての最終降下旋回だ。左旋回なので私は外側だ。外側は長機より、そして内側機より、もっとエンジンパワーを入れないと編隊位置は維持できない。だから降下飛行と雖も安定しており、次の事態の予想はできていなかった。

 滑走路の軸線にアラインし旋回は止んだ。

 降下飛行でパワーを削る。

 行き足が止まらない。アイドルまで削る。まだ止まらない。

 ここで御大にパワーを入れてくれと、頼もうかとも思ったが、撮影ポイントはもうすぐで、初めてのムラテックのことも考えて、ここで隊形を乱すかもしれぬリスクをとりたくなかった。

 編隊の体系が崩れて、もう一度場周経路を回る事態になったら、夕日の光線が変わってしまう。

 そこで私は機体を滑らせて2番機位置をキープした。滑らせると機体の空気抵抗が増し減速できるのだ。ローパスは水平飛行となり、どうせパワーが入るだろうから。

 私は2番機位置につている。後方から見て右側だ。エンジンアイドルで前につんのめるなら、機体を左に滑らす。でなければ長機や3番機が見づらくなるからだ。

 左にバンクを取り、右足を踏み込む。バンクは20度ほどで位置を維持できている。

 私のウルトラライトプレーンはクラブ機のなかで一番馬力が強い4サイクルエンジン機だ。

 他の2機は非力な2サイクルエンジン。プロペラも私の機のピッチが深いはずだ。だからアイドル馬力の相違に加え、滑空中のプロペラ抵抗の違いは、ここまでの横滑りを必要とさせている。

 いまさらながらなるほどと、興味深く、そんなことを空力の専門家のO嬢に説明しながら操縦している。

 降下が止まりパワーが入れられた。すかさず滑りを止める。そのときの写真が3機で夕日に向かう編隊だ。

 残念ながら真剣に滑らせているときのシーンは手元には残っていない。2機で遊んでいるときの写真はあったが、このときはルーズな編隊だしムラテック機のパワーが入ってるので、5度ほどのバンクですんでいる。↓イメージとしてはこんな感じになる。


  ハルハ河を越えたあたりからの大叔父、西原五郎氏の話しを松本さんは、細かく取材してくれていた。そしてそれを時系列にまとめている。
3 ハルハ河を越えた直後にトラックの影に濃緑の服を着たソ連兵が数名こちらを見上げているのが見えた。

4 ソ連部隊はハルハ河の土手に隠れるように集っていた。

5 着陸直前に、右翼端に興安嶺山脈が見えた。

6 ハルハ河を上った土手の上の台地に、小松の生えた丘が2つあった。右手の丘の先は興安嶺山脈の端につながっていた。

7 丘と丘に挟まれた所に援体壕に配置してある敵戦車が数台(原文ママ)見えた。

8 松村機は、敵戦車の視界から遮られた右手の丘の前方に着陸するかに見えたが、着陸の直前に左急旋回し敵の目の前に着陸してしまった。

9 小松の丘に敵兵がいた。丘の影に戦車が配置してあった。敵の射撃エリアから外れるように着陸しかけたが、フラップを出した途端に火が着いた。

 西原曹長は戦隊長の2番機位置についていた。

 自然と前にでてしまう機体を左に滑らして行き足を止めている。

 バンクは左に30度もでていたとおもう。だから戦隊長機も敵情もよく見えているのだ。

 戦隊長は不時着強行のためフラップを降ろした。

 曹長は再度つんのめりそうになる。さらにバンクを増し滑りを大きくする。

 97戦は翼が胴体の下にある低翼機だが、左翼下の敵戦車などの状況が手に取るように見えたのだった。

 低速でそんな操縦に機体がついてくるのは97戦であればこそ、2式戦闘機「鍾馗」などでこんなことやると、直ちにスピンに入るだろう。フラップを出した戦隊長機は炎につつまれた。

「ソ連・モンゴル両軍の戦車やトラックの大部隊が集結している上空をヨタヨタと飛んでいった。」

のヨタヨタとは、そんな意味だ。
 松本さんの大叔父との1回目のインタビューのとき
 描かれた見取り図


「ノモンハン空戦からの発想」目次にもどる
http://www.mf.ccnw.ne.jp/~ad32901/kasukisns/000kasukisns/002nomonhan/002nomonhan.htm

伽数奇の総合目次にもどる
http://www.mf.ccnw.ne.jp/~ad32901/kasukisns/kasukisns.htm