facebook_UP2018.05.18
2018.08.20
伽数奇のFairy tale 002_01

ノモンハン空戦からの発想

第1話 郷里の洋風居酒屋で松本さんと出会いノモンハン空戦と出会う

 正岡子規も療養した須磨浦公園一ノ谷の施設で暮らしている母と会った日の夜、塩屋に住むFBFのSさんと夜宴を張った。

 Sさんとは2000年にネットで知り合い、年1〜2回ほど飛行機仲間の会などでリアルミーティングしている。ところが塩屋では、年に数回は宿泊しているのに、清水さんと個人的な会合は出来ていない。それで清水さんに無理を云い定時に仕事を切り上げてもらった。

 Sさんはそのとき友だちを一人連れていくとのことだった。
 そこで松本さん を紹介された。FBネイムはアルファベットだが、以下かってに漢字は違ってるかも知れないが、松本さんとさせていただく。

 Sさんの大学同期である松本さんは、スキーインストラクターの資格を持っており、スキー好きな私と話しが合うだろうとのSさんの配慮だったのだが。
 私のFBはほぼ公開しているので松本さんはある程度私のことはご存知だった。だからこそ互いの自己紹介のあと、私はあえて、もしかして飛行機の接点はありますかと質問した。Sさんが、残念ながら飛行機との接点はないのですよ、と発言したのを、松本さんは遮るように定期入れから絵の写真を取りだした。
「この絵のことなんですが」
「97式戦闘機、ノモンハンではないですか」
 飛行機のことの、こんな接点があったとは、
 この絵はノモンハンで制空任務に就いていた、飛行第24戦隊の戦隊長松村黄次郎中佐が撃墜されたとき、その僚機を務めていた西原五郎曹長は強行着陸し、戦隊長を救出し、ソ連軍の戦車が迫る中、離陸を成功させ生還した、その救出中の場面。従軍画家 深澤清氏のものだ。
 実はこの絵、明野に長い間展示されていたことがあり、毎日これを見て明野の操縦学生時代を過ごした。
 西原曹長(当時)は松本さんの母方の大叔父にあたる。松本さんが子供の頃、母から聞いていた話し、それは本当なのか、この絵は現存するのか。松本さんの調査が始まった。疑問が疑問を呼び、ついにモンゴルまで出かけることになる。それも都合三回も。
 私は私で、この絵は事実ではあるが、戦意高揚を狙ったもので、ここまで切迫したものではないだろうと、勝手に想像していた。そうではなかった。
 私はインタビュワーに徹し、松本さんが答えるたびに鳥肌ものだった。

 
塩屋駅前のバール「SAATCHI サーチ」僕のお気に入り!




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