
変化虎の巻3
爆弾騒ぎから約一時間、先程トレーニングセンターに残ったスカイハイから、警察の処理部隊
が到着し、無事に爆弾の解体を終えたと連絡が入った。
「それでワイルド君は大丈夫かい?」
「それが、まだ意識が戻らなくて、……あ」
バーナビーがPDAで話している横で、虎徹が身じろぎして目を覚ました。
「今、意識が戻ったようです。すみません、また連絡します」
向うで何か言っているのを無視して、バーナビーはさっさと通信を切った。頭を抱えるように
して起きあがった虎徹に、とっさに手を貸そうと慌てて駆け寄る。
「大丈夫ですか?虎徹さん、爆弾は無事に撤去され……っ?」
急に話しかけられて、虎徹はぼんやりとした瞳をバーナビーに向けたが、肩を触れらた途端ビ
クッと身体をすくめて、いきなりその手を払った。
「こ…、虎徹さん?!」
びっくりして瞳を瞬くバーナビーに、虎徹は訝しげに眉をひそめる。心なしか身を縮めて、ま
るで威嚇するようにバーナビーを睨みつけていた。
激しい拒絶と不可解な態度に思わず絶句したが、同時に虎徹が初めて変化した時の様子を思い
出した。
硬化した空気を引き裂くように、PDAの呼び出し音が再び鳴る。
今度はブルーローズからだ。
たぶん、虎徹の容態を報告してこないバーナビーに痺れをきらしたのだろう。そして、バーナ
ビーは珍しくその仲間たちの通信に感謝したのである。
数分後、狭い病室にヒーロー達が大集合した。
最後に入ってきたキースを見るやいなや、虎徹ははっと顔を上げてベットから飛び降りた。扉
を閉めようとしていたキースに駆け寄り、その腕を縋るようにぎゅっと掴む。
ぴきっとバーナビーの額に血管が浮いたことは言うまでもない。
「ワ、ワイルド君?ど、どうした」
やっとほっとしたような顔になって、虎徹はますます身体を寄せてきた。下を向いている虎徹
の髪がちょうど頬に触って、キースはくすぐったそうに戸惑った顔をしている。
「ちょっと…っ、虎徹さん!」
思わず引き剥がそうとしたバーナビーを、横から手で制してネイサンが止める。
「まって、様子が変よ」
そんなことはわかりきっているっ!けれど、黙って見ているにはバーナビーは人間が出来てい
なかった。その手を振り払って、キースと虎徹の間に割って入ろうとした。
しかし、そこはフェミニストのキースのことである。うまいこと身体をかわして、ごく自然に
腕の中の女性を守った。虎徹の身体とはいえ、彼にしてみれば自分に縋る女性を蔑ろにできよう
はずもないのだが、バーナビーにしてみれば、むしろ邪魔者はキースの方なのである。
虎徹はというと、ますます身体を固くしてそのやり取りを見詰めるばかりだ。
「タイガー…、いったいどうしちゃったの?」
固まっていた虎徹が、ブルーローズの声に少し身じろぎする。どこか縋るような瞳で、何か言
いたげに口を微かに動かした。
「ちょっと、あんたたちうるさいっ!タイガー、なにか言ってるんじゃないの?」
「え…、そうなのかい?」
キースが顔を向けると、虎徹はすこし躊躇ったものの、蚊の鳴くような声をやっとの思いで絞
り出した。
「あ、あの…、みなさんはヒーローですよね?」
「え?」
思わず全員が顔を見合せた。
少しハスキーな、それでいて女性的な声と口調、そしてどこかおずおずと尻ごみした態度。
よく知る人物のそれとは、どうしても重ならない。
「おかしいと思いました、貴女、虎徹さんじゃありませんね?」
「ちょっ…と、バーナビー」
そんなバカなと思いながらも、ここまでの言動をみて皆少なからず感じていたことなので、と
っさに非難しようとしたカリーナの声もその勢いを削がれた。
そして自然に全員の視線が、答えを促すように虎徹の姿をした女性を見た。
集中した視線に竦んだように、キースの身体の影に隠れるようにますますくっつく虎徹に、ま
たもやバーナビーがイラッとするのが手に取るようにわかる。
「あの、さっき鏑木さんが…、ヒーローだって言ってて、バーナビーさんもいますし…」
「…っ!虎徹さんと話したんですかっ!?いま、虎徹さんは……」
弾かれたように顔を上げたバーナビーが、まるで掴み掛からんばかりの勢いで歩み寄った。彼
女には瞬間移動してきたように見えたかもしれない。
「あ、あ…触らないで、きゃ…っ」
肩を掴もうとした手を避けようとして、足をからませて後ろに倒れそうになった。
ぎょっとしたバーナビーの差し出した手よりも早く、傍らのキースが慌てて抱き上げるように
支えた。
「……あの、さっきから気になってたんですが」
ほっとしたのもつかの間、だんだんムカついてきたバーナビーであった。
「どうして僕が触るのはダメで、スカイハイさんはいいんですか?」
直球すぎる。けれど、もう我慢も限界なのだろう。
「え?あっ、スカイハイさん?」
そのバーナビーの問いに、違うところでびっくりして、虎徹の姿をしたその女性は琥珀色の瞳
を何度も瞬いた。
「あ、そうか、ヒーローの中身は誰か知らないんだ、当たり前だけど」
ホァンが呑気に納得している。
そんなことはどうでもいい、とばかりにバーナビーが黙殺していると、沈黙に後押しされるよ
うにようやく彼女がもじもじと話し始めた。
「バーナビーさんは、あの…すみません、すこし怖くて……」
「はっ?」
――怖いって?
思わずぽかんとしてしまったバーナビーに、ネイサンがからかうような口調で割って入った。
「あっ、あれじゃない?初対面で、いきなり襲われたんですもの。それは怖いわよ」
「別に僕は…っ!」
身体の上にのしかかってはいたが、彼女に変わってからはすぐに身を引いたし、なによりまだ
なにもしてなかったはずだ。服は、確かに剥こうととしていたが……
「い、いえっ!あ…、そ、それもありますけど、あの、それだけじゃなくて…私、じつはNEX
Tでっ」
ネイサンはむろん面白がって言っていたのだが、バーナビーが非難されていると思ったのかキ
ースの後ろから少し身を乗り出して、一気にまくしたてた。
思ったより大きな声だったので、全員が驚いたように彼女を見た。
「人や物に触れると、色々なことを感じてしまうんです…」
視線から逃れるように下を向いたまま、声が尻つぼみになりながらも続ける。
「あっ、あれかな、サイコメトリー?」
「…そんな感じです」
カリーナの問いに、こくりと頷く。
「へえ、めずらしいね、感知系のNEXTか。僕の能力もそうだけど、受け身の能力ってNEX
Tには少ないんですよね」
ヒーロー向きじゃないし、と折紙がいきなり自分の言葉に落ち込んだ。
「あー、わかった。それでスカイハイが好きなんだ!なんか納得」
ホァンが、なるほどと頷く。
スカイハイは良くも悪くも天然で、裏表がなく彼女の様な能力者には心穏やかで居られる相手
なのだろう。そしてブルーローズは同じ女性で、しかも虎徹に好意を抱いているので受け取る感
情も嫌な感じはしなかったのだろう。これで、この二人に彼女が警戒しなかった理由がわかった。
そして――、
バーナビーに視線が集中する。
しばらく観察するように全身を一舐めして、十人十色それぞれ深い溜息をついた。
まるで「わかるわかる、面倒くさそうだもんね」とでも言いたげだった。
「それでっ!どうしてこんなことになったんですか?虎徹さんは無事なんですか?」
不愉快な話から逃れるように、バーナビーは虎徹の姿をした女性を振り返る。
思わずビクッと身体を引いた彼女を、キースは当然のように優しげに支える。
イラ〜ッと、バーナビーがおよそヒーローにふさわしくない顔になる。実にわかりやすい。
「…そ、それは大丈夫です。ただ、さっきまで話してたんですが、いきなり私の方が引き戻され
て、どうしてこうなったのか……」
「どちらが表にでるかはランダムなんですか?」
「はい、この身体が意識を失っているときはお互いの意識があるんですが、目覚める時はいきな
りでどういう法則があるのか、まだ…」
「じゃあ、今、タイガーはこの話を聞いてるの?」
カリーナは、まるで確かめるように虎徹の顔を近くで覗き込んだ。心なしか顔を赤らめて、中
にいるだろう虎徹に話しかけようとしている様子が微笑ましくて、つい微笑ってしまった。
「いいえ、私の時もそうですが、どちらか一方が表へ出ている時は眠ったような状態になるよう
です。だから、いまお話していることは彼は知らないと思います」
「一つ聞いてもいいですか?これは、貴女の能力ですか?」
バーナビーの問いに、すこし躊躇したように下を向いてバツが悪そうに首を振った。
「……違います。たぶん、あの時の」
「例の、降霊会ですか?」
無言のままコクリとうなずく。
「貴女は、あのオカルト集団の関係者ですか?」
まるで責めるようなバーナビーの声色に、思わずビクッと身体をこわばらせた。
ぎゅっとキースの袖を掴んで、口を開きかけては、力を失ったように黙り込むということを何
度か繰り返した。
痺れを切らして先を促そうとするバーナビーに、それまで黙って様子をうかがっていたキース
が顔を上げた。
「そんなに次から次へと質問攻めは可哀そうだろう?彼女もまだこの状態に戸惑っているんだよ」
「だけどっ、虎徹さんが…!」
バーナビーが声を荒げた瞬間、キースの後ろに隠れて俯いていた彼女がふいにがばっと顔を上
げた。
「え…、あれ?」
キースに縋りついた恰好のままで、周りを見回し「うーん?」と首を傾げた。
「こ、虎徹さん?」
「おう…、あ、あれだオレもしかして変だった?」
「変と言うか、別人でしたよ」
不機嫌そうにバーナビーが眉尻を吊り上げている。よっぽど気に触ることがあったのだろう、
周囲にザワザワした変なものが渦巻いていて、今はちょっぴり近づきたくない。
「いつまでスカイハイさんにくっついているんですか?もう大丈夫なら、さっさと帰りますよ」
「いやー…、なんでだろう。スカイハイの近くって、なんか楽っていうか…」
首をかしげながら、スカイハイに勢いで「えいっ」と抱きついた。虎徹にしてみれば、ふざけ
てそうしたのだが、むろんバーナビーの怒髪天をついたことは言うまでもない。
さすがのネイサンもとっさのことで気の利いたフォローをし損ねた。それに全員、さっきまで
の様子を見ていたので、その妙な類似点になんだか困惑気な顔をしている。
ゆったり近づいてくるバーナビーの黒い気に絡まったように、思わずびくっとキースから手を
離した虎徹は、おそるおそる振り向いた。
「さあ、帰りますよ」
むんずっと虎徹の首根っこを掴んで、バーナビーは扉ををバーンッと開け放った。
「今日はもう遅いので、このまま虎徹さんは僕が送って行きます。その他もろもろのお話は、ま
た後日にでも相談しましょう」
有無を言わさず、まるで決定事項のようにそう断言して、二人の姿は扉の向こうへとあっとい
う間に消えた。その間、数秒。誰も口を挟む暇がなかった。
はっと、一番はじめに我に返ったのはカリーナだ。
「ちょっと、バーナビーっ!」
「はなせーっ、なんかザワザワするー、おーまー……」
慌てて廊下を覗いたが、もはや人影自体は跡形もなく、なにやら虎徹の絹を引き裂くような声
だけが残っていた。文字通り、本体は光の速さで立ち去ったのだろう。
「ったく、事態はますますややこしくなりそうね」
ネイサンが「ほらほら、解散」とみんなを病室から追いたてた。このままこんなところに居て
も何の意味もないのだ。
追い立てられるように病室からぞろぞろと引き上げ始めたヒーロー達の中にあって、一人だけ
未だに呆然と立ちすくんでいる人物がいる。
「スカイハイ?」
「えっ?あれ、私は一体何を…」
ある意味、いちばん振り回されたのは彼だろう。ネイサンは気の毒そうに彼の肩を叩いて、思
わず慰めてしまった。
どうやら虎徹に抱きつかれたときから完全にフリーズしていたらしい。
――ん?彼女ではなく、なぜ「虎徹」に抱きつかれて固まるのか。
ふとひっかかったが、要は女性に抱きつかれたという点では相違ないのか、とネイサンは納得
することにした。
事態をよりややこしくする事態から、自然に目をそらしたとも言える。
そして、とんでもなく濃く、大変な一日がようやく無事に終わろうとしていた。
少なくとも、虎徹達以外は――。
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