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傍にいてもいいですか?2
        (goodEDver.)

 

 今日は例の追悼セレモニーの日だ。
 むろん出席などするつもりはないし、ヒーローをやめるのだからなにもかも関係ない。
 けれどさすがに日常品がいろいろとなくなってきて、買出しにいかなければならなかった。
 ああ、面倒くさい。
 別に何もないなら、本当はそれでいいとも思う。けれど……
 あの日から、ただ生きるために生きてきた。
 生きなくてはならなかった。
 彼が守った市民の中に、自分も含まれているのだから。
 虎徹さんの大切な命の代償なのだから、一つたりとも無駄になど出来る筈はない。
 バーナビーは左腕にはめられた黒い腕時計を見詰めた。帯の広い、独特の形のそれ。
 思い出のあの人が身に付けていた大切な物。
 その下には、大きな傷があった。
 はじめの頃、無意識にやった自傷行為の跡だ。
 それをやめるためにも、虎徹さんの腕時計をはめた。
 ひどく億劫だったけれど、出かけるために身支度をするために洗面所に向かった。
 そして鏡に映る自分の顔をみて、あらためて驚いた。
 目の下はひどいクマで顔色は紙のように白く、頬は見る影もなくやつれ果てていた。
 綺麗な金髪の髪も、今は艶を失ってばさばさと無造作に伸びている。
 ――ひどい顔。
 鏡の中で、その顔が苦笑する。
 こんなの虎徹さんが見たら、真っ先にベットに押し込まれてお節介を焼くにきまっている。
 バーナビーは洗面台に手をついて、おかしくてたまらないというように肩を揺らして笑った。
 俯いたまま声を押し殺すようにしていつまでも笑いが収まらない。
 刹那、目の前のガラスがひび割れて、気がつくと鏡に映った己の顔が消えていた。
 クモの巣状の割れ目の真ん中に突き立てた拳から血が流れている。
 割れた鏡の破片が、洗面台と床に涼やかな音を立てながら落ちていった。
「あーっ!なにやってんだ、お前。しょうがねーな」
 後ろから声がした気がして、バーナビーは弾かれたように振り向いた。
 そこには何度も夢に見たあの人が、洗面所の扉に片肘を預けて立っていた。
 いつもの起きぬけのだらしのない恰好で、ちょっと呆れたように笑っている。
「こっ、虎徹さ…っ」
 琥珀色の瞳が優し気に眇められて、その唇が「おはよう」とゆっくり動いた。
 バーナビーは、必死で震える腕を伸ばした。
 はやく…、はやく捕まえないとっ!
「…痛っ!?」
 だが、足を踏み出した瞬間、ガラスを踏んでバランスを崩してしまう。
 慌てて顔を上げると、そこにはもう誰もいなかった。
 一面にばら撒かれた鏡の破片。
 そのまま床に崩れ折れて手をつくと、更に傷ついた指から赤い血が滴り落ちる。
「虎徹…さん…虎徹さん……」
 腕の中に頭を押しこんで、床にうずくまった。
 血で濡れた指が、やるせなく床を掻きむしる。
 ……会いたい。
 記憶の中の彼は、まだこんなに鮮明なのに。
 髪を撫でる仕草も、照れくさそうな不器用な抱擁も、年上の癖に慣れない口づけも。
 どれも、何一つ色あせてない。
 この部屋のどこもかしこも彼の色で塗りつぶされている。
 ふらりと居間へ歩いていった。
 手から滴る血がぽたぽたと落ちてフローリングの床を汚す。
 虎徹さんのお気に入りの椅子。
 ああ、やっぱり。バーナビーの唇に微笑みがひらめく。
 思った通り、おじさんは椅子の上に足を抱えるように座っていた。
 膝頭に顎をに乗せて、腕をプラプラさせながらTVのリモコンをいじっている。
「バニーちゃん、遅い!身支度にどんだけかかってんの?朝飯当番お前だろー」
 こっちに気がつくと、まるで子供みたいに唇を尖らせて「腹減ったー」とボヤく。
 いつもの朝の光景。
 ほら、なにも変わってない。
 まだ髪を乾かしてないのか、虎徹の黒髪からはぽたぽたと滴が垂れていた。
「もう、また床を汚して、はやく髪を拭いてください、TVなんか見てないで…」
 その瞬間、TVから聞こえてくる音がいきなりハウリングのように耳をつんざく。
 頭を貫くような音に、思わずバーナビーは耳を塞いた。
 ぐらっと眩暈がして、耐えきれず身体が傾ぐ。
 ひどい耳鳴りと眩暈をやり過ごすと、全ては掻き消えていた。
 虎徹さん?
 さっきまで喧しく騒音を奏でていたTVも、もちろん何も映し出しはしない。
 バーナビーはきょとんとした顔で、ゆっくりと足を踏み出した。
 なんで?さっきまでそこに居たのに、笑っていたのに。
 呆然と辺りをきょろきょろ見回し、いつもは理知的な碧の瞳がひどく落ち着きなく小刻みに
動いていた。
 だって、ほら、まだ虎徹さんの髪から落ちる水滴の音がする。
 ふと、バーナビーはやっと気がついたという感じで、床に落ちる赤い液体に目を向けた。
「あれ?血…、えと、なんだっけ」
 そんな時、来客を告げるチャイムが鳴った。
 バーナビーはふらつく頭を押さえてしばらく立ちすくんでいた。
 うまく状況が掴めないのか、何度か首を振った。
 そして何度目かのチャイムにようやく気がついて、ふらりと顔を上げる。
 ああ…、誰か来たのか?
 おぼつかない足で、よろよろととインターフォンのパネルのところまで歩いていく。
『……はい』
「あ、出たわよ。…えっと私、カリーナよ。ちょっといいかしら」
 まるで後方に誰かいるかのように話しかけてから、カリーナはインターフォンのカメラに向か
ってそう言った。
 そういえば、あの見舞いの日からとっかえひっかえヒーローたちが来た。
 もう相手をするのも億劫だったので、体調が悪いと言って門前払いしていたのだが。
 だが、なにをしにきたのだ。
 今日はあの胸糞のわるいセレモニーの日ではなかったか。
 彼女だってヒーローとして出席してるはずでは?
『一体、なんですか?』
「ねえ、大丈夫?具合でも悪いの?ロイズさんも来てるのよ、あなた今日来ないから」
 は?僕は出ないと言ったはずではないか。
 ん、……あれ?いや、出ないとは言ってなかったか。
 それよりも、何んだっけ?
 なにに出るって?
 ああ、そうだ。ヒーロー関係の仕事なら虎徹さんにも話さないと……
『虎徹さんが、まだ』
「え?…バーナビー?」
 カリーナが、顔色を変えるのがわかった。どうしたんだろう、急に。
『すみません、虎徹さんまだ用意できてなくて……』
「ちょっ、バーナビーっ?大丈夫?ねえ、ここを開けて!」
 なんだか、眩暈がしてきた。
 考えがまとまらない。
 インターフォン越しに異変を感じたカリーナが、なにか言っているようだったがもう何も聞こ
えなかった。
 そして、そのまま全てが掻き消えるように真暗になった。


「気がついたかね?」
 目をあけると、そこにはロイズがいた。
 ああ、なんだ…、天国じゃないのか。
 バーナビーは、無意識に失礼な決め付けをして重い溜息を吐いた。
 ゆるゆると見渡すと、白い壁に天井。
 どうやらここは病院らしい。頭が、妙にすっきりしている。
 たくさん寝たからだろうか。
「僕は、どうしたんですか」
「君はね、失血死寸前だったんだよ」
「失血?」
「というか、そのまえにかなり衰弱していたようだけどね。なんというかもう君の部屋ときたら
オカルト映画さながらだったよ」
 わざとそうしてるのか、すこしおどけたように言った。
 おぼろげながら思いだした、そして我ながら苦笑する。
 たぶん、衰弱と失血による神経衰弱で幻聴と幻覚を引き起こしたのだろう。
 こうしてベットに静かに座っていると、現実がすこしだけ蘇る。
「すみません、なんだか迷惑をかけたみたいで」
 バーナビーが頭を下げると、ロイズは痛みを堪えるような顔になって、小さく首をふる。
「まさか君がそこまで思いつめているとは知らなかった、本当に申し訳ない」
「ロイズさん、なぜ貴方が謝るんですか?迷惑をかけたのは僕の方で」
「いや、そういう事ではないんだ」
 バーナビーの言葉を遮るように、ロイズが口を開く。
 びっくりして口を噤むと、バーナビーはロイズの次の言葉を待った。
 お互いの目が合うとロイズは再び躊躇うように目を逸らしたが、ようやく顔を上げる。
「君には話しておくべきだったんだ、こんなことになる前に」
 そう前置きして、
「実は……」
 それでも、彼は迷うように言い淀んでいた。
「ロイズさん?」
 やがて意を決したように、バーナビーに視線を合わせる。
 この後の台詞は、まさに衝撃的の一言だった。
「実は、タイガーは生きてるんだ」
 言葉が意味を持つまでたっぷり1分はかかった。
 瞬きもせず呆然としていたバーナビーの上体が、ふらりとよろける。
 慌ててロイズが支えると、バーナビーはその手を咄嗟に押しのけた。
 訳のわからない事を叫び出しそうになる口を、手のひらで必死に押さえた。
 ……なに?なんと言った。
 生きている?
 生きているってなに?え…、生きてるってこと?
 頭が正常に働かない。
 こんな単純な言葉がなかなか理解できなかった。
 がばっとロイズに向き直り、舌を噛みそうになりながらも、わななく唇がようやく開いた。
「ほ、ほ…ほんとうに?」
 声はかすれてほとんど聞こえなかったが、ロイズは間違いなく頷いた。
 思わず気を失いそうなくらいの眩暈を感じたが、バーナビーはがくがくと震える身体をやっと
の思いで持ち上げてベットから出ようとした。
 点滴の針がバチッとはずれる。
「ま、待ちなさい。まだ動いてはいけない」
「大丈夫です、すぐに会わせてください…僕は」
「気持ちはわかるが、すこし落ち着きなさい。まだ話は終わってないよ」
「話なんか…」
 ロイズはゆっくり首を振って、まるで戒めるように目を合わせた。
「このことは他のヒーロー達は知らない。もちろん家族もだ」
「どうして……」
 ようやく腰を下ろしたバーナビーに、ロイズは気の重くなるような深いため息をついた。


 すべては上層部の軽率な処理と、情報の混乱が招きだした不幸だった。
 虎徹を乗せた救急車両は、緊急という扱いで特別に通常のルートとは違う手筈で搬送された。
 ところが、情報をろくに与えられていなかった救急隊員は彼を殺人犯だと思っていたので、ヒ
ーローの契約病院ではなく、警察病院に運び込んでしまったのだ。
 そこで奇跡的に命は取り留めたものの、その後、虎徹の搬送先を見失ってしまった上層部は情
報が集まる前にワイルドタイガーの死を公表してしまったのだ。
 事態を早急に終息させることを焦った愚行のもたらした結果だった。
 実際に、市民の目がそちらに向いたために上層部の責任問題もうやむやになってしまったのも
事実で、今更訂正できないという状態に陥ってしまったのだ。
 とはいえ、本人が助かったのなら抗議のひとつでもしそうなものだが、なぜ何も行動を起こさ
ないのか、その謎はすぐに明かされた。
「虎徹さん…?」
 どうみても特別病棟という豪華な造りの病室に、その人はいた。
 静かに目をつぶって、少し痩せた身体をベットの上に横たえていた。
 頭上にはバイタルをチェックする機械が置いてあり、腕には点滴が付けられている。
「あれから一度も目を覚ましていないんだ」
 沈んだロイズの声に、思わずバーナビーが振り返る。
「意識は、戻るんですか?」
「わからない、傷はほとんど癒えているんだ。でも、意識だけが戻らない」
 ふらりとバーナビーはベッドに近づいていく。
「何度か心臓が止まったらしいから、その際に脳組織を損傷した可能性もある。でもはっきりし
たことはわからないらしい」
 おそるおそる手を伸ばし、額にかかる黒髪をそっと払う。
 影を落とす睫毛が、薄く血管の透き通る瞼を縁取っていた。
 いつもは気の強そうな眉が、今は何の表情もなく優しげに凪いでいる。
 浅黒く健康的だった肌も、今ではひどく白く感じた。
 まるで壊れ物を扱うみたいに、おそるおそる頬に触った。
 ――暖かい。
 涙が、堰を切ったみたいに溢れてきた。
 もう涙など枯れ果てたと思っていたのに、次から次へと止まることなく頬を伝った。
 後方で、パタンと静かに扉が閉まった。
 どうやらロイズが出て行ったようだった。
 むろん、今のバーナビーがそれに気がつくことはなかったけれど。
 生きてた……
 今度こそ、幻じゃないですよね?
 だって、こんなにも温かい。
 まるで眠っているようにも見える。
 今にも瞼が上がって、あの綺麗な琥珀色の瞳が僕を見つけて、いつもの気の抜けるような笑顔
を向けてくれそうだった。
 バーナビーは愛しい人の黒髪を掻き上げて耳の後ろに挟むと、上から覆いかぶさるようにして
そっと唇を合わせた。
 どこかたどたどしくてくすぐったいほど懸命な、あの反応が懐かしい。
 ゆっくり身体を起こす。
 意識のない薄く開いた唇は、確かに暖かいけれどもちろん何も答えてくれなかった。
「虎徹さん、僕は諦めません」
 バーナビーは、虎徹の身体を労わるようにひどく優しく抱きしめた。
「生きてるってわかった以上、貴方が目を覚ますことを信じて待ってます。だって貴方は期待を
裏切る人じゃないでしょう?」
 

 その後、みんなとは一週間遅れでヒーローとして再出発したバーナビーは、先日までの状態が
うそのように精力的にヒーロー業に精を出した。
 インタビューでも、
「ワイルドタイガーは、僕がヒーローを続けることを望んでいるでしょうから」
 と、そつなく答えていた。
 けれど、あんな惨状をその目で見たカリーナは、どこか疑わし気であった。
 もちろん、他のヒーローは単純に立ち直ったことを素直に喜んでくれた。
 アントニオなど、泣き出しそうな勢いである。
 本当はバーナビーは、彼らにも話した方がよいのではないかと思ったが、それよりも優先して
要求したいことがあったので、今は何もいわなかった。
 そう、虎徹の家族への事実の開示と、謝罪。
 虎徹がどれほど家族を想っていたか、バーナビーは誰よりも知っている。
 だからそれだけは譲れないと、ほとんど脅しのように上層部の腐れ役員を説得した。
 彼らを追い詰めるのに、なんの痛痒も覚えなかった。
 もはや、彼らはバーナビーの敵ともいえる存在だったからだ。
 彼らがもし虎徹を保護せず、放置または見殺しなどにしていたら、間違いなくバーナビーは近
年まれに見るくらいの重罪人になっていたかもしれない。
 何に対しても及び腰な彼らの優柔不断さが、今回ばかりは己の命を救ったともいえる。
 むろんそのおかげで、バーナビーも立派なKOHでいられたわけだが……
 現在アポロンメディアのヒーローは、シングルでその後バディになることはない。
 これは、新たな契約であった。
 その条件で、バーナビーはヒーローとして再契約したのだ。
 そしてワイルドタイガーの殉職によって、最初で最後になったバディヒーローは、後にシュテ
ルンビルトに語られる伝説になったのである。




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