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傍にいてもいいですか?



「貴方はヒーローの仲間も、シュテルンビルトの人々も全て救いました」
 その命を賭けて。
 バーナビーは遥か上空の女神像を見上げた。
 いまだ、先日の戦闘の跡が生々しく残っており、美しい彼女の顔は無残に潰れていた。
「でも…、僕を殺したんです」
 涙腺が壊れるほど泣いて、泣いて…そして涙が出なくなった時、バーナビーの時間は止まった
のである。
 あの事件の全貌は、その後のヒーローたちの活躍により白日のもとに晒された。
 ヒーロー界全体を揺るがすスキャンダルに、一時は騒然となり、世論も厳しい目を向けた。
 けれどヒーローそのものを廃止するには、もはやシュテルンビルトにそのシステムは浸透しす
ぎていたのだ。
 結局のところNEXT犯罪は横行しているし、治安の悪さも問題だ。
 それに対抗して作られたシステムが、選ばれたNEXTによるヒーローという存在だったのだ
から仕方がない現実でもある。
 警察機構にそれに準する特殊部隊を作るという案もあったが、資金の問題もあるし人材の問題
もある。上層部も頭を抱えてしまい、やはり現行のシステムが一番効率がよいということに落ち
着いてしまう。
 事件の顛末が明らかになって行くに従い、ヒーローたち個人に非はないということで批判が向
けられることは少なくなってきた。
 事件を起こしたのはヒーローを統括するトップではあるが、その事件を解決したのがヒーロー
であるというのも救いになった。
 それになにより……
 バーナビーは、ジャスティスタワーの掲示板にでかでかと映し出されたそれに、ぎりっと唇を
噛んだ。
 シティを救った偉大なるヒーローの御霊に黙とうを。
 この一週間、この時間になるとヒーローTVはもちろん、各局のTVの帯にこの一文が一分間
流される。
 ――そう、今回の事件には悲劇の英雄がいたのだ。
 先程までさざめいていた道沿いも、そのテロップに気がついた人々が黙とうを捧げている。
 ワイルドタイガーこと、鏑木・T・虎徹が亡くなった時間だった。
 命を賭して、このシュテルンビルトを救った英雄。
 この報道がされた途端、世間はヒーローに寛容な目を向けるようになった。彼はまさにヒーロ
ー界をもその命で救ったのだ。
 ほんとに、だから貴方は甘いというのです。
 なんでもかんでも救おうとして…、でも忘れてませんか?
 貴方はドジなんです。
 そんなに両手をいっぱいにしたりするから取りこぼしちゃうんですよ。
 僕や、貴方の家族を。
 今にも泣き出しそうな苦笑を浮かべて、けれど次の瞬間には全てを振り払うように激しく首を
振った。
 バーナビーは黙とうを捧げる人々を、忌々しそうに掻き分けて早足で歩きだした。
 

 ヒーローTVが本格始動に向けて動き出した。
 先代ヒーロー達に加えて、新たなヒーローの加入も着々と進められている。
「ヒーローをやめようと思ってます」
 今日、ロイズにそう告白した。
 もともとヒーローをやっていたのは両親の敵を取る為である。結局それすらも、とんだ茶番だ
ったわけだが、ともかく今やバーナビーにヒーローを続ける意味はなくなった。
 先日勧められた、新しいバディとやらの話も聞きたくなかった。
 あの人以外に僕のバディはいない、そう宣言して断った。
 ロイズは僕の退職理由がそこにあるのかと思ったのか、シングルで構わないからと引きとめに
かかった。
 実際、アポロンメディアの看板であったバディヒーローの両方が同時にいなくなるというのは、
会社としても避けたいところだろう。
 でもバーナビーには他人に気を使っている余裕はなかったのだ。
 ここは、僕には辛すぎる。
 虎徹さんの思い出が多すぎて。
 虎徹さんが使っていた机、椅子。そして、そこにあるはずの笑顔を探してしまう。
 心がねじれて軋しんでいく。今にも悲鳴を上げて引きちぎられそうだ。
 どうしてわかってくれないのだろう。
 僕はもう、息をしていることさえ辛いのに……
 

 結局ロイズは辞表を受け取ってはくれなかった。
 一カ月近く残っている有給をつかって、今はゆっくりと休めと言って追い出された。
 結果は同じなのに。
 重い足取りで自宅へともどる。
 玄関をあけると、いつもながら殺風景な我が家が広がっていた。
 とはいっても、最近は一部の生活空間はごちゃごちゃと物に溢れていた。
 すべて、虎徹の持ち込んだ物である。
 彼は居心地がいいといって、ここによく泊っていった。
 そして、そそっかしい彼はよく物を失くす。
 したがって新しいものを買ってくるのだが、大抵は数日たつと出てくるのだ。そうやって増え
たガラクタが所狭しと並んでた。
 もう新しいのがあるんだから捨てればいいのに、そう言うと、
「いやぁ、また失くすかもしれないだろ〜、それに勿体ない気がしてさ」
 そういって下がりがちの目尻を更に下げてへラッと笑った。
 当時は、その度にいちいち腹を立てたものだ。
 あの琥珀色の瞳が、優しげに自分を見つめることの本当の幸福さえ知らずに。
 そしてキッチンはもっと最悪だった。
 彼でないと何がどこにあるかわからないカオス状態だ。
「ひどいですよ、虎徹さん。これじゃ本当にチャーハンくらいしか作れないじゃないですか」
 バーナビーは、着替えもせずにキッチンに立つとチャーハンを作りだした。
 手慣れたとはまでいかなが、そこそこ美味しそうに出来たものを皿に盛り付けると、いつも虎
徹が座っていた椅子へと腰掛ける。
 匙でぱらりと上手に炒め上がったそれをすくう。
「ほら、美味しそうでしょ?貴方がいないとき、何度が作ったんですよ。今度食べてもらおうと
思って……」
 口元へスプーンを持ち上げて、けれど結局食べることができなかった。
 ガチャンッと皿ごと床にこぼれ落ちる。
 震える両の手のひらで顔を覆った。
「貴方は本当にひどい人だ」
 両親の敵をとるという業しか持っていなかったバーナビーに、その他の物を与えたのは虎徹で
あった。
「溢れるほどの痕跡を残して、さっさと消えてしまうなんて反則です」
 もう、どんなに哀しくても涙は出なかった。
 どんなに泣いていたって、かつて優しく撫でてくれた手はもうないのだ。
「いなくなるなら、何もいらなかった。そうすればこんな風に失うこともなかったのに」
 これは怒りに近い。
 どうして今、貴方はここにいないんですか?
 僕がこんなに苦しんでいるのに。いつも貴方は駆けつけてくれたのに。
「ねえ、虎徹さん。僕が傍にいっちゃだめですか?」
 ああ…、でもきっと貴方は顔を真っ赤にして怒るに決ってますよね。
 わかっている、傍になんて置いてくれない。
 本当に貴方は、なんて優しくて残酷な人だろう。


 ヒーローTVでは連日、ある特別番組と特集でとんでもない視聴率を叩きだしていた。
 故鏑木・T・虎徹の慰霊セレモニーに合わせて文字通りのお祭り騒ぎだ。
 ここまで盛り上げるのにはもちろん理由がある。ヒーローの完全復活をその日に持ってきて、
市民の心を掴もうという上層部の魂胆だ。
 くだらない、なにもかもが茶番だ。
 もちろんバーナビーは元バディとして引っ張り出されるところだが、どうやらロイズが気を回
してセレモニーの当日までは表に顔を出さなくていいように調整してくれたようだった。
 彼は彼なりにバーナビーのことを本当に心配しているようである。
 だが、むろんバーナビーはセレモニーにさえでるつもりは毛頭なかった。
 そして、家に閉じこもったまま半月あまり経った頃、突然カリーナがバーナビーを訪ねてきた。
 彼女は密かに、と言ってもヒーローのほとんどが知るところであったが、虎徹に恋心を抱いて
おり、彼が亡くなった後はひどく沈んでいた。一時期かなりひどかったようだが、最近やっとT
Vにも顔をだすようになった。
 家に入れるつもりなどなかったが、彼女のやつれ果てた顔をみてバーナビーは仕方がなく玄関
を通した。それにヒーローを代表して、と言われたら無碍に返すわけにもいかなかった。
「散らかってるけど」と前置きしたバーナビーが案内した部屋を見た瞬間、カリーナは思わず足
を止めた。 
 この部屋に入るのはもちろん初めてだ。
 バーナビーは進んで自分のテリトリーに他人を招くような性格ではなかったし、虎徹の他にこ
こを訪れたのは、仕事の際に来たというキッドくらいだろう。
 キッドは部屋に入った感想を、生活感がなくてなんだか妙にキレイだった、と言っていた。
 その部屋が……
 壁や床には不自然な傷が幾つもあり、TVは中央にひびが入って壊れていた。机にはビタミン
剤の瓶が転がり、コップや皿が出しっぱなしになっている。
 バーナビーは億劫そうにコップを片付け始めた。さすがに客を迎える状態じゃないと思ったよ
うである。
「ちょっとバーナビー、ちゃんとご飯食べてる?」
 カリーナは瓶の蓋を閉めながら、邪魔にならない程度の手伝いをした。自分の物を他人に触ら
せるのを嫌がるバーナビーを気遣ってのことだった。
「……お互い様でしょう、あなたこそ痩せましたよ」
「私はっ…、あら?バーナビーその腕時計、もしかして」
 カリーナの心配に、皮肉で返してきたバーナビーにさすがにカチンときたが、コップを片付け
る腕にあるものを見つけて驚いた。
 とても見慣れたものだったが、それは彼の腕にあったものではなかったからだ。
「ああ…、これは、形見分けでもらったんです」
 バーナビーの左腕には、生前虎徹がつけていた黒い幅広の腕時計が巻かれていた。
 ふと、カリーナは違和感を感じる。
「ちょっと、バーナビー…っ!?」
 立ち去ろうとしたバーナビーの腕を取って、引き寄せた。
 あまり勢いよく掴むものだからコップが一個転げ落ちて、床にガラスの破片が飛び散った。
「なによ、コレ?」
「なにって、なに?手を離してください、コップが割れちゃったじゃないですか。片付けないと。
ああ、貴女はそこにいてください、せっかく来たんですお茶くらいだしますよ」
 いきなりの乱暴な所業に怒ることもなく、バーナビーはにこやかにカリーナを押し戻した。
「お茶なんかいいわよ!この傷はなにって聞いてるのよ」
「え、傷?」
 バーナビーはカリーナの剣幕にすこし迷惑そうに、けれどなにを言われているのかわからない
という仕草で首を傾げた。
 腕時計のベルトの隙間から、ちらっと見えた裂傷のような傷……
 思わず腕時計を取ろうとして手を伸ばしたが、触れようとした瞬間「触るなっ!」と普段のバ
ーナビーからは考えられない、激しい拒絶の声に驚いて身体ごと腕を引いた。
「あ、ああ…と、すみませんっ、急にひっぱるものだから驚いて。でも、安心してください、怪
我なんかしてませんよ見間違いです」
 カリーナは、バーナビーの笑顔に心臓が凍るような感覚を覚えた。
 それこそ整った顔に、花が咲くような綺麗な笑顔だったのに、首の後ろの毛が全部そそりたつ
ような気分だった。
 なにか触れてはいけないものに触れてしまったような、そんな感覚。
「そ、そう、ならいいのよ。ここ数日、会社休んでるって聞いてちょっと心配だったから様子を
見に来ただけなの」
「いま僕は有給休暇中なんですよ、ロイズさんから聞いてませんか?」
「き、聞いたわ、一週間後のセレモニーには出るって言ってた」
 バーナビーはそれには答えず、にっこり笑った。
「どうやらご心配をかけたようですみません、僕はこの通りピンピンしてますので大丈夫です」
「そう、ね。あ、これは他のみんなからよ。果物やすぐに食べられるものが入ってるわ。なんな
ら私がつくってあげてもいいんだけど」
 そこへきてようやく思いだしたように、手に持っていた袋をバーナビーに手渡した。
 バーナビーはそれを受け取ると、ちょっと困ったような笑顔で首を振った。
「いえ、お気持ちだけでけっこうです。実はキッチンは、虎徹さんが好きなように使っていたも
のだから何がどこにあるのかさっぱりで、本当に困った人ですよね」
 でもこれはありがたく戴きますね、と言ってキッチンの方へ歩いていった。
「へ、へえ、そうなんだ。じゃあしょうがないわね、それなら今日はとりあえず帰るわ」
「え?お茶くらいなら、すぐに出せますよ?」
「ううん、実は学校抜け出してきちゃったから、すぐ戻らないと」
 キッチンから顔を覗かせたバーナビーに、カリーナは言い訳のようにいって玄関へと向かう。
「そうですか、今日はわざわざありがとうございました。他の皆さんにもそう伝えてください」
「ええ、わかったわ。バーナビーも身体に気をつけてね」
 カリーナは笑顔で家を出ると、見送りはいいからと言って早々に扉を閉めた。
 その場でどれくらい立っていただろう。
 どきどきと踊りまわる心臓を落ちつけて、震える足でようやく歩き出した。
 バックからハンカチを取り出すと、汗がびっしり張り付いている額を拭う。
 全然、暑くなんかないのに冷たい汗がつぎつぎ浮かんできた。
 正直、怖いと思った。
 そしてなぜそう思ったか、ふと思い至った。
 笑顔だ。
 バーナビーの不自然なほど綺麗な笑顔。
 これまで一年近く見てきて、あんなに笑った顔を見たことがなかった。最近は、よく笑顔をみ
るようになったが、考えてみれば大抵は虎徹に向けられていた。
 そして、あの手首……
 バーナビーは誤魔化していたけれど、たぶんあれは自傷による傷だ。
 ううん、もしかしたら誤魔化したつもりなんかなかったのかもしれない。無意識の行動なのだ
としたら?
 ――誰かに相談しないと。
 早く……
 カリーナは、自然と早くなる足をゆるめることなく必死に歩いていた。


        

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