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傍にいてもいいですか?3
     (goodEDver.)



 あれからさらに6年の年月がたった。
 病室とは思えない重厚な扉が、静かに開く。
 すらりと鍛え上げられた完璧な体躯の青年が、窓辺にあるベッドへと慣れた足取りで歩いてゆ
く。
 脇に置いてある椅子を引き寄せて、おもむろに腰掛ける。
「髪、すこし伸びちゃいましたね、また切らないと」
 額に掛かる髪を触って、バーナビーは小さく笑う。肩にまで掛かっている黒髪を一房つまんで
するりと撫でる。
 この特別室に眠る住人は、この6年間一度も目を覚ますことはなかった。
「おじさん、愛娘の晴れ姿を見逃がしちゃいましたよ」
 彼の娘は、今年高校生になった。
 実は、彼女にせがまれてバーナビーは入学式にも行った。
 たくさんの写真を取って、この病院にも飾ってある。
 いつまでも何くれとなく虎徹の世話をしているバーナビーに、彼の家族はそれこそ恐縮至極だ
ったが、それこそよけいな心配だった。
 なんのことはない、バーナビーが虎徹の傍にいたいだけなのだ。
「ねえ、しってますか?おじさん」
 虎徹の痩せた胸に、こてんと頭をのせた。
「今日は僕の誕生日です。僕もすっかりおじさんの仲間入りですよ」
 手の甲に刺された点滴の針に触れないように、手のひらを潜らせるようにしてそっと握った。
 腕の内側は左右とも血管が硬くなって、点滴の針を刺すところがもうなかった。
「初めての誕生日プレゼントは、よけいなお節介とポイントでしたね」
 思い出したように、バーナビーはすこし苦い顔で笑った。
 意地をはって、お礼の一つも言えなかった。
「でもね、白状しちゃいますけど、すごく嬉しかったんです。両親が亡くなってからは、サマン
サおばさんにしか祝ってもらえなかった誕生日だったけど、思いがけず祝ってもらえて…」
 そしてあの日からは、誰にも祝われなくなった誕生日を何年も送ってきた。
 まったく力の入ってない手のひらを、まるで体温を確認するように切なそうに何度も握り直し
た。
「誰にも祝って貰わなくても、ちゃんと年は取るんです。早くしないと、僕がおじいちゃんにな
っても知りませんよ」
 だから、早く起きてください。
 何年も、バーナビーは虎徹に語りかけてきた。
 ときには泣きわめいたことも、怒ったこともある。
 だってね、虎徹さん…、僕が本心でぶつかれるのは貴方だけなんです。
 このまま僕に独り言を言わせ続けるつもりですか?
 自嘲のような笑みが浮かぶ。そして――
 そっと手を引き抜こうとした時、ふと違和感を感じた。
 上から被さっていた手が、ぴくっと動いた気がしたからだ。
 がばっと起きあがり、虎徹の顔見る。
 でも、やはりそこには瞼を落してただ眠る姿があるだけだ。
 落胆して、繋いでいた手を離そうとして、今度こそ心臓がどくんっと波打った。
 確かな力が、バーナビーの手を握り返してきたのだ。
「っ!?……っ」
 もう一度、振りかえって完全に息が止まった。
 何か言いたげに唇が動いたかと思ったら、ゆるゆると瞼が上がっていったのだ。
 小さく痙攣した瞼の下から、まるで濡れたような琥珀の瞳が現れる。
 何度か瞬きをして、ふと固まっているバーナビーを見た。
 バーナビーは、凍りついたように指一本動かせなかった。たぶん、息も詰めたままだったかも
しれない。酸素不足で心臓が早鐘のように鳴っている。
 時間が巻き戻ったかのように、虎徹はいつもと変わらない笑顔で目を細めた。
「こ…、こ……っ、こ」
 ニワトリか!と笑いたくなったが、喉が張り付いたように声がでなかった。
 バーナビーが平常心を取り戻す前に、虎徹の方が自分の状況を不思議に思ったようだった。
 様子が違うことに気がついたのか、周りを確認しようと首を動かして顔をしかめる。
「な、なにこれ、身体が動かな…げほっ、ごほっ」
 声を出したと思ったら、途端に激しくせき込んだ。
 動かない身体を弱々しくばたつかせて、なんとか起きあがろうとしている。
「あっ、慌てないで、虎徹さん!急に動かないでください。貴方は、6年近く眠ったままだった
んですよ」
「…は?6年……、って、ぐっ、ごほっ、えほっ、…っ!」
 目をぱちぱちと瞬いて、なにそれ!と叫んですぐにまた噎せ返った。
 起きたとたんに、一気に騒がしくなる。
 バーナビーはナースコールを押して、虎徹が目覚めたことを連絡した。
 想像していたような感動的なシチュエーションは全然、まったくこれっぽちもなかった。
 けれど、バーナビーは「これが虎徹さんか」と妙に納得してしまった。
 落ち着いてくださいと、どんなに言っても虎徹はなんだかソワソワして動こうとした。
 それで身体が思ったように動かないから、やっぱり癇癪を起こす。
 虎徹が目覚めてからこっち、ずっとこの繰り返しだった。
 何年も眠ったきりの患者が目覚めたばかりでこんなに騒がしいのは初めてですよ、と医者にま
で呆れられる始末だった。


 それから数日間は検査検査の毎日で、虎徹は目が覚めた直後より元気がなくなってしまった。
「大丈夫ですか?検査はこれでおわりだっていってましたよ。あとは結果まちです」
「病院ってあれだよね、健康な人間も病気になっちゃうよね」
 疲労のあまり、とんでもないことを言っている。
 ぐったりと重いため息をつきながら、虎徹は肘かけに行儀悪く身体を預けていた。
 長い間眠ったままだった虎徹は、体中の筋力が衰えて歩けないために車いすで移動している。
 今日はバーナビーが仕事を休んで付き添ってくれていた。
「おまえ仕事よかったのか?別に付き添いなんていらないのに」
「いいんです、有給が腐るほどあるんですから。知ってますか?僕は史上初の6年連続のKOH
なんですよ」
「聞いた聞いた、耳がタコだ。えらいえらい」
 ようやく病室に戻ってきて、バーナビーは虎徹を車いすからベットへと移した。
 あの超豪華な個室は落ち着かないといって、今では普通の個室を与えて貰っている。
「なんですか、その言い方は。すごくがんばったのに、もっとちゃんと褒めてくださいよ」
「なんだお前いい年して……」
 虎徹は目尻を下げて困った奴だな、といいながらバーナビーの首の後ろへと手を差し込んだ。
バーナビーはそれに誘われるようにベットに手をついて、体重をかけないように身体を寄せる。
 ちゅっと音を立てて、虎徹がバーナビーの唇を吸った。
「それだけですか?」
 すぐに離れた唇を追うように、バーナビーがちょっとだけ身体を押しつけるようにのしかかった。
「ん、こらっ、重い……って、」
 押しのけようとする弱々しい抵抗など、いまのバーナビーには意味がなかった。この6年間、
ただ眠っていただけの虎徹と、ヒーローとして鍛えてきたバーナビーとではその体格に歴然とし
た差があったのだ。
「ねえ、虎徹さん」
「え…、ん?なに…」
 濃厚なキスの合間に、突然バーナビーが話しかけた。
 すっかり息も切れ切れの虎徹はなんだか視線が危うかったが、バーナビーは気にせず続ける。
「退院したら、僕のところに来てくれるんですよね?」
「っ…!」
 腕の中で、虎徹の身体がわかりやすいほど震えた。
「それとも実家に帰りますか?」
「それは……」
 虎徹の家族が、退院したら彼を引き取ることは目に見えていた。
 そして虎徹もそのつもりなのだろうと。でも――
「家族を捨てろとはもちろん言いません。でも、僕は貴方を誰にも渡すつもりはないんです」
「バ、バニー…?」
 バーナビーに気圧されるように、虎徹はベットにこれ以上ないほど身体を沈めた。
 苦しいほどに圧し掛かられて、自然と喘ぐようになる浅い息を必死で吸った。
「僕は、貴方を閉じ込めて隠してしまうかもしれない」
「おまっ、怖いこというな」
 ふと表情を緩めると、バーナビーはすっかり硬くなった虎徹の緊張をほぐすように首筋に顔を
埋めて優しい仕草で愛撫を続けた。
「嘘ですよ」
「はっ?もう、おまえヤダ…、うわっ…く、くすぐったいし」
 耳の後ろを舐めると、びくっと身体を揺らして「わひゃっ」とか色気のない声をだした。
「でもね、僕は諦めませんよ。もし実家に帰ったら、すぐに迎えにいきます」
「はあ?なにそれ…、ぎゃっ?痛たたっ、噛むなっ」
「ちゃんと部屋も、バリアフリーにしておきますよ」
「やめて、お願い……まだ介護とか早いから」
 顔を上げると本気で涙目になっている虎徹に、くすりと笑ってしまう。
「本当は、僕のところにすぐにでも来てほしいけど、それは貴方に任せます」
「バニー、お前さ……」
 言葉を遮るように、バーナビーは無理やり口づける。
 喋りかけた形のままの唇を強引に開かせて、また深く口内を弄った。
 今の虎徹は、すぐに息が上がってしまうので数秒と立たないうちに、喘ぐように空気を求めて
口を開けてしまう。そんな息をも飲み込むようにバーナビーは虎徹を求め続けた。
 この人を、失えるはずがない。だから……
 ふと気がつくと、弱々しい掌がパンパンとバーナビーの背中を叩いている。
 思わず夢中になっていたバーナビーが虎徹を離すと、意識を失う寸前のようにひゅーひゅーと
喉を鳴らしていた。
「しっ、死ぬわーっ!!手加減しろ…ばか」
「あ…、すっ、すみません、なんか意識とんじゃって」
 しょんぼりと頭を垂れたバーナビーに、虎徹は小さくため息をついた。
「もう……、なんだってこんなおじさんがいいの?」
「貴方がいなくては生きていけません」
「ちょっ…、よくも恥ずかしげもなく言うね、そういうこと」
「本当のことですから、別に」
 思わず乙女のように身を捩らせて恥ずかしがる虎徹とは、うって変わってバーナビーは平然と
したものだ。
「なんか…、バニーちゃんってぜんぜん変わってないね」
「そうですか?結構みんなには丸くなったって言われてるんですが」
 やがて、根負けしたように虎徹が大きな息を吐く。
「そこまで言われると、いっそ本望というか…」
「虎徹さん?」
 細くなった腕を上げて、バーナビーの整った顔を指でなぞった。
「こんなにいい男に熟したのに、まだおじさんのこと好きだったなんてびっくりだわ」
「貴方は、もう僕のこと好きじゃなんですか?」
 ふっと、自嘲気味に笑う。
「オレは6年前のままだ」
 バーナビーは思わず息をのんだ。
 とっさにすみませんと謝ってしまい、虎徹が小さく首を振って苦笑する。
 そうだ、この人には空白の時間がある。言ってみれば、突然6年後にタイムスリップしたよう
なものなのだ。
「……じゃあ、なんの問題もないですね」
 バーナビーは、晴れやかな顔でそう言った。
 虎徹はすこし驚いたような顔をしたが、すぐに「そうだな」といって幸せそうに笑った。


 虎徹は6年眠っていたとはいえ、基本的には健康体だった。
 体力と筋力が落ちているのでリハビリが必要だったが、半月もするといつでも退院できる状態
にまでに回復した。
 ただ、リハビリはまだ数か月続けなければならず、病院にはほとんど毎日通わなくてはならな
かったのだ。
 入院したままリハビリを続けるという手もあったが、やはり退院したかった虎徹はバーナビー
の言葉に甘えて、結局お世話になることにした。
 むろんバーナビーには願ったり叶ったりだし、退院をそれとなく勧めたのもなし崩しに家へと
招きいれるためだったりする。
 いまだ車いすのままだったが、これは体力を消耗しないためで少しの時間なら普通に歩くこと
はできるようになっていた。
「どうしたんですか?虎徹さん」
 ある日帰宅すると、珍しく何もせずにぼんやりしている虎徹を見つけてバーナビーが怪訝そう
に声をかけた。
「あ、おかえり。そか、メシまだつくってねーわ、ごめん」
「そんなこといいんですけど、どうかしたんですか?なんか元気ないですね……ま、まさか病院
でなにか?」
「えっ?ああ、いやそんなんじゃないよ。身体は健康だ」
 バーナビーは「じゃ、どうしたんです?」と、明らかに様子のおかしい俯いたままの虎徹の顔
を覗き込んだ。
「いや…、なんて言うかいろいろあって忘れてたけど、その…、使ってみたんだわ」
「え?なにを」
 じっと、手のひらを見詰めた虎徹にバーナビーはドキンと胸が鳴った。あの日、告白された能
力減退のことを、むろん忘れてなどいない。ただ、今まで虎徹が何も言わなかったので、あえて
追及しなかったのだ。
「…、ハンドレットパワーですか?」
「そっ…」
 虎徹は眉尻を下げて笑った。
「まったく、なにも起こらなかった。消えちまったみたいだ」
「そ、そうですか」
 我ながら間抜けな返答だった。
 気の利いた言葉の一つも出はしない。
 平気そうに振舞っているが、表情が思いっきり裏切っていた。もともと全部顔にでるのだから
無理もない。
 寂しそうな瞳が、床を見つめて不安定な動きをする。
 咄嗟になにか話しかけようとして、すぐに諦めた。
 こんなとき虎徹がどんな反応をするか嫌というほど知っているからだ。
 絶対に無理をして笑う。
 僕のまえでまで無理をすることなどないのに……
 バーナビーは立ちあがると、虎徹を車いすから抱き上げた。
「今日はもう眠ったほうがいいですよ…、なんなら軽く何かつくりましょうか?」
「いや、今日はいいよ食欲ないし」
 いつもなら部屋の中でくらい自分で歩くと駄々をこねる虎徹が、今日は黙ってバーナビーに運
ばれている。
 このこと事体が、もうかなり落ち込んでいる証拠だろう。
 寝室に運んだ虎徹を寝かせつけると、バーナビーはそのベッドに物憂げに腰かけた。
 しばらくして、ふとバーナビーが口を開いた。
「先の事はわかりませんが、僕だっていつまでもヒーローを続けることはできません」
「なに?バニー…」
 やはり疲れていたのだろう、すでに微睡みかけていた虎徹はバーナビーが突然話しだしたので
驚いたように眠そうな目を向けてきた。
「だからですね、そのうち会社の一つでも起こそうかと思ってるんです」
「へー…」
 藪から棒になんだ、と思ったがバーナビーなら若社長とかも似合いそうかな、と思って小さく
笑った。
 半分ほど寝ぼけながら「そうかー」とか適当に相槌を打っていると、バーナビーがその反応に
ちょっと不満そうな顔をする。
「そこで貴方を使ってあげますよ」
 掃除のおじさんとしてね、といきなり突き落とした。
「おまえ、相変わらず上から目線だな……」
 虎徹は、呆れたように目をぱちぱちさせた。おかげでちょっと目が覚めた。
 少しばかり溜飲を下げたバーナビーが一呼吸おいて、「でも…」と先を続ける。
「今は、6年分の虎徹さんを取り戻すことに集中したいんです」
「なんだそりゃ…、お前ってほんとしょうがないな」
 バーナビーは油断するとうとうと始める虎徹に、そっと寄りかかるように被さった。
 身体の上に重みを感じて、おじさんが「うー…」と不満そうに唸る。
「なんだよ…、今日は眠ったほうがいいって言ったの、おまえだろ」
「そうでしたか?忘れました」
 けろっと言って虎徹の頬と額に口づけた。
「もー…、お前ほんとヤダ」
「貴方、そればっかりですね。いやしか言えないんですか」
 バーナビーは構わずするりとベットに潜り込んできた。
 うぎゃ、と相変わらず雰囲気を台無しにする声を出した。
 逞しく育った元後輩の身体が至近距離で押しつけられて、虎徹は思わず真っ赤になってしまっ
たが、同時に青褪めて押しのける。
「うわっ?本気なの…、だ、だめだぞ本当に!今は、マジ無理だからっ。お前にやられちゃった
ら本気で死んじゃうから」
「……わかってますよ、たぶん一度始めちゃったら我慢できなくなるし」
 あっさり引いてくれたバーナビーに、虎徹は本気で情けない顔で溜息をつく。
「ご、ごめんな…」
「いいですよ、今はこうして傍にいられるだけで」
 それが叶わなかった時の苦しみに比べたら、どんなに幸せなことだろう。
 こうして、近くに直接肌の温もりを感じられるのだから。
 パジャマの胸に顔を押しつけるようにしてバーナビーが甘えるようにすり寄ってきた。
「虎徹さんの匂いがする」
「わっ、こら。あんまりくっつくな…」
 けれど、がっちり腕を巻かれてはもう逃れる術がない。
 心臓のどきどきが聞かれないか心配になりながら、虎徹は小さく苦笑した。
 ハンドレットパワーがなくなったのはショックだった。
 本当はヒーローをやめたくなかったし、人の為に戦う幸せを失うのは怖かった。
 けれど、今は……
 こんなオジサンのために、なにもかも投げ打ちそうなバカを守っていかなければならない。
 バーナビーや、手の届く者たちのヒーローであり続けなければならない。
 ならもういいや、と納得してしまった。
 実際なくなったものは仕方がないし、世間的にワイルドタイガーは死んでいるのだ。
 なら、やれることをやるしかない。
「おじさんも幸せになってくださいね……」
 まるで心の声が聞こえたように、微睡みかけたていバーナビーがぼそりと言った。
 寝言だろうか?虎徹はくすっと笑って、でかい図体で甘えてくるバーナビーの柔らかい髪を撫
でた。
「お前もな」
 年も取ったし、能力もなくなった。
 しかも体力も落ちて、人並みのことも今はできない。
 でも幸せなことが一つでもあれば、人は容易に生きていける。
「オレは、ちゃんと幸せだよ、バニー」
 子供のように縋りついているバーナビーの髪に虎徹はそっとキスをした。
 ――彼の恋人として。





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