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炎の烙印8

 

それから一週間ほどすると、虎徹は驚くほど回復していた。
 病院内を自由に歩いていたし、ちょっと目を離すと院内のトレーニングルームで勝手に身体を
動かしたりしていた。
 だが、実際は大抵そのあとにバーナビーに大目玉をくらったりしている。
 リハビリ以外の運動は厳禁と言い渡されていたからだ。
 というのも、火傷や他の外傷はそれほどでもなかったのだが、問題は傷ついた視神経のせいで
ほとんど見えなくなった左目だった。片方の目が見えないというのは、思った以上にストレスに
なるし、遠近感覚がなかなか掴めず虎徹自身かなり戸惑っているらしい。
 右目の負担も半端ないらしく、眩暈もひどいようだ。
 それに、呼吸器は外せものの喉の炎症はなかなか良くならず、ちょっと無理をしては熱を出し
て寝込むということを繰り返したりもした。
 虎徹の頑張り過ぎる悪い癖がここへきて、バーナビーの気苦労の種になっていた。
「虎徹さん、すこしはじっとしていてください。何のために入院してるんですか!」
「だって……」
「だってじゃありません。いいですか、今日はもう一歩たりとも動かないでくださいね。お医者
様の厳命です!動いてるの見たら、縛りつけますよ」
「……なんのプレイよ」
 ぎろりっと睨みつけられて、虎徹は首をすくめた。
 どうやらよっぽどおかんむりのようである、冗談をきく気はないらしい。
 それも仕方がない。
 昨日、バーナビーが会社に行ってる間に禁止されているトレーニングルームでちょっぴりジョ
ギングなどしていたら、ぶっ倒れてしまったのだ。
 しかも、それをバーナビーに発見されてしまうという失態をおかしてしまった。
 怖い顔で釘を刺して、バーナビーは会社へと行った。
 もう泊まり込まなくていいと言っているのに、バーナビーはここから会社に通っていた。
 もちろんヒーローの仕事は今は一人でこなしている。ワイルドタイガーは、怪我の療養中と
いうことで休暇扱いだ。
 崖っぷちだった頃だったら、間違いなく首だっただろう。
 虎徹は、枕へ沈みこんだ。
 そっと右目を隠した。
 左目だけでは本当にほとんど見えない、明暗がわかるくらいである。
 医者はもうすこし視力が戻るかもしれないとは言っていたが、このままの可能性もある。
 微熱の原因を作っている喉の火傷はほとんど治っているはずだし、声帯の傷もたいしたことな
いはずなのに声が出しずらい。
 思い通りに治らない身体に、すこし焦っているのかもしれない。
 無理をしたって早く治るわけじゃない。
 それどころかきっと悪循環になっている。
 でも、虎徹の性格ではじっとしていることの方が苦痛なのだ。
 バリバリ身体を動かして治す方が、どんなに楽かわからない。
 虎徹は熱く感じる喉を押さえながら、自然と浅くなる息を小さく吐いた。
 昨日から続く微熱のせいで、身体が重い。
 どんなに気持ちは焦っても身体は正直である。
 横になっていると自然と睡魔が襲ってきて、やがてうとうとと眠ってしまった。
「……??ん…」
 どれくらいたっただろうか。
 人の気配と温かい温もりを感じて意識が浮上した。
 ふと目をあけると、バーナビーの顔がごく至近距離にあった。
 彼の碧の瞳が、今は長いまつげに縁取られた瞼に隠されている。
 虎徹が身じろぎしたのに気がついたのか、ぱちっとその双眸が開く。
 うわ、本当に綺麗な目だな……
 とか呑気な事を考えていると、がばっと被さっていた上体が飛びのくように起きあがった。
 虎徹は、半分ぼんやりしながら上から少し戸惑ったような視線を落す後輩を見上げていた。
 ひどく動揺しているのか、バーナビーは口を開かない。
「バ…、ニー…?」
 もともと出にくい声が、寝起きの為にますます掠れて喉がつかえた。
 思わず咳込んで、何気なく濡れた唇をぺろりと舐める。
 すると、みるみるバーナビーが真っ赤になって「す、すみませんっ!」と口を押さえて謝った。
 一瞬なんのことかわからなかったが、だんだん思考がはっきりしてくると今度は虎徹が驚く番だ。
「え…っ?あれ、これっ」
 まさか、おじさんキスされてたの?バニーちゃんに?
 でなきゃ、唇が濡れてる筈がない。
 やっぱり、以前から幾度となく感じていたそれらしい兆候は間違いなかったらしい。
「ねえ、聞いていい?」
「は…、はい」
「前から、何度かおじさん襲ってたよね?」
「……すみません」
「まさかとは思うけど、おじさんの事好きなの?」
「はい」
 認めちゃったよ。
 虎徹は、がっくり肩を落とした。なんだかおかしな展開になってきた。
「……おじさん、男よ?」
「それは…、おじさんなんだから、当たり前ですね」
「だよね?……青少年にありがちな、憧れを勘違いしてるとか、ない?」
「別に、ぜんぜん憧れてないので」
「……ちょこっと涙でそうになっちゃった。じゃ、なんなのよ」
 ぷうっ、と頬を膨らませた虎徹に、バーナビーは危なく襲いかかりそうになるのをぐっと堪え
て、殊更ぶっきらぼうになりながら答えた。
「キスするくらいだから、恋愛感情です。決ってるじゃないですか」
 どう対応していいかわからなくなって、虎徹は完全に固まった。
「別にむずかしく考えないでください。すぐにどうこうって話じゃないですし…、もっとも虎徹
さんが絶対イヤって言っても諦める気ないですけど」
 こ、怖いんですけど。
 思わず無意識に身体を引いてしまった虎徹に、バーナビーは同じだけ身体を近づけて逃がすつ
もりがないことをアピールする。
「これだけ確認したいんですけど、僕の事好きですか?」
「それは、まあ、嫌いとかはないけど…」
「好きですか?」
「…えーと、好きですよ普通に」
 はっきり言わなきゃ収まりそうになかったので、虎徹は観念した。
 実際、嘘じゃない。
 キスも嫌じゃなかったってのが驚きだが。
「じゃあ、いいです。別に急いでないので」
 バーナビーはにっこりと笑った。
「とりあえずは虎徹さんのヒーローへの完全復活のお手伝いを全力でさせていただきます。先へ
進むのはそれからってことで構いませんので」
「え?先…って」
「取り敢えずキスは解禁ですね」
 言うなり、虎徹の肩を抱いて触れるだけのキスをした。
「……っ!?勝手にお前っ」
「虎徹さん、だって嫌がってませんし」
 バレてる……いや、そういうことじゃない。なんであいつペースなんだ!
 じたばた抵抗しても、今の虎徹の体力ではどうあっても軽くあしらわれてしまう。
「とにかく今は早く元気になってください。熱さえでなくなれば、すぐでも退院できるって担当
医の先生がいってましたよ」
「え、ほんとか?」
 それを聞いて虎徹が顔を輝かせる。
「はい、だから無理をしないでください。体力さえ戻れば、すぐにトレーニングも思い通りでき
るようになりますから」
「う、わかってるよ」
 半分だけ身体を起こしていた虎徹の背中を支えるように、バーナビーはそっと抱きしめた。
 腕にすっぽり収まってしまう身体はずいぶん薄くなり、パジャマの下には包帯の感触がところ
どころにあった。
 襟ぐりから覗く肩にも、首にもまだ大きな絆創膏が覆われている。
 バーナビーは目頭にじわりと熱いものを感じながら、ぐっと堪えた。
 辛いのは自分なんかじゃないのだ。
 ふと虎徹をみると、泣きそうになっているバーナビーに気がついて、すこし戸惑ったような顔
をしている。
 また他人の心配なんかしてる……
 まったくこの人は。
 バーナビーはごまかすように小さく笑って唇を合わせた。
 ビクッと一瞬身体を引いたが、拒むことはなかった。
 引き結んだ唇を、ねだるように舐めるとちょっと怯んだ様子を見せたが、戸惑いながらも小さ
く口が開いた。バーナビーは背中に回す腕に軽く力を込めて抱き寄せると、初めて愛する人の唇
を割って熱い口内を味わった。

 もっともこの後、虎徹の熱がちょっぴり上がってしまって、薬を処方してくれた医者に訝しま
れたのは言うまでもなかった。



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