
炎の烙印9
退院して1週間、虎徹は会社に復帰していた。
もっともまだヒーロー出動は、バーナビーが許可を出してくれないのでお預け状態だ。
虎徹はもう平気だと言って、会社にはいつでも行けると言って憚らないが、ロイズはどうやら
バーナビーの診断の方を信用しているらしい。
「もう大丈夫だって言ってるだろ、今日のなんてコソ泥程度だったんだろ」
「何言ってんですか、貴方今日トイレの扉に顔面ぶつけてたでしょ?あれがもし車とかビルだっ
たらどうするんですか」
いまだ左目が見えないことに慣れない虎徹は、左側からの反応が著しく悪い。
「い、いや、あれは、たまたま」
「実戦でたまたまは通用しません。もうすこし慣れてからにしてください」
すっかりむくれた虎徹は、がさごそと帰り支度を始めた。
まだ定時ではなかったので、たぶんトレーニングルームに寄って行くのだろう。ただこの様子
では会社に戻らずに直帰するつもりに違いない。
まったくもう子供みたいな拗ねかたをして……
「…お前は、どうすんの?」
「僕はもう少し仕事がありますので、会社からそのまま自宅へ帰ります」
あっそ、と生返事をしてさっさと部屋を出て行った。
退院してからこっち、虎徹はバーナビーの部屋に間借りしていた。
と言うのも退院した直後は、まだ片腕をつった状態だったからだ。
今となっては左目以外はほとんど治っているので、ヒーローとして復活したら自宅に戻ろうと
目安をつけているのだろう。
別にだからといって、バーナビーがヒーロー復帰を渋っているわけでもなかったが、もともと
そそっかしい虎徹が、ますます危なっかしい状態になっているのだから、不安で仕方がないとい
う気持ちもわからなくもない。
むろん、実際はバーナビーがここまで心配するほどの状況でもなかったが、なにしろあの大事
故の後の生死の境を彷徨った姿を見ているのだ。
どこかトラウマに近い精神状態なのかもしれない。
これじゃ虎徹さんを縛ってるみたいだ。
バーナビー自身、苦笑を禁じ得ない。
今度の診察の時に、医者の意見を聞いてそろそろ復帰させてやるべきかもしれない、と溜息ま
じりに決意するのだった。
「あ、タイガー」
「よう、ブルーローズ来てたのか」
虎徹がトレーニングルームに入って行くと、まずカリーナが走り寄ってきた。
「もう平気?大丈夫なの?」
「お前、それ昨日も聞いたぞ。大丈夫だって言ってんだろ」
「でも…、あ!オデコどうしたの?赤くなってる」
「…おう、これはちょっとぶつけて」
さすが目ざとい、さっそく虎徹の今日の失態を見つけたカリーナだった。
「やあ、タイガー君。元気かい、そして大丈夫かい?」
「もーっ、ホントにいつまで病人扱いだよ。オレは元気だし、本当にもうなんともないって……」
続いて入ってきたキースまでも、カリーナと同じことを聞いてきて虎徹はうんざりしたように
首を振った。
と、その時――
「え、…うわっ?!」
いきなり左側に気配を感じて身を引こうとして失敗した。
気がついた時には、腰に腕が巻き付きがっちりホールドされていた。
「相変わらず細い腰ねぇ」
「ファイアーエンブレムっ!ふざけるなよ」
腕を振り上げた虎徹から、ひょいっと身をかわしてネイサンは呆れたように指さした。
「あら、ふざけてないわよ。ってかこんなに簡単に後ろ取られてちゃ話にならないわよ」
ぐっと言葉に詰まった虎徹に、ちょっと心配そうな顔になって聞いた。
「で、実際どのくらい見えてんの?その左目」
「……視力という意味ではたぶん、ほとんどないに等しいと思う」
「なにも見えないの?」
「うーん、明るいか暗いかくらいはなんとなく……」
ふいに目の前に来たカリーナが、虎徹の右目に手の平を当てた。
「私の事みえる?」
虎徹は苦笑して首を振った。
「はっきり言って、右目を隠されるとお手上げだ。この状況に慣れるしかないんだろうけど、な
かなかこれが難しいんだよな」
カリーナはまるで自分の事のように痛みに耐えるような顔をした。
そんな顔しなくてもいい、と虎徹は苦笑しつつ彼女の頭を撫でた。
実際のところ、虎徹はそこまで落ち込んでいなかったし、当初悩まされた眩暈も最近は大分改
善されてきた。
休んでたって視力が回復するわけじゃないし、現場に復帰すれば感覚も戻る気がする。
あとは体力さえ普通に戻れば、バーナビーもとやかくいわないだろう。
というわけで、虎徹はトレーニングに励んでいるわけだが、人が増えるたびに虎徹のところに
きて同じことを聞いてきてきりがない。
まあ、それだけみんなに心配をかけたということなんだろうけれど。
ともかく一日も早くバーナビーを懐柔して現場復帰すること、これが虎徹の目下の目標であった。
「おかえりなさい、遅かったですね」
「ああ、みんなのおしゃべりに掴まっちまったんだ」
「ならいいですけど、あまり無理なトレーニングはかえってよくないですよ」
「わかってるよー」
事故以来すっかり心配性になってしまったバーナビーをかわして、虎徹はシャワールームへと
飛び込んだ。
そして虎徹がシャワーを浴びて来る間に、バーナビーは夕食を温め直していた。
「もう遅いので、軽い物にしました」
「おう、すまないな」
今までは腕が満足に使えなったので、料理はもっぱらバーナビーが担当していた。
そろそろ虎徹もなにか手伝ったほうがいいのかもしれない。
むろん、チャーハンくらいしか作れないが。
「明日病院ですね」
「ん?ああ、そうだな朝行ってくるよ」
ワンプレートのスパゲティと温野菜が乗った皿を持って、虎徹はいつもの椅子へ移動した。
「明日は僕も行って、ヒーロー復帰していいか確認します。ロイズさんにも許可は取ってありま
すので、朝は一緒に行きましょう」
「お、ついに復帰できるんだ」
もくもくと食べながら、嬉しそうに笑う。
「そうですね、たぶん。虎徹さん、でも本当に気をつけてくださいね」
「なんだよ、本当に心配性だな」
お腹がすいていたので皿を一気に空けてしまった虎徹は、さっさと食器をキッチンに持っていく。
「あれ、足りませんでした?」
「いや、もういい。ごちそうさま」
虎徹はさっさとお酒の用意をして、再び椅子に腰かけた。
椅子の上でう〜ん、と背中を伸ばしつつ息をついて、満足そうにグラスを傾け始める。
そんな虎徹の後ろから、バーナビーはそっと肩口に頭を乗せて腕を巻き付けてきた。
「ん?お前も飲むか?」
虎徹は片手でグラスを口に運びつつ、首筋に柔らかい髪の感触を感じながら後ろ手にポンポン
と頭を撫でた。
バーナビーは巻き付けた腕でおじさんの顎を引き寄せ、首を巡らせて唇を合わせた。
「ん…、……バニー?」
「あんな思いはもう二度とさせないでください。僕は、ますます炎が嫌いになりました」
そう言って、前に回り込んで再び口づけた。
「バニ…っぅ、ちょっ……と、まっ」
グラスを落としそうになって、虎徹は慌てて身を起そうとする。
「待ちませんよ…、」
「ちが…っ、コップ落ちる、それに、ここ…」
バーナビーは、唇を離すと虎徹の手からグラスを取って、テーブルへ置いた。
「そういえば、この間途中で転がり落ちましたね、貴方……」
「ばっ、あれはおまえがっ!」
椅子で始めるから…、と声が尻すぼみになる。
バーナビーは、ひょいっとおじさんをお姫様だっこしてすたすた歩き出しした。
「こら、自分で歩く、重いって……」
「貴方気がついてないかもしれないですが、かなり体重落ちてますよ。体力もですが、まず体重
を戻さないといけませんね」
とかなんとか言いながら、バーナビーは実に手際よく虎徹をベットへと運んだ。
結局、その日おじさんはお楽しみの晩酌タイムをすっかり逃してしまい、ちょっぴりゴネて手
間取らせたが、万事バーナビーのペースでいいようにされてしまったのである。
次の日、機嫌がすこぶる良いバーナビーと、一方ちょっぴり元気がない虎徹が連れだって病院
へ行った。
はたして医者の許可は無事におりて、正式にワイルドタイガーの復活が決定したのである。
それから3日後、久々のバディヒーローの復帰を受けて、ヒーローTVはおおいに盛り上がり視
聴率をグングン上げてアニエスを小躍りさせた。
その頃から、バーナビーは再び不可解な炎の夢を見るようになったのだが、虎徹のヒーロー復
帰の前の些事として誰にも相談することはなかった。
結局、それがこれから起こる事件のほんの小さな前触れであったことなど、当人のバーナビー
でさえ想像すらできなかったのである。
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