タイバニトップへ

炎の烙印5

 薄暗い照明の中で、ICUの赤いランプだけが妙に眩しい光を放っていた。
 その扉のすぐ近くの長椅子に、頭を抱えるようにして一人の青年が座っていた。
 重傷で運び込まれた虎徹の手術はとっくに終わり、ロイズにも帰るように言われたが、バーナ
ビーはどうしてもここを離れることができなかった。
 命に別状はない。
 けれど、全身いたるところに裂傷に熱傷、打撲。左腕の重度の捻挫。
 おまけに、頭を強く打っているらしい。
 バーナビーの記憶は、途中からはっきりとしてない。
 気がついたら傷だらけの虎徹が、まるで何かから守るように覆いかぶさっていた。
 ヒーロー達が駆けつけるまでの間、意識のない虎徹を混乱のなか揺さぶり続けていた。
 何度も名を呼んだ。
 全く動かない身体が、腕に重くのしかかる。
 そのあとすぐに救助隊が到着しなければ、バーナビーは正気を失ったかもしれない。
 魂をもぎ取られるほどの喪失感を…、もう一度あの場面を繰り返したら、今度こそ自分は……
 あの時、銃声を聞いた気がした。
 記憶がないのはその後だ。
 まさかあんなところでフリーズ状態になるとは。
 医師の話によると、フラッシュバックを起こしたのではないかということだった。
 今まで炎に対して何の症状もでなかったので油断していた。
 爆ぜた火薬の音が銃声に聞こえたのだろう、よりあの時の現場に酷似した
状態になり、パニックを引き起こしたのだ。
 虎徹は要救助者を助け出したあと、バーナビーを助けに炎の中へ戻ったという。
 その後、火薬庫へ火が燃え移った。
 ぎりぎりのところで屋根の外へは脱出できたが、そこで爆風に吹き飛ばされたのだ。
 虎徹のヒーロースーツはそれまでにかなり損傷していて、大気を焦がすような
荒れ狂う熱風にほとんど無防備で晒されたのだ。
「ほら、ハンサム」
「……え?」
 湯気の立ち昇るカップがいきなり目の前に差し出された。
 現実に引き戻されて、バーナビーは何度も瞬きをして顔を上げた。
 固まったまま動けないでいるバーナビーの掌を掴んで、ホットミルクのカップ
を押しこむように手渡すと長身の身体を屈めて目を合わせた。
「せっかくのハンサムが台無しよ、すこしは眠ったら?」
「……帰ったんじゃなかったんですか?」
「みんなはもう帰ったわ、ブルーローズがかなりしぶってたけどあの子は
高校生だしね。あたしが最後ってわけ」
 帰る前に虎徹の様子を見に来たらしい。
「この様子だと、今日は目を覚まさないわよ?」
「……」
 俯いたまま何も答えないバーナビーに、ネイサンは小さくため息をついて
やれやれと苦笑した。
 もともと何を言っても無駄だろうと予想はしていたのだろう、たいして落胆
した様子もなくポンポンと軽く肩を叩いて立ち去っていった。
 バーナビーが付き添ったところで、虎徹の症状が良くなるわけじゃない。
 これはいわば自分の為だ。
 自己満足だとわかっていても、自分を納得させるためにここにいた。
 一時でもここを離れるのは嫌だった。
 たとえ命の危険はないと言われてもこの目でみていないと安心できない。
 もう失うのはいやだ。
 両親を失った時、すべてを失ったと思った。
 マーべリックが傍にいてくれたが、胸にあいた巨大な穴を埋めることはできなかった。
 あまりにも大きくて、かけがえがなくて、他のなにものでも埋まりっこないと思っていた。
 育ての親ですら立ち入ることのできなかった果てしない孤独。
 その隙間に問答無用で入り込んできた人物がいた。
 それが虎徹であった。
 むろん始めは反発した。
 大切な空間に、簡単によそ者を入れるわけにはいかなかった。
 なにも知らないくせに。
 悲しみの大きさも、憎しみの深さも。
 他人になんかわかりっこない。
 けれど、虎徹はバーナビーの心の隙間を少しずつ塞いでいった。
 虎徹は彼の傷を無理にわかろうとしなかった。
 個人の悲しみは個人のもので、他人が本当の意味でわかることなどできない。
 傷を覆う瘡蓋を無理に剥がしたりしなかったのだ。
 虎徹はただバーナビーを諦めなかった。
 何度、癇癪をおこしたかわからない。
 きっと思いやりの欠片もないひどい言葉を投げつけた。
 いつも無防備でぶつかってくる虎徹は、たぶんひどく傷ついただろう。
 全身を棘のように逆立てたバーナビーを、それでも彼はなんの躊躇いもなく抱きしめた。
 何度でも。
 理屈なんかじゃない。
 たぶん、そういう性分なのだ。
 だからバーナビーじゃなくても、彼は同じことをしたかもしれない。
 そのことに気がついた時、バーナビーは素直に敵わないと思った。
 そして少なからぬ尊敬の念と……
 少しだけ嫉妬のようなものを覚えた。


 バーナビーにとって虎徹はすでに特別な人間だった。
 胸に空いた空洞を埋めた感情が、たぶん彼が与えたものとは違うものに変化している
のだと自覚した。
 彼が与えてくれたものは友愛や博愛……たぶんそれは与えることに特化した感情。
 そして自分が求めているものは、求めることに特化した感情。
 仕事上の先輩では足りない。
 仲間なんかじゃ足りない。
 相棒でも足りない。
 もっと、もっと、もっと…、もっと特別が欲しい……!
 だからもうこれ以上失えない。
 失ったら、自分がどうなるかわからない。
 震える両手に掴んだカップの中身は、もう既に冷え切っていた。
 

NEXT/BACK

HPTOPへ