
ジャッジメント3
「ふうん、百目鬼君がそんなことをね」
「なんかもう、ワケわからん」
例によって買い物袋を物色しに来た侑子に、
四月一日は帰り際の百目鬼の話をした。
「愛されてるわね〜、四月一日」
「え?なんか言いました?」
レジ袋のがさがさという音にかき消された言葉を聞き返す四月一日に答えず、
侑子の白く細い指は、おもむろに学生服のポケットに伸びた。
「コレね?」
「え、あ…うん」
いきなりだったから変な顔してるけど、
苦笑する四月一日にきがつかれないように、侑子は眉を顰めた。
なるほど、百目鬼が気にするはずね。
「今日は、キンメの煮つけですよ」
四月一日を見ると、いつものように能天気に笑っていた。
百目鬼君じゃないけど、これじゃ心配にもなるか……
「どうかしました?」
二人の少女にまつわりつかれながら、夕飯の準備に入った少年に、
「今日は梅酒からよ!四月一日」
と、相変わらずの調子で答えると、四月一日は呆れたような少し困った顔で、
けれど、どこか満たされたような顔をして笑っていた。
「はいはい、そのあとに秘蔵の日本酒ですね」
魚捌くべく、張りきってまな板に向かう少年の後ろで、
侑子はコッソリため息を吐いた。
不本意ではあったが、侑子の薦めもあって百目鬼の言いつけを守り、
四月一日は店にお泊まりすることにした。
往生際悪く、寝る寸前までブツクサと文句を言っていたが、
元来働き者の少年は昼間の疲れも手伝ってか、五分と保たずに熟睡してしまった。
それからしばらくして、
すっと障子が開いて長身の女性のシルエットが部屋に忍び込んだ。
少年の顔を覗き込む優艶な女性の細い肩を、
長い緑の黒髪がさらさらと滑り落ちる。
「あちゃー、やっぱイっちゃってるわね。
ったく、それにしても落ちるの早すぎ!……殴ったら、戻ってくるかしら?」
外見を裏切るような軽口で、
まんざら冗談でもなさそうに美女は握り拳を用意した。
結局、それを行使することはなかったが、
その代わり、ビシッとデコピンをお見舞いする。
「コレって何日目かしらね」
眠る四月一日の、どこか無表情の顔をつまらなさそう見詰めた。
かなり強い刺激だったにも拘わらず、
何の反応も示さない少年の様子を確認して、
侑子は、艶やかな黒髪を翻して部屋を後にしたのである。
ぽかり、と目を覚ますと眼前に少女二人のアップがあって、
「ぎゃっ」と思わず声を上げた。
ああ、そうか。こっちに泊まったんだ。
「お、おはよう」
踊りまわる心臓をどうにか落ち着かせて、二人の少女、マルとモロに挨拶をする。
少女達に促されてキッチンに行くと、珍しく早起きしたらしい侑子がいた。
「あれ、早いっすね」
「よく眠れた?」
すっかりと身支度を整えた四月一日と違って、侑子は未だ夜着のままだ。
「え、眠れましたけど…なにか」
「そう?その割に疲れた顔してるわね」
「ああ、たくさん夢見てたからかも…、最近よく夢見るんですけど、
そのせいかあんまり寝た気がしなくて困ってるんですよ」
さして深刻そうでもなく、
侑子のリクエストをこなすべくフレンチトーストの卵を溶き始めた四月一日の意識は、
すでに半分くらい泡立て器に集中していた。
侑子もそれ以上は何も聞かず、
フライパンで美味しそうな匂いを漂わせ始めたフレンチトーストの出来上がりを、
急かすようにフォークとナイフを持って待っていた。
侑子たちの朝食の支度を終えて、いつものようにお弁当を作り、
おまけにゴミ出しまでして、四月一日はようやく店を出て登校した。
そんなバタバタした朝でも、やっぱり寺の方へと自然と足が向かう。
別に約束しているわけでも、学校への近道というわけでもない。
それでもほとんど毎日足が向かってしまうのは、
四月一日にとっては無意識かもしれないが、一種の防衛本能かも知れない。
アヤカシから身を守る為の。
ほぼ待つこともなく、百目鬼が出てくるといつものように弁当を手渡す。
相手も何も言わずにそれを持つと、特に会話もなく歩き始めた。
侑子に言ったように、最近、寝ていても疲れが取れないのだが、
なぜか百目鬼の近くにいると少しだけ楽になる。
これも例の気のおかげなのかもしれないな。
そんなことをボンヤリ考えながら歩いていると、ふと百目鬼の視線を感じた。
「なんだよ?」
「眠れなかったのか?」
一瞬、面喰ったように瞬きして、
「…なんで」
「なんとなく」
いつもと変わらない返事を返されて、四月一日は大きなため息をついた。
まったく、百目鬼といい侑子さんといい。
おれってそんなに顔に出るのか?
「寝てるよ、ってかたっぷり寝てる。起きたら背中痛かった」
少し投げやりに答えると、百目鬼が不満そうに睨んでくる。
わかってるよ、お前が聞きたいことは。
「夢、かな?」
少し迷って四月一日がポツリと答えた。
「ここ最近、どうも夢見が悪い……のかな?」
「俺に聞くな」
「仕方がないだろー、だってすげーはっきりした夢だった気がするのに、
起きてみると途端にぼやけちまって、おれだってわかんねーんだよ」
一生懸命思い出そうとしているのか、う〜んと頭をひねっている四月一日が、
いきなり「あ!」と声を上げた。
「あれだ、あれ!今日のは、ちょびっと思い出した。鏡!」
「鏡だと?」
「そう、鏡。なんかでっかい鏡向けられた」
「…なんか写ったか?」
いきなり興味をひかれたように、百目鬼が身体ごと振り返ったので、
四月一日は思わず後ずさった。
「え?えと…、どうかな」
「思い出せ」
あまりの剣幕に、四月一日は却って言葉に詰まった。
はっきりいって、今ので忘れた。
のど元まで来てたのに。
「……覚えてないや」
及び腰になってしまった四月一日の言葉尻が、へなへなと弱まる。
百目鬼が、ぎろりと睨むがもう記憶の片鱗すらない、ってか、
お前のせいじゃねーか!……と、言いたかった。けど、
目がこえーよ、なんなんだよ、一体。
すっかり壁際に追い込まれた四月一日は、それでも負けじと百目鬼を見上げていた。
なんの勝負だ、これは。
いつのまにか詰め寄るような態勢になっていたことに気がついて、
百目鬼がようやく身体を起こした。
そして、小さくため息をつく。
「放課後、あのヒトと会わせてくれ」
「侑子さん?」
「そう、連絡とっとけよ」
「って、命令かよ!」
むきーと、四月一日がいつものように癇癪を起すと、
百目鬼が、話は終わったとばかりにスタスタ何事もなかったかのように歩き出す。
「無視かよ!ったく、なんでいつも偉そうなんだ、おまえはー!」
後方からぎゃんぎゃん吠える四月一日を顧みず、
百目鬼の思考はすでに遥か彼方へと飛び去っていた。
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