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ジャッジメント4

「くっそー、なんであんなに勝手なんだ」
 自分で放課後にって約束したくせに、今日は抜けられない練習があるから
一時間くらい待ってろ、とまたもや命令口調で言われた。
 当然のように「やだ」と即答した四月一日は、結局こうして教室で
ぶーたれている。
 ただ、おとなしく弓道場で待っているのは癪にさわるので、
 せめて教室まで迎えに来いと言ってやったのだ。
 だいたい、なんであいつはいちいち命令形なんだよっ!
 ドカッと腹立ち紛れに鞄を机に放り投げ、その上につっぷした。
 侑子さんには放課後って言ってあるんだぞ、待たせたらそれこそ何を請求されるのやら。
 でも、悪いのはあいつだし!
 だけど…、
 あいつが侑子さん呼んだのって、間違いなくオレの事なんだろうな。
 前に言ってた…、あいつは侑子さんの店に入れないんだって。
 あいつには必要がないから。
 前回、侑子さんを呼んだのも、オレが原因。
 百目鬼が侑子さんを必要としているんじゃない。
 だってあいつが侑子さんを頼るのは、いつもオレのことだから。
 結局、あの店を必要としてるのは誰でもない、オレってことで……
 あ…、なんかへこんできた。
 だって、ダメダメじゃん。
 ダメ男じゃん、オレ……
 侑子さんに会ってから、少しはアヤカシに関して前向きに考えら
るようになってきたけど、やっぱり駄目だ。
 なんでこうなんだろう。
 どうしていつも受け身なんだろう。
 アヤカシに襲われ、
 侑子さんに助けられ、
 百目鬼にも――
 悪いことにせよ、いいことにせよ、いつも何かをされる側。
 オレだって本当は……
 おれ…、だって…
 そうこうしている間にだんだん睡魔が襲ってきた。
 校庭から聞こえてくる陸上部の声が、次第に遠ざかっていく。
 空を染め上げる夕日が、身じろぎひとつしない四月一日の顔を紅く彩り、
 薄暗くなった教室が忍び寄る夕闇にゆっくりと包まれていった。
 どれだけの時間が過ぎただろう、すっかり音のなくなった教室に、
 静寂という淀みが溜まり始めた頃――、
 唐突に、時間が戻ってきた。
 ガラッと戸が開いて、百目鬼が無造作に教室に入ってきたのだ。
 見ている者がいたなら感じただろう。
 その瞬間に、その空間は現実になったと。
 それほどまでに危うげだったのだ。
 その存在が。
 いや、存在しようとする力、だろうか。
 他にもこの教室のそばを通るものはいただろう。
 もしかしたら教室に用事があったかもしれない。
 けれど百目鬼がくるまで、誰一人として教室には入ってこなかった。
 正確にはこれなかった。
 なにかが阻害していたかのように。
 まるで、孤独という結界に守られるように。
 そして百目鬼もまた、教室に足を踏み入れた途端、眉を顰めた。
 誰もいないのかと思った。
 一瞬、なんの気配も感じなかった。
 けれど、約束通り四月一日はそこにいた。
 たぶん自分の席なのだろう。
 机の上に乗せた鞄に覆い被さるようにして眠っている。
 とくにおかしいことはない。
 ただ待ちくたびれてうたた寝しているだけだ。
 けれど――、
 百目鬼は無意識に走っていた。
 思わず放り出した鞄が、背後でドサリと音を立てて倒れる。
「四月一日!」
 うつ伏せた身体を強引に引き上げ、その肩を掴んで幾分乱暴に揺さぶる。
 そんな百目鬼の暴挙に、だが四月一日は気がつくどころか眉ひとつ、
 指先ひとつ動かすことはなかった。
 ただ揺すられるままに、力無く首を項垂れるだけである。
 百目鬼の瞳に、さっと動揺と焦りの色が交錯したが、それは一瞬のことだった。
 すぐに冷静をとりもどし、喪心した少年の頬を軽く叩く。
 やはり反応はなく、百目鬼は小さくため息をついた。
 力が抜けてずり落ちそうになる四月一日の身体を、まるで壊れ物のように
大切そうに抱き上げた。
 予感があったのかもしれない。
 こんなことになるかもしれない、と。
 でなければ、さすがの百目鬼でも慌てふためいて救急車を呼びに走っただろう。
 これは医者の出番ではない。
 そして、わかっていた。
 待っていれば、彼女が現れるだろうことを。
「やっぱりね、こんなことだろうと思ったわ」
 数分後、誰もいない教室に当たり前のように侑子が入ってきた。
 百目鬼が、顔を上げる。
 外はすっかり暗くなって、すでに校庭にも生徒は残っていない。
 先生たちは残っているはずだが、なぜか人の気配がまったくなかった。
「昼に四月一日から連絡をもらって、今まで待っても約束の場所に来ないから、
 もしかしたらと思ったのよ」
 コツコツと規則正しいヒールの音が、ゆっくりと二人の少年に向かって
近づいてくる。
 夕闇も濃くなって、教室の中はほとんど薄明かり程度だったが、侑子の
まわりが闇に落ちることはなかった。
 見上げた侑子の顔は、なぜかはっきり見える。
「何が、起こってる?」
「……あまり驚いてないのね?」
 昏倒している友人を腕に抱き、それにしては動揺している風でもない
百目鬼に、侑子は半ば本気で感心して微笑んだ。
 すぐに質問に答えない侑子に、少年はいささかムッとしたように
眉間のシワを増やした。
「これ以上ないくらい驚いている。こいつはどうなってる?オレは
どうしたらいい」
 本当にこの子は……
 思わずおかしくなってしまう。
 どうにかしてくれ、じゃないのだ。
 ひとに頼るとしても、自分が何とかするという前提は変わらない。
 ――剛い、心の持ち主。
「結論からいうと、幽体離脱よ」
 百目鬼の肩にすっかり頭を預ける羽目になっている四月一日の顔を、
 侑子はおもむろに仰向けてその頬に白い指を滑らせた。
 普段だったら、間違いなく血相変えて取り乱すシチュエーションね。
 薄い唇が、どこか楽しげに微笑む。
「見た目には仮死状態だけど、幽体がないから間違いないわ」
 語られる状況は、どう考えても深刻そうなのに侑子の態度はいつもと
変わらなかった。
 百目鬼のようにポーカーフェイスを保っている、というわけではない。
 たぶん、微塵たりとも動揺してないのだ。
 なんとなく面白くない。
 大切にしているものを蔑にされているようで。
 あるいは救える手段を持つがゆえの、その余裕が。
 不愉快そうに眉をひそめた百目鬼に、果たして気がついたのか
いないのか、いささか血の気のひいた少年の白い顔を、侑子は
少しだけ神妙そうに眺めた後、その細い顎を掴んでゆっくり左右に
動かした。
「ただコイツの場合、もっとやっかいなことになってる、かしら?」
「……厄介?」
「そこら辺を彷徨ってるだけならフン捕まえて、肉体に捻じ込んじゃえば、
 まあ解決なんだけど。どうもヤバいとこに入り込んでるのよね〜」
 まるで世間話のように。
 なんでもないことのように、侑子は恐ろしいことを言った。
「このままだと死ぬわよ、四月一日」



「どういう…?」
「近似死体験しちゃってるのよ、このばか」
 さすがに動揺が隠せないのか、思わず言葉を失う百目鬼にあっさり答える。
「つまり死後の世界に行ってるってこと」
「死後の…」
「そ、死にかけたり、実際に死に近い状態になったりすると体験するアレね」
「だけど四月一日は、」
「そうね、別に死にかけたワケじゃないわ。でも幽体離脱が近似死状態を
作ったのよ」
「じゃあ、あの夢…」
「夢?」
「今朝、こいつが言ってたんです。夢の中で鏡を向けれれたと」
「鏡ですって?」
 今朝の百目鬼と同様、侑子も思わず驚いた顔をした。
 すこしだけ溜飲を下げた百目鬼が、それに頷いて答える。
「もしかしてそれって浄瑠璃の」
「さすがね、百目鬼くん。たぶん…、ビンゴよ」
 意識のない少年の、額にかかる黒髪を払って掌を当てる。
「少なくとも一カ月か……」
 気のせいでなければ、その声に呆れを含んだ忌々しい響きがこもった。
「これは思ったより深刻なわけね。このばか、呑気に寝てる場合?まさか
イソイソと次の段階に進んでんじゃないでしょうね」
「いえ…、最終審判はまだだとおもう、今なら」
「そうね、今なら間に合う。とにかく、まずは幽体を戻さなきゃ」
 額に当てていた掌を離して、ついでとばかりにビシッと叩いた。
 百目鬼も気持ちは一緒だったので非難することはない。
「ま、そういう事情なら幽体は身体の外に出てるわけじゃないわね。
 よかったわね、百目鬼くん」
「……?」
「一応言っておくと、幽体離脱のときは本体触っちゃだめよ?
 さっきも言ったけど、外に出た幽体はむりくり肉体につっこんじゃえば
 なんとかなるけど、あまり体位が変わってると戻れなくなるから」
 幽体離脱中にあまり肉体が変化してしまうと弾かれてしまうというのだ。
 姿勢だったり、あるいはバイオリズムだったり。
 それは、外面的にも内面的にも影響するらしく、一概にはいえないらしい
けれど。
 っていうか!
 百目鬼にしてみれば、早く教えてくれって感じだった。
 あやうく四月一日を迷子にしてしまうところだった。
「この世界であって、この世界ではないところに行っているわけだけど、
 内側の往き道だから肉体とはまだ繋がっているの」
 ようするに普通の幽体離脱ではなく、「この世」を漂っているわけで
はないというわけだ。
「さて、…というわけで幽体を引きずり戻すとしましょう」
「どうするんだ?」
「そうねえ…、イロイロ手はあるんだけど、今は持ち合わせがないのよね。
 店に帰らないと……」
 手段を模索していた侑子は、いきなり悪戯を思いついた子供のような顔で、
 そうそう、と手を叩いた。
「あるじゃない、とっておきの手が。すっごく簡単で、さして手間も
かからない究極の方法!眠ったお姫様を目覚めさせる為の必殺技といえば、
やっぱりアレでしょうっ!」
 ――なんかもう、想像できた。
 侑子はそれはもうイキイキとした顔で、百目鬼を振り返った。

 百目鬼は、深くて重いため息をついた。

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