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Summons9

 次の日の早朝、ロイはエドワードの部屋を訪れた。
 回復魔法を受けていた少年は、驚いたような顔でその黒髪の青年を見た。
「どうしたんだ、今日は早いな」
「体調はどうだ?」
「完璧、ってほどじゃないけど、悪くないぜ。今、魔法かけて貰ったし」
「そうか、ならいい」
 治療を終えた医師は、ロイに軽く会釈して部屋を出て行った。
「さあ、準備は整った。いくぞ」
「は?…いくぞ、ってどこに」
 ロイはそれには答えず、おもむろにエドワードを抱きかかえた。
「わっ!な、なにすんだ、ロイ」
 相変わらずジタバタ暴れるエドワードに、ロイは小さくため息をつく。
「最後くらい大人しく抱かれていたらどうだ?」
「……最後?」
 ピタッと動きが止まる。
 なにか聞きたそうに顔を上げるエドワードに、あえて気がつかなかった
ふりをして、ロイはひたすら歩いていった。
 館をでて、裏庭へと足を進める。
「ロイ…、」
 ここは、初めてこちらの世界に来た時の、あの場所。
「……ロイ、これは一体、…あ?」
 ひらけた地面に、大きな円陣があった。
 身覚えがある。
 あれは、魔法陣だ。
「じゃ、じゃあオレを?」
 魔法陣の中央にエドワードを下ろすと、小さく笑って頷いた。
 そして、きれいに畳まれた服を手渡す。
 たぶん初めにエドワードが着ていた服だろう。
「ちゃんと用意しててくれたんだ、サンキュー、ロ…」
 珍しく気のきいたロイの優しさに、ちょっぴり感動して顔を上げた
途端、言葉が途切れた。
 エドワードの黄金の双眸が、大きく見開かれる。
 すぐ目の前に、ロイの閉じた瞼が見えた。
 昨夜と違って、触れる唇はしっとりと柔らかく温かった。
 重なった唇が、ゆっくりと離れていく。
 硬直したままじっと見つめてくる少年は、まだ状況が把握出来てないらしく
鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしていた。
「……な、なっ、なななっ!?」
 エドワードの顔が、徐々に赤く染まっていく。
「な、なにをっ…、なにをしやがった!…うわっ?」
 とっさに拳で口元を押さえたエドワードが、まるで湯気でも出そうな顔で立ち
上がったが、むろんそんな無理ができようはずもなく途端にバランスを崩した。
「暴れるな、また熱が上がるぞ」
 予測していたようにその身体を受け止めたロイは、何事もなかったかのように
チョコンと元の位置にエドワードを戻して、円陣の外へ出た。
「誰のせいでっ…、って、なにをさっさと?」
「それは、餞別だ」
「…って、貰ったのオレかよ!?」
 むきーっとエドワードが怒ると、ロイはにっこりと、あの独特の笑い方をした。
「向うの私に余計な手出しができんようにな…、まじないだ」
「え?大佐…が、何?」
 よくはわからなかったが、魔法使いがまじないとか言うと怖いではないか。
 なんだか変なことをされてしまったが、ロイはそれ以上説明する気はないようだ。
 最後の仕上げらしき呪文を書き始めて、円陣の外側がほのかに光る。
「…あ、あの、ロイ」
 ロイが顔を上げる。
「あ、いや…、その、世話になったな、ありがとう」
「礼をいうのはこちらの方だがな…」
 これまで見たことのないような、優しい微笑みだった。
 こちらにきてから、振り回されて怒ってばかりだったけど、考えてみたら
コイツにしてみたら召喚したモノに服従されるのはあたりまえで、こちらでは
それが常識だったんだろう。
 むしろ異端なのはオレの方で、それでもロイはいろいろオレに合わせてくれていた
のかもしれない。
 人間を召喚するのは、大変だと言っていた。
 それでも結局は、オレの身体のことを思ってこうして契約を破棄してくれる……
 ――別れを惜しんでいるのは、誰?
 どこからか声が聞こえる。
 奇跡の出会い。
 本来、交わるべくもない世界で、それでも……
 出会ったからには、もうなかったことにはならない。
「エドワード、また会えると信じている」
 ロイが呪文を書き終えて、立ちあがった。
 光の軌跡が円陣の外側から中央へと走る。
 それに急かされるように、エドワードは口を開いた。
 ――もう後戻りはできない。
 こうして、心の中に入り込まれたら……
「忘れんな…」
 掠れていく景色の中で、ロイが一瞬驚いたような顔になった。
「オレの事、絶対に忘れるな、ロイ!」
 ロイは、静かに微笑んだ。
 聞こえただろうか?
 叫んだ時にはもう視界はすっかりぼやけていた。
 声は届かなかったかもしれない。
 それでもロイが最後に笑ってくれたのが、嬉しかった。
 覚えているのはそこまでだった。
 あとはただ白い空間が広がって、エドワードは慌てて眼をつぶったのである。



 大佐の目の前でいきなり姿を消したエドワードは、それから丸一日たっても
行方がわかないままだった。
 煙のように消えてしまった彼をどう捜したらよいかわからないし、たぶん
闇雲に探し回ってもなんの意味もないだろう。
「おかえりなさい」
「ああ…、それでなにか変化はあったか?」
 結局ロイは、あとのことをアルフォンスに頼んで仕事に行くしかなかった。
 もし、まかり間違って外で発見されるとしたら一番に情報が入るのがそこ
だったからである。
「……いえ、なにも」
 軍服の上衣を脱ぎながら足早に歩く大佐に、出迎えた玄関に佇んだままの
アルフォンスが消沈したような声で答える。
 自室で身軽に着替えて、彼を慰めるように声をかけた。
「あまり気に病むな、明日からは私も…」
 と、その時――
 けたたましい音が、キッチンの方で轟いた。
 それこそ隕石でも落ちてきたのではないかという振動が伝わってくる。
「な、なに?なんの音」
「……キッチンだな」
 戸惑うアルフォンスに、大佐はすこし緊張した面持ちで答える。
 二人は、慎重に物陰から近づいていった。
 なにしろ大佐は、いろいろと狙われるファクターの多い人物である。
 ここが軍の官舎だといっても安心はできない。
 もうもうと煙の立ち昇るキッチンは、まさに戦場さながらの壊滅状態だった。
 テーブルやイスがバラバラに壊れて飛び散り、まるで爆弾でも投げ込まれた
かの有様である。
「いったい、これは……」
 爆弾にしろ、武器による攻撃にしろ、外部からの干渉の跡がどこかにある筈だが
床にも壁にも、まして天井にもその痕跡はなかった。
 いうなれば、その一点のみ台風にでも見舞われたようだった。
 と、煙の中に人の気配を感じた。
 大佐はすかさず銃を構え、アルフォンスは戦闘態勢に入った。
 ――けほっ、けひょんっ!
 しかし、そこからは間の抜けた咳が聞こえてきた。
「うう、ペッペッ!なんだよ、これ…っ!いったいドコに落ちたんだ?」
 それは、とても聞き覚えのある声だった。
「まったくロイの奴、ノーコンだわ、乱暴だわ、もうサイテーっ」
「…なぜ君にそこまで言われなくてはならないのかね?」
 晴れていく煙に、その人物を確認したロイはゆっくり銃を下ろした。
 とりあえず状況はわからなかったが、身に覚えのない理不尽な抗議には
反論しておくべきだろう。
 埃まみれの少年は、大佐と目が合うとキョトンとして、次の瞬間、
「なにこれ、失敗?」
 ひどくがっかりした顔をした。

 むろん、大佐の眉がつり上がった事は言うまでもなかった。


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