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Summons3

「あれ、大佐?」
 大きなタオルでがしがしと頭を拭きながら、
 エドワードが廊下を戻ってきた。
「えらく早かったな」
 ロイは機嫌よくグラスを掲げた。
「さっきの今でなんだよ、待ち伏せか?」
「まさか、一杯やっていただけだ
。君も飲むか?」
「なに馬鹿言ってんだ。もう酔っぱらってんのかよ」
「酔ってなどいるものか、まだ二杯めだぞ」
 酔っ払いだ。
 酔っ払いのおっさんだ。
 いつも眉間に皺を寄せている姿とは裏腹に、
 すこぶる上機嫌のロイに、エドワードはそう決め付けた。
 酔っ払いを無視して、居間を横切ったエドワードは、キッチンに入り
冷蔵庫を開けた。
 ミネラルウォーターをコップに注いで、一気に流し込む。
「ふー、冷たっ」
 程よく火照った身体に、すーっと冷たい清涼感が落ちていく、
 エドワードは満足そうに息を吐くと、もう一口飲もうとして、
「えっ…、わっっ!いて、」
 あやうくコップを落とすところだった。
 いきなり後ろからタオルを頭に掛けられ、わしゃわしゃとかき混ぜられたのだ。
「て、いててて!な、なにを?や、やめっ…」
「動くな、こんなずぶ濡れで外に出てくる奴があるか。
 乾かしてから出てこい」
 なにが起こったかわからないうちに、すぐ背後からロイの声がした。
 問答無用でエドワードの髪を拭く大きな手の感触は、
 ちょっぴり心地がよかったが、即座にそれを振り払うようにわざと大暴れした。
「いいんだよ、オレは自然乾燥がモットーなんだから」
 父親を思わせるぶっきらぼうな温かさにエドワードは弱かった。
 そして、そんな自分を心から嫌悪していた。
 子供扱いされると酷く怒るのはそのせいかもしれない。
 つねに家を空けていた父親の記憶はほとんどない。
 母親の葬儀にさえ帰らなかった。
 ときおり寂しそうにしていた母親の姿が記憶の片隅に貼りついていて…、
 父親を想うことに妙な罪悪感を覚えるようになった。
「いてっ、いてーって!ひっぱんな」
 ちびっ子の抵抗など、むろん意に介するロイではなく、
 今度はいきなりエドワードをひきずるように歩き出した。
 無言のままのロイに連れていかれた先は、
 先程までいたシャワールームの横の洗面所だった。
 おもむろに脇に掛けてあるドライヤーを掴むと、
 エドワードを前に座らせてスイッチを入れた。
「うわっぷ…っ!ひ、人の話をちゃんと聞けよっ!オレは自然…っ」
「自然乾燥など、髪は痛むし、身体は冷えるし、なにより床が濡れて私が迷惑する」
 見事な三段論法で畳みかけられて、エドワードは二の句が繋げられなくなった。
 なんというか口で勝てる気がぜんぜんしない。
 がっくりと肩を落として、ついに無駄な抵抗を諦めた。
 けれど、
 不思議と彼に対して嫌悪感は抱かなかった。
 どこか表情が読みづらく、何を考えているのかイマイチわからないのは、
 始めの印象と変わらないのだけれど……
 付け加えるならば、意外と世話好きだということだろう。
 エドワードは自信ありげに頷いていたが、じつはそれは大きな勘違いである。
 ロイは、決して世話好きなどではない。
 顔にこそ出さないが、本人でさえこの事態に戸惑っているのだ。
 やがて、ホワッと仕上がったエドワードの髪に、
 ロイは満足そうに頷いて、いつの間にかウトウト船を漕ぎ始めた頭をぽんと叩いた。
「ほら、寝るなよ、部屋に帰ってからだ」
「ん…っ?お、おうっ、わかって…」
 揶揄するように笑うロイに、
 うっかり寝てしまった気恥ずかしさにエドワードは慌てて立ち上がった。
 けれど、その瞬間ふわっと目が回ってすとんと椅子に座ってしまう。
「?…どうした」
「いや、あれ?な、なんか、変…」
 覗き込むロイを、どこか不安そうな顔でエドワードが振り向いて、
――大佐!
 はっとなって、縋るように叫んだ声はすでに遠くに掠れた。
 確かに口はそう動いた。
 けれど、声はすでに届かなかった。
 ロイの見ている目の前で、あっという間にエドワードの身体の輪郭が歪む。
 消える、そう直感して思わず腕を伸ばした。
 小さな身体を間違いなく引き寄せたはずの腕は、虚しく空を切った。
「……な、なにが」
 一体、なにが起こった?
 そこにあった筈の温もりを微かに残したまま、少年は忽然と姿を消した。
 ほんの目の前で、
 まるで泡沫のように……



 身体を引っ張られるような感覚と、落下しているような浮遊感に翻弄されながら、
 エドワードはゆっくりと目を開いてみた。
 途端にグルンと視界が回転して、あやうく意識が飛びそうになる。
 慌てて眼を閉じて、波のように押し寄せる頭痛と吐き気をなんとかやり過ごした。
 この状態がなんなのか、わけがわからなかった。
 気が付いたらこのありさまだったのだ。
 と、ふいに宙に放り出された感覚に襲われて、
「え?…ちょっ」
 声を上げた瞬間、全身に衝撃が走って息が詰まった。
「い、痛たたた、なにが……って、あれ?なんで地面?」
 身体を起こしたエドワードは、その手元を見て首を傾げた。
 間違いなくそこは屋外。
 そして目に眩しいこの光は、昼間の太陽。
「勘弁してくれ、どうしてこんな子供が」
 すこし離れたところからいきなり声がして、
 ただでさえ状況がつかめない少年の緊張は最高潮に達した。
 ビクンと身体を硬直させて、勢いよく顔を上げた。
 そして、
 次の瞬間、気の抜けた顔になった。
「なにこれ、やっぱさっきの続き?でも、なんで昼?」
「そこを動くな」
 立ち上がろうとしたエドワードを、その人物は厳しい声で制した。
「大佐?」
 そう、そこに立っていたのはさっきまで一緒にいたロイだった。
 室内にいたはずだ。
 しかも夜だったはずが、今は昼で、何がなんだかわからない。
「いいからじっとしていろ。どうやら私は間違えて召喚してしまったらしい。
 すぐに還してやるから、その円陣からでるなよ」
「何を言って…、どういうことだよ、大佐!ここは一体……」
「落ち着け、だいたい私はタイサなどという名前ではない。いいから、そこにいろ」
 ――大佐じゃない?
 よくよく見ると服装が違う。
 さっきまでの普段着でも、ましてや軍服でもない。
 似合わないとはいわないが、見慣れない白い長衣姿だ。
 でも、顔はもちろんあの有無を言わせぬ傍若無人ぶりは、間違いなく大佐ではないか。
 混乱しまくる少年をよそに、どうみてもロイにしか見えないその人物は、
 分厚い本を片手に地面の文字の所々を書き直していた。
 まるで錬成陣のような円陣には緻密な文字がびっしりと書き込まれいた。
 エドワードにはみたこともないようなものだ。
「変な錬成陣」
 ポツリと呟いた少年の言葉に思わず気を取られた黒髪の青年は、
 不意に背後から聞こえた物音にとっさに反応できなかった。
 が、そのおかげで決定的な瞬間をみることになる。
 幼い少年の瞳が油断ないそれになり、いきなり両手を合わせたかと思うと、
 地面がとんでもない勢いで盛り上がっていったのだ。
「なにやってんだ、こっちだ!」
 思わず呆然と見惚れていると、少年の右腕にいきなり肩を掴まれ、
 あっという間に後方へと放り投げられていた。
 小さな子供になんなく持ち上げられてびっくりしたが、
 もっと驚いたのは己の腕を掴んだ、その鈍色の手であった。
 ――機械の手?
 エドワードが手を置いた場所からせり上がってきた巨大な壁は、
 鋼鉄並みの強度をもつ土塊の盾となって衝突してきたモノを大地に転がした。
 目を回してひっくり返ったソレを見て、エドワードが複雑そうな顔をする。
 それは見たこともない形状の生き物だったからだ。
 しいていうなら、大きすぎる芋虫だろうか。
 とにかく大人の人間くらいの大きさだ。
 むろん、エドワードなんかよりだいぶ大きい。
 取りあえず事情のわかりそうな人物に聞いてみることにした。
「……なにコレ、なんかの虫?」
「虫ではない、魔物だ」
「…、ナ、マモノ?」
「ま、も、の、だ!どこかの馬鹿が魔物を召喚しているんだ」
 これは夢か、夢なのか?
 なんだかついていけないんだが……
 ぐらぐらする頭をなんとか整頓しようとした時、
 足元に転がったマモノがもそもそと動き出した。
 ずんぐりむっくりの形状に似合わず俊敏な動きで起きあがったソレは、
 こっちが身構える前に変な糸を吐きかけた。
 あっという間に、エドワードは己の作った壁に貼りつけられた。
 どれほどの知能かわからないが、
 その生き物はエドワードの方を強敵だと判断したのだろう。
「気色の悪いもん吐いてんじゃねーよ!」
 だが、イモ虫は所詮イモ虫。
 両手を拘束することには頭が回らなかったようだ。
 黒髪の青年がなにやら呪文のようなものを呟いていたが、それよりも早く
エドワードは両手をぱんっと合わせた。
 カッと眩い光が閃いたと思った刹那、その鋼鉄の手からギュンッと鋭い刃が伸びる。
 あっさり拘束の糸を断つと、黒髪の青年を振り返った。
「なあ、コレって倒していいの?」
「…あ?ああ、できたらそうしてくれ」
 了解っと、小さな子供が魔物へ身を躍らせた。
 あっけにとられたようにエドワードの魔術(彼はそう思っている)を傍観しつつ、
 ロイに似た青年は唱えかけた魔法を中断していた。
 自分の出る幕などない。
 なにしろ素早い。
 呪文も魔方陣も必要としないらしい。
 あれこれ考えているうちに、エドワードが魔物に最後の一太刀を浴びせた。
 瞬間、魔物は跡形もなく消える。
 いきなり煙のように消え失せたイモ虫に、
 エドワードが不思議そうにキョロキョロしていた。
「……魔界に還ったんだ。死ぬと契約から解除されて元の世界に戻るからな」
 さっきまでの勇ましい姿とは対照的に、異界から来たその少年は
 途端に、迷子の子供のような顔になった。
 縋るような大きな瞳が、まっすぐに向けられる。
「な、なあ…、大佐。
 コレって、どういう仕掛け?ってゆーか、アンタがなに言ってるのか全然わかんないよ」
 まるで子犬のようなこの子供が、私が求めたモノだったとは。
 だが、確かにこれは稀なる拾いものかもしれんな。
 黒髪の青年は、満足そうに笑った。
 そして、
 そのシニカルな笑みは、かの人物のそれと寸分違わずシンクロしていたのである。

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