
禁忌の戒め4
その日の夕方、宿屋で寛いでいた二人のもとに来客があった。
「…何しに来た?」
「御挨拶ですね、アッシュ」
客を確認した途端、アッシュの表情は険しくなった。
「ルークが船酔いで苦しんでいると聞いて、
こうしてわざわざお薬をもってお見舞いにきたというのに」
胡散臭いにこやかな笑顔に、アッシュが更になにか言おうとしたが、
「あれ?ジェイドだ」
後ろから、ひょいっとルークが顔を覗かせるのが早かった。
「ばっ、出てくるなといっただろう」
「だって、ジェイドじゃん」
困ったことに、ルークはジェイドにもとても懐いている。
始めの頃こそルークに冷たかった腐れ軍人は、
旅の終わりの頃になると、態度を豹変させてルークを甘やかしていた。
大人のジェイドは、子供のルークの扱いなどお手のものなのだ。
「お久しぶりですね、ルーク。船酔いが酷かったと聞きましたが」
「そうなんだよ、もう思い出したくもない」
アッシュの脇をするりと抜け、
ルークに誘われるままにジェイドはまんまと部屋に侵入した。
部屋に二つある椅子の一つをすすめられると、遠慮なく座りやがった。
居座る気まんまんだ。
ルークはすっかりご機嫌で、自分はベッドに腰掛ける。
もうどうあっても追い出せそうにないのを悟ると、
アッシュは仕方がなく部屋の扉を閉めた。
大きなため息をついて、壁に寄りかかり腕を組んだ。
少なくとも、仲良く椅子を並べて座る気にはなれない。
アッシュの中では、未だにジェイドは胡散臭いおっさんなのだ。
「でも、お見舞いなんか良かったのに」
「そうですか?でも、まだ顔色がずいぶん悪いですよ」
それまでにこやかに笑っていたジェイドが、ふと気がかりそうに言った。
「え?そう、なんともないけど」
「ほんとはまだ具合が悪いんじゃないですか?」
まんざら冗談でもなさそうに言って、
ジェイドは立ちあがっていきなりルークの手を取った。
「わっ、いいってば!ジェイド」
「大人しくしなさい」
途端にばたつくルークを、強引にもう片方の手で押さえようとすると、
「何しやがる、手を離せ」
いきなりアッシュに腕を捻りあげられた。
「え?アッシュ…、あ、違うんだ」
すごい剣幕でジェイドを止めたアッシュに、慌ててルークが情けない顔で仲裁する。
「ジェイドは脈を取ろうとしただけで」
「脈だと?」
「酷いですね〜、痣になったらどうするんですか」
そんなタマか、と突っ込みたかったが取りあえずは黙っていた。
「ジェイドには旅の…、その最後の方でいつも体調を管理してもらってて」
――ああ、これか。
――記憶に残る、暖かな手の感触。
優しく、切なくすらある気持ちが流れ込んでくる。
一日も欠かさずルークの手を取り、
――どうか消えませんように、どうか一日でも長く。
と、真摯に祈っていた。
口では最終決戦でルークが必要だからと言って憚らなかったが、
直に触れる、微かに震える掌がそれを裏切っていた。
アッシュは、掴んでいた手を離した。
まさかこの男が、ここまでルークを想っていたとは意外だった。
その真摯な気持ちがあったからルークがこんなに懐いているのだ。
アッシュはこういう時、すこし疎外感を感じる。
仕方がなかったとはいえ、
あの戦いの際に彼を助け、そして共にあったのは自分じゃない。
ルークが苦しい時に、たぶん一番欲しい言葉を持っていたのは自分だった。
自惚れなんかじゃなく、ルークが待っていたのはアッシュだったのだ。
待ち受ける恐怖に押しつぶされそうになりながら、
ルークは一生懸命片割れであるアッシュを呼んでいた。
それを悔やんでも、…もう遅いのだけれど。
「ほら、ルーク駄々をこねないでください」
「む〜」
結局大人しく腕を差し出したルークに、
よろしいと鷹揚に答えて、その手首を取るとジェイドがしばらく目をつぶった。
しばらくしてジェイドが不意にはっとしたように眼を開けた。
ルークは気がつかなかったが、その様子を見ていたアッシュと偶然に目が合った。
けれど、ふいっと視線を外して再び目を閉じてしまう。
なんだ?
この男が、目を逸らすなど…
気にはなったが、診察の邪魔をするわけにはいかず、居心地の悪い時間が
ひどく長く過ぎていった。
「そういえば、最近体調を崩したと聞きましたが」
「あ、や、まあ少し」
「長く患ったあと、船旅などすれば船酔いくらいしますよ。
まったく相変わらず軽率ですね、あなたは」
「む、もう平気だったんだ」
「平気な人は船酔いで点滴など受けません」
「う……!」
やっぱり知ってやがったか、まったく狸だなこのおっさんは。
ルークがやり込められるのを見つつ、アッシュは先程のジェイドの様子が気になった。
「さて、そろそろ私はお暇します。明後日の祭典は長時間立ちっぱなしですからね。
くれぐれも体調を整えて、夜更かしなんてしてはいけませんよ」
子供に言い聞かせるような口調でジェイドが言うと、
一瞬、いつものように不満そうな顔をしたルークだったが、
やがて思い出したように小さく笑った。
「なんですか、にやにやして気持ちが悪いですね」
「ジェイドのお小言を聞くと、
なんだか旅をしてた頃に戻ったみたいだなーと思って」
「あんな旅はもうごめんですよ、私は」
「そうだよな…、」
ジェイドの言うことはもっともだった。
内容だけ見ると、はっきり言って最悪な旅だったかもしれない。
後悔と、戦いと、悲しみと、裏切り…
しまいには世界の為に死んでくれとまで言われた。
それを言わなければならなかったジェイドは、どれほど苦しんだだろう。
だからこその、さっきの台詞だ。
――けれど、
「うん、でも俺は楽しかったよ。世界も見れたし、仲間にも会えた。
あの旅は、俺にたくさんのものをくれたから」
今のルークに翳りはない。
決められた残酷な運命に、むろん苦しんだはずだ。
不安と恐怖に押しつぶされそうになりながら歯を食いしばって耐えていたのだ。
アッシュに同化した記憶は、いまだ生々しい悲しみを覚えていた。
けれど、ルークは切ないくらいに世界を愛し、仲間を愛した。
その記憶は、
美しい景色だったり、人の温かさだったり、どれもとても些細なことで。
その記憶に触れたとき、アッシュは打ちのめされた。
素直に、この魂を守りたいと思った。
ルークが旅の仲間を特別に想っているのは、仕方がない。
後悔しても、そればかりはどうにもならない。
だから、せめてこれからは。
「ルーク、いいですね、無理はいけませんよ」
「わかってるよ、本当に大丈夫だってば」
気がつくと、ジェイドが帰るところだった。
未だにぐずぐずとルークに構っているらしい。
さっさと帰れ、と心の中で悪態をついていると、ばちっとジェイドと目が合った。
「ルークのことを頼みましたよ」
ふいにさっきの脈診の事を思い出したが、
言うだけ言うとジェイドはアッシュの返事を待たずにさっさと帰ってしまった。
なんでもなかったならそれでいいのだ。
けれど、一度問いただした方がいいかもしれない。
ともかく、
今日のところは備えあれば憂いなし。
ジェイドの忠告どおり、ルークはさっさとベッドに押し込まれると、
そうそうに寝かされてしまったのである。
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