facebook_UP2019.05.02
伽数奇のFairy tale 003
出雲国造の御発言に畏れながら天皇陛下の御想いを拝察しました
令和元年5月1日即位後朝見の儀に臨まれる天皇皇后両陛下(宮殿)であらせられます。(写真は宮内庁ホームページ)
陛下の御想いを、出雲の歴史と、第八十二代出雲国造千家尊統氏の御発言から拝察いたしました。
倭政権の出雲攻略軍司令官であった天穂日命は、出雲平定の過程で出雲に居残り、大国主命に心を寄せていく。
倭政権その膠着した状況打開のため新たに軍を派遣した。かかる事態を受け、大国主命は出雲存続のため入水自決した。命は、私を祀りなさい、と遺言した。
そんな大国主命の魂を悪霊とさせないため、技術の粋を結集して築かれた大社(この場合「おおやしろ」と読む)、が出雲の大社だ。本来、神宮の前に伊勢と前置しないことになっている伊勢の神宮と同じく、大社にも出雲はつけなかった。固有名詞だったのだ。
倭政権の粋はその大社運営の長官に天穂日命の家系を起用したことだ。
そしてその子孫がめんめんと出雲国造として大社をお鎮もりされている。
国造は「くにのみやつこ」と普通は読むが、出雲では「こくぞう」だ。
出雲国造家は天皇家に次ぐ家系の歴史があり、今は84代千家尊祐氏が国造家を次いでおられる。
そのお祖父さまの82代千家尊統氏の「出雲大社」(学生社)の序文に、千家家の存続理由を尋ねる人への回答として、
「皇室の弥栄と国家、民族の繁栄とを祈りつづけてきたわが家の使命を、懸命につくしてきた一門の者と、それに協賛し協力してくれた人々の働きによる」
そして、
「81代国造が帰幽したとき、いいしれない緊張感におそわれたことだけは、いまも忘れることができない。
この出雲国造であることの重圧感と緊張感は、在職四十余年の間いささかも変わることがなかった。
いいかえれば、自分と自分のたたかいであった。この苦しみを代々の祖たちも、私と同じように経験し、超克したのである。私の息子たちにも、願わくばこの苦しみを超克してほしい」
この出雲国造の想いは天皇陛下の想いと寸分違わないと、そう思うのです。天皇家は出雲国造家と対をなす祈りの家系です。
上皇という日本の歴史上の制度から思うのは、まだ天皇ご自身が政治的な権限、時代によってそれには大小ありましたが、を持っておりましたから、様々なことがありました。
だがこのたびのようなご譲位は、日本の歴史上初めてのことでしょう。
ご譲位をめぐってはクーデターを思わせるようなNHKのすっぱ抜きが引き金になってしまいましたが、安倍内閣は現行憲法の枠内で、実に見事に方向付けしてくださいました。
そうやって上皇陛下お健やかのなか、明るい令和の世がやってまいりました。こんなに喜ばしいことはありません。
今上陛下のお気持ちは、上に記した82代千家尊統氏の言葉からも拝察できるではありませんか。天皇は、日本の神々、日本の国土、国と国民を、祈る存在であられます。その陛下の祈りはご自身とのたたかいであり、これも尊統氏の言葉から、それが為せるのは、「協賛し協力」する国民の存在です。私たちもまた天皇家の弥栄を祈ろうではありませんか。
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http://www.mf.ccnw.ne.jp/~ad32901/kasukisns/kasukisns.htm