facebook_UP2013.04.25
2013.04.26
伽数奇のFairy tale 001

貴賎のランク

2013年4月25日
 日本の航空機メーカの人間が韓国大手の航空機関連会社の者を連れて当社に見学に来た。
私はそのことを知らなかった。

 私は飛行準備中であり格納庫内での飛行前点検の後、いつものようにメカニックと協力して機体をエプロンへ搬出しようとしていた。

 当社の案内者が私のことをパイロットだと紹介したようだ。
 そのとき、パイロットがメカニックと一緒に列線作業をおこなうなど、韓国ではあり得ないとのたまわった。

 きれいな日本語であり、なんでそこで韓国がでてくるのか、とっさに理解もできず、我々は一心同体であり当然の行動である、と返答した。

 そこで視線を相手に向けた。
 彼は韓国のパイロットがメカニックを助けることはない、腕を組んで立っているだけだ、と更に言った。

 彼らの頭の中には貴賤のランクがあるのだろうなと不快だった。

 日本の設計技術者と職工(製造技術者)とはおなじ作業着を着ている。失礼ながら等しく汚くもある。

 だからこそ設計のアイデアを彼は現場で直ちに試してみることができる。実際短い開発期間で素晴らしい成果をあげた航空機開発現場でのことであった。設計技術者がホワイトカラーの出で立ちの国では絶対に無理な話である。

 パリの空港が大雪に見舞われた。滑走路と誘導路の除雪は行われているのだが、スポットからその誘導路までの啓開作業が遅々として進まなかった。

 そんな状況の中で先ずANA機が、続いてJAL機が日本に向けて離陸していった。
 何故日本の飛行機だけが誘導路を離れることができたのか。

 両社ともパイロットと客室乗務員が機外で人力の除雪作業にあたったのだった。

 私はそんな日本人を誇りにおもうのだ。
2013年4月26日
 昨日投稿の続きからはじめます。

 「貴賤のランク」に関して、敗戦後フルブライト留学生として渡米した竹村健一さんが、たしか書かれていたと記憶しているのだが、自由で平等の国がまぶしくて、自分のアパートに向かう途上の清掃員に挨拶したそうな。

 そのとき米国の同僚に彼らとかかわってはならないと釘をさされたと。自由と平等は同じランクにいてこそ機能するのだ。

 竹村さんは日本人の方が平等を知っていると思ったそうだ。ただそれは民度が均一に高い日本でこそ可能なことなんだとおもっている。

 犬や猫を、人と平等であるとはしない。だが人の中にもそれに近い存在としてカテゴリー分けされている現実がある。それは犬や猫を、人と平等に扱わないことが問題がないように、劣ったカテゴリーの人をそのように扱っても痛痒を感ずることはない。

 「アーロンの収容所」を著したの会田雄次さんは、龍谷大学予科講師で招集され一等兵としてアーロンの収容所の捕虜となった。

 大学の講師が将校ではなく一兵卒であることに代表されるような日本軍制の特殊性は、昭和の暗黒の時代を招来させた一因であると考えているのだが、そのことはさておき、会田さんが英国兵に聞かれ、自分のことを大学で先生をしていたと話したとき、そんな男がどうして兵隊プライベイトなのかと一笑に付されたそうだ。

 その収容所で会田さんは英国軍女性将校ルタネントの従卒をさせられている。女性将校は自室に戻ったら会田の前で文字どおり裸になり、どこも隠すことなく下着も含めて会田にわたし洗濯を命じたという。

 犬猫のまえで裸になってなにが恥ずかしいのか。つまり後の京都大学名誉教授も、当時は犬猫同類にカテゴリ分けされていたのだ。

 渡辺京二さんは、江戸時代の末期から明治時代の初期にかけて日本を訪れ、世界に類を見ない日本の精神文明を体験した欧米人の手記や書簡を、「逝きし世の面影」にまとめられた。その本の紹介記事へのリンクを貼っておく。

http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-entry-751.html


「この人たちは実に日本の大きな魅力である」

「これ以上幸せそうな人びとはどこを探しても見つからない」

「この小さい人びとが街頭でおたがいに交わす深いお辞儀は、優雅さと明白な善意を示していて魅力的だ」

「この町でもっとも印象的なのは(そしてそれはわれわれの全員による日本での一般的観察であった)男も女も子どもも、みんな幸せで満足そうに見えるということだった」

「住民が鍵もかけず、なんらの防犯策も講じずに、一日中家を空けて心配しないのは、彼らの正直さを如実に物語っている」

「私は全ての持ち物を、ささやかなお金を含めて、鍵も掛けずにおいていたが、一度たりとなくなったことはなかった」

「婦人の美しい作法や陽気さには魅力があった。さらに、通りがかりに休もうとする欧米人はほとんど例外なく歓待され、『おはよう』という気持ちのよい挨拶を受けた。この挨拶は道で会う人、野良で働く人、あるいは村民からたえず受けるものだった」

「日本人が他の東洋諸民族と異なる特性の一つは、奢侈贅沢に執着心を持たないことであって、非常に高貴な人々の館ですら、簡素、単純きわまるものである。すなわち、大広間にも備え付けの椅子、机、書棚などの備品が一つもない」

 引用がながくなってしまう。すばらしい本なので機会があれば是非読んでいただきたいのだが、引用の最後に渡辺さんの本の中のバジル・ホール・チェンバレンの書簡だ。

「貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない
 金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない。......ほんものの平等精神、われわれはみな同じ人間だと心底から信じる心が、社会の隅々まで浸透しているのである」

 ほんものの平等精神が、社会の隅々まで浸透していると、チェンバレンは看破した。

 ただこのことはその文化を共有しているものの中でだけ有効であるようなのだ。

 第一次世界大戦後のパリ和平会談をおもいおこせばよい。

 白人も黒人も今後は平等になかよくやっていきましょうと云う日本の提案

「各国民均等の主権は国際連盟の基本的綱領なるにより、締結国はなるべく速やかに連盟員たる国家における一切の外国人に対し、如何なる点についても均等公正の待遇を与え、人種あるいは国籍の如何により、法律上あるいは事実上何ら差別を設けざる事を約す」は、よってたかって潰されたことは以前紹介した。

 ともかくも渡辺さんの本に登場した欧米人は、西洋文化の流入でこのうつくしい日本の伝統は破壊されてしまうであろうと等しく危惧をいだき予言していることであり、事実ほとんどそうなってしまっている。

 さて

「歴史認識をめぐる安倍晋三首相の発言や閣僚の靖国神社参拝に対し、オバマ米政権が東アジア情勢の不安定化を招きかねないとして日本政府へ外交ルートで非公式に懸念を伝えていた」

http://sankei.jp.msn.com/…/…/130426/amr13042610220003-n1.htm
(今このリンク先はありません)

 カテゴリー分けのことで云えば、オバマ氏にとっては日本も韓国も中国も同じレベルで認識されているのだろうかとも思ったが、そうではないようだ。もっと悪いのだ。

『国務省のベントレル報道部長は「公式な抗議」はしていないとした上で「中国や韓国のように他国も懸念を表明している。各国間の強く建設的な関係が地域の平和と安定をもたらすことを今後も訴えていく」と述べ、安倍政権に中韓を刺激しないよう自制を促した』

と引用記事にある。

「中国や韓国のように他国も(日本に)懸念を表明している」と米国は認識している。翻訳文では「他国」が中国韓国自身なのか、それ以外の国なのか読み込めないが朝日新聞と同じ主張だ。

 オバマさんまで内政干渉なさるのですな。韓国のロビー活動をおそろしいと云うべきか、無策でありつづけた日本を嗤うべきか。敗戦後の押しつけ憲法を後生大事に戴きつづけ、国防を委ねつづけたしっぺ返しにみえる。

 だからこそ日本人による日本人の憲法をもつこと、うつくしい日本の国、愛すべき日本の国を教育すること、国防を独り立ちすることをはじめないことには、いつまでもこんな環境がつづいてしまうのだ。


おわり
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http://www.mf.ccnw.ne.jp/~ad32901/kasukisns/kasukisns.htm