Luftwaffe Foundation and Organization
Reichsluftfahrministerium
(02年12月15日:青字はNEW)
by N.Dejima
内容の多くを
「The Luftwaffe,1933-1945 by Michael Holm」
から作者の了解の下に引用して
います。大変感謝しています。
Many items are quoted from
"The Luftwaffe,1933-1945" by
Michael Holm under his
permission.
Thank you very much for
his kind coopration.
また参考文献をご参照願います。
4−1Reichsluftfahrministerium (RLM:航空省)
WW2以前
☆はじめに(部門の階層)
RLMの各部門の階層は上位から順に、以下の
ように分かれていました。
Amt :局に相当
Amtsgruppe :(初期には無し)
Abteilung :部に相当
Gruppe
Referat :課に相当
☆設立直後の組織(1933年)
RLMは1933年4月27日にBerlinに設立され,
Goeingがその時点から1945年まで航空大臣
を務めました。設立時点では航空戦力の
存在は秘密になっていましたが、同年
5月15日に、空軍の独立化の方針に基づき
陸軍から移籍されたLuftschutzamt(LA)
と民間航空を統括するAllgemeine Luftamt(LB)
を共に統括する存在になりました。
同年9月1日に(LA)はLuftkommandoamtと改称
され、この時までに実質的な参謀本部と
しての機能を整え、作戦、編成、補給、通信
、訓練等の各部局が整備されます。
また同時にLufttechnicsheamt(LC)が
(LB)から独立する形で設立され,軍事航空の
技術面をリードする役割を果たします。
更にRLM全体ではこの時点までに(LD),(LP)
の各部がLWのスタッフの一部として新設され
ていました(下の図を見てください)。
☆組織の発展(1933年から1936年)
LWの創立時には、航空機搭乗員の緊急養成
が大きな課題でした。全ての飛行学校が
Kommando der Fliegerschulenにより再編成さ
れ、この組織は1933年11月1日に
Inspektion der Fliegerschulen
(航空学校監察官)と改称されました。
高射砲部隊の所属に関しては陸軍との間で
綱引きが有りましたが、1935年3月18日
に空軍の指揮下とされました。空軍の存在
公表直後の1935年4月1日付けの組織を以下に
示します。また航空部隊はReichsministerに直属
していました。
1935年組織図

LWの秘密裏の設立に当たり、主導的
な役割を果たしたRLMですが、1935年6月1日に
GoeringはReichsminister der Luftfahrt
und Oberbefehlshaber der Luftwaffeと二重称号
で呼ばれる地位に就き、RLMとLWは彼が頂点に
立つ一体の組織であることがより明確になりま
す。また1936年4月1日にLuftgauが補給と飛行場
管理の組織として創設され、更に8月1日付けでLAが
Generalstab der Luftwaffe(空軍参謀本部)
と改称されました。同時に調達部門であった
Luftzeugmeister(LZM)はNachschubamt(LE)に改組
されました。
また次官であるMilchはこの時点でReichsministerの
代理として全ての組織を統括する権限を持って
いました。
☆組織の見直し(1937年)
一方LWの内部組織が固まるにつれて、命令系統を
明確にする要求がGeneralstab側から高まり、
1937年に6月2日に以下のRLM内部の組織変更が実施
されました。
(1)従来Staatssekretaer(St)に下属していた
GeneralstabををReichsminister直属にする。その結果
結果Chef des GeneralstabはStと同格になりました。
(2)次官はLB,LC,LD,LE,LP,ZA,高射砲及び
防空監察官,航空安全及び設備監察官を統括する。
(3)次官の代理権限を、Reichsministerが休養か、
長期不在の場合に限定する。
この変更は当時Chef des Luftkommandoamtだった
Kesselringの提案に基づき進められましたが、当然
Milchとの深刻な対立を引き起こし、Kesselringは
5月31日付けでKom.Gen. und Befehlshaber
Luftkreis IIIに転出し,Stumpffが後任となりま
した。その後もStumpffはMilchとの関係の調整で
苦労することになります。
ここでGeneralstabの位置づけを確認します。この
組織はGoeringの意思決定を補佐する役割とされて
おり、航空部隊への命令はGoeringの名の下に出され
ました。
1937年組織図

1937年時点の組織図を上に載せます。RLMの
各組織がどのような機能を持っていたかが、
分かって頂けると思います。
☆Milchの復権(1938年)
LW内部の権限を巡る論争は継続しましたが、1938年
4月1日付けで再度の組織変更が発効しました。
主な内容を以下に示します。
(1)新設されたGeneralinspekteur der Luftwaffe
にMilchが就任し、全てのInspektion(監察官)から
報告を受けることになった。また彼は全ての作戦部隊
を直接監査する権限を持った。彼の職務の正式名称は
Staatssekretaer der Luftfahrt und Generalinspekteur
der Luftwaffe(St)となった。
(2)StがReichsministerの代理権限を再び持った。
(3)Stの下にChef der Luftwehr が設けられ、LB,
LD,LEを所轄した。ここで予算管理や民間航空の管理
を受け持った。
(4)Chef des Generalstabは作戦に関してReichsminister
に対する第一助言者であり、同時にReichsminister
の名の下に、命令書を作成し交付する権限を持つ事を
確認した。
その他の組織については下の図をご覧願います。
1938年組織図
これを見ると1937年からの一年間に中間責任者が増えて
組織が複雑化したことも分かります。

Milchの巻き返しは成功し、(4)のところでかろうじて
Generalstabの独立性が残ったわけです。
参考のためにMilchの見方をご紹介しておきます。
彼も戦後のインタビューでこの一連の権力闘争を、LW
弱体化の原因の一つとして上げており、弊害を以下の
のように述べています。
(1)作戦立案組織と管理部門の連絡が悪くなった。
(2)Generalstabの誤った判断による独走を招いた。
いずれにしても、所詮は職務をどう規定するかだけの
問題でありGoeringがその絶対権限を以って配下の調整
を図れば大事にならない事柄でした。しかし彼はそれを
を行わず、戦後の評論に拠れば両部門を対立させること
で自身の権力基盤の安定を図ろうとしました。
またこの組織では戦時の作戦運用ができないことが当時
から認識されており、Generalstabが戦局に応じて
Berlinを離れて行動できるよう、管理部門から明確に
切り離す検討が進められました。
☆大戦に向けての準備(1939年)
1939年に入ると、戦争開始の緊迫感が一段と高まり、
2月1日付けで以下の組織変更が実施されました。
(1)訓練活動を統括するChef des Ausbildungswesens
(Chief of training:Chef AW)がStの下に設けられ、
全てのInspektionが、Chef AWに所属することに
なった。
(2)装備の評価、試験と生産を一括して担当する
Generalluftzeugmeister(GL)が設けられ、その下に
Technischesamt(LC)とNachschubamt(LE) が集結し、
工業生産力の強化と価格及び納期の管理を担当する
Amtsgruppe Technische Wirtsschaft und Haushaltが
新設された。(GL)は次官に所属し初代にはChef des
TechnischeamtであったUdetが就任した。
(3)Stumpffは2月1日付でChef des Generalstab
の職を去り、後継のHans Jeschonnekの指導の下で
新たにGeneralstabの職務が定義された。その結果、
作戦行動の実施に直接関係する機能だけが残り、
以下の変更が発生した。
@訓練学校の統括はChef AWの担当となり、
戦術訓練の機能だけが残された(3. Abteilung des
Generalstab)。
この影響についてはLuftwaffe training
訓練-無視された必要性を、ご参照願います。
AAbteilung Nachrichitenverbindungswesen
(通信部)が切り離されて、次官の下に
置かれた。
1939年組織図

Jeschonneckによるこの変更は、空軍力を直接機動的
に運用する仕組みを実現したいと言う彼の理想を現実
化したものと言えますが、Wever以来、LWの発展を
リードしてきたGeneralstabの姿は失われました。
主要機能を次々に手放した彼の組織作りの裏に、
最終的に悲劇的な結末を迎える気の弱さのようなもの
を何か感じるのは、私だけでしょうか?
ともかく遠くの理想を忘れた組織の運命は、現代
に生きる教訓を残しているようです。
その後Generalstabは、Wildpark-Werderに移動して
戦争の準備に入り、Milchの率いるRLM本体と別れて
活動することになりました。
4−1−1Inspektion WW2以前
Inspektion(監察官)は、訓練、兵器システム、
実戦部隊の状況等につき、最高の専門家として
活動状況の監察を行い、問題点や改善策について
LWの中央に報告を行う職務でした。(特に
取り決めが有る場合を除き)各作戦部隊への
直接の指揮命令権を持ちませんでしたが、上層部
とのパイプ役や、優れた実戦経験者として大きな
影響力を持ちました。
実際の任務の進め方は(LWの通例で)分野毎で
異なりましたが、大きくは以下のように分か
れました。
実戦部隊との関連では、現地の状況を作戦や
命令の目的と照合、評価して助言を与える
機能を持ちました。
兵器との関連では、技術的な研究開発、実戦
での運用方法の開発、更に使用法の訓練に
至る迄その分野の発展の達成に関する責任を
持ちました。
また訓練等の限定された分野に関してはInspektion
が活動全体の責任者でした。
最も早く1933年11月1日に設置されたInspektionは
Inspektion der Fliegerschulen(航空学校監察官)
でした。
この職位は、他のAmtからは独立して航空機搭乗員
及び地上技術者の訓練実施に全面的責任を持ち、
内部はいくつかのGruppeやAbteilungに分かれて
いました。また自動的にKommandeur der
Fliegerwaffenschulen(兵器学校)の責任者となり
ました。
この組織は、1935年4月1日付けでもう一度Kommando
der FligerschulenとしてRLMの外部組織となりますが、
1937年4月1日付けで今度はChef des Generalstabの
管轄となるなど、以後複雑な経緯をたどります。
同じ1935年4月1日にLuftkommandoamtの下で偵察機
部隊、爆撃機部隊、戦闘機部隊と急降下爆撃機
部隊を管轄する3つの監察官が設けられ、
作戦面、技術面、装備面の監察と助言に携わり
ました。またOb.d.L.の命令の下で作戦マニュアル
及び技術マニュアルの作成を担当しました。
1.Inspektion der Aufklaerungsflieger und des
Luftbildwesens: Luftwaffeninspektion 1
2.Inspektion der Kampfflieger: Luftwaffeninspektion 2
3.Inspektion der Jagd- und Sturzkampfflieger
:Luftwaffeninspektion 3
1935年4月1日のもう一つの大きな動きとして、
Inspektion der Flakartillerieが陸軍から移管
されて、Inspektion der Flakartillerie und
des zivilien Luftschutzesとして発足しました。
これはStの管轄とされましたが、これは対空火器
(高射砲)部隊内部の組織や人事の決定機能を
有する、他のInspektionとは異質の組織でした。
このように各InspektionはRLM内部
での組織上の位置づけや機能がそれぞれ異なり
ましたが、1938年にStの管轄として統一され
ました。更に1939年にChef AWが置かれると
Inspektionには、LW将来の組織発展の為の教育と
改善を行う機能が強調されます。
1939年9月1日時点のInspektionの担当分野及び
正式名称と責任者の呼称を下に示します。
1:前出:責任者はInspekteur der Aufklaerungsflieger
2:前出:責任者はInspekteur der Kampf-und Sturzkampfflieger
(1939年10月5日からこの名称です。急降下爆撃はこれ
以前から戦闘機L.In.3から切り離されていますが、
その時期はよく分かりません)
3:Inspektion der Jagd- Zerstoerer-und Schlachtflieger und
des Waffenwesens
責任者はInspekteur der Jagd- Zerstoerer- und
Schlachtflieger und des Waffenwesens
(この名称はSchlachtfliegerが入っていて少し疑問ですが
文献に従ってそのまま載せることにします。皆さんの
情報をお待ちします)
4:対空火器:Inspektion der Flaiartllerie
責任者はInspekteur der Flakartillerie
責任者名は以下省略。
5:航空安全:Inspektion fuer Flugsicherheit und Geraet
6:地上車両:Inspektion des Kraftfahrwesens
7:通信:Inspektion der Luftnachrichtentruppe
8:海軍航空:Inspektion der Marineflieger
9:航空学校:Inspektion der Flugzeugfuehrerschulen
10:全体教育:Inspektion des Erziehung- und Bildungswesens
der Luftwaffe
11:空挺部隊:Inspektion der Luftlande- und Fallschirmtruppe
12:航法:Inspektion fuer Flugnavigation
13:民間防空:Inspetion des zivilen Luftschutzes
14:医療:Inspektion des Sanitaetswesens
15:地域防空(1939年10月5日に設置):Inspektion der
Luftvertidigungszonen
WW2が始まるとInspektionは徐々にGeneralstab
の管轄の所属に切り替えられて行きます。
お気づきの点があったらご連絡下さい(直)。
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