"ITIS MYDUTY TO RESPOND..."
COMMENTS ON THE "RAMJAEGER AND SELF-SACRIFICE
MISSIONS" BY ADOLF GALLAND
Jaegerblatt誌 Vol.XL(2),p.17(1991)
私が経験した最も悲しむべきかつ責任を持つことが出来ない
事件に付いて意見を言いたい。
1944年の前半に私は戦闘機隊総監としてvon Kornatzkiから
米軍の重爆撃機に対する体当たり戦法を提案を受けた。
その時私は体当たりは必要が無い事、何故なら爆撃機に
十分接近した戦闘機は確実に相手を撃墜できて、かつ生還する
チャンスを持っている納得させることが出来た。
これに引き続いて突撃戦闘機の戦法と技術が体当たりの
アイディアから発展し成功を収めた。
このように有る意味でvon Kornatzkiは突撃戦闘機の
発案者であると言って良い(体当たり戦闘機ではなく)。
1944年の後半になって、Hajo Herrmann 大佐が体当たり
戦法の問題を再び提案した。彼自身が体当たり任務に
対してどのような役割を担うつもりか?と言う私の質問
に答えて、空中体当たり部隊のリーダーとして、
一身上の役割は全て断ったと彼は言った。
私は体当たりや自己犠牲作戦には反対である事を
von Kornatzkiの時と同じ論理を用いて説明した。
しかし私にはGoeringに報告する義務が有った。
そしてかれも私の意見を支持した。
GoeringはHitlerもドイツ軍の自己犠牲攻撃
を指示しないことを保証した。
その後、私が戦闘機隊総監の任務に就いている
間は体当たりや自己犠牲作戦について会議の席上で
口にする事は禁止した。
しかし突撃戦闘機の高価で、困難な任務は
継続し、成功を収めた。
私は、事実が何かを知り、証拠を現在の視点で再評価
するために、この質問に答え無ければならないことに
同意するものである。
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