Luftwaffe RLM colours 81, 82 & 83:
A Commentary on their Evolution and Usage

Part2
By David E. Brown
Experten Historical Aviation Research, Inc.
Bedford, Nova Scotia, Canada
日本語版
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日本語版 by N Dejima
"Chaos and Compromise" - November - December, 1944
November 1944
Oberflachenschutzliste 8 Os 152:
Focke-Wulf社により発行され、RLMに承認された書類です。ここでは
グリーン81/82/76迷彩をTa152(C型またはH型?)に使用するよう
指示されました。番号は81と82とされましたが、色名は示されていま
せん(Ethell, 1990, pp.10-11, 22-23)。
写真の証拠からはTa152Hには81/82が使用されましたが、
Ta152C-1はFw190D-9と同じ75/83で仕上げられたと思われます。
これはTa152C-1は事実上大きさと外観がFw190D-9と一致することが
理由だと考えられます。
November 26, 1944
Oberflachenschutzliste 8 Os 335A:
ドルニエによって発行され、RLMの承認を受けました。(訳注:この中の)
D.Luft.T.2335はグリーン81/82/76の迷彩色をDo335A迎撃機に使用
するよう指定しています(Smith and Gallaspy,1977.p136)。色名は
この中でダークグリーン81とダークグリーン82とされています(Smith
and Creek,1983,p23;and Lutz,1983,p.31)。
この文書は色81,82が用いることが確認された僅か4つの迷彩
パターン (BV155、Ta152,Do335,Me262)のうちの3番目の
ものです。各航空機メーカーが異なった色名を記載していることは
驚く事ではありません。ここでドルニエは色名をダークグリーンとして
います。
スミソニアン博物館にあるDo335のオリジナル塗装片を同じスミソニアン
のMe262と比較すると、ドルニエの色82がMesserschmittのライトグリーン
82に大変近かったことが分かります。しかし(訳注:塗装片は)ドルニエ
のダークグリーン81と全く異なっており、最も近いのはオーストラリアの
ポイントクックにあるMe163のダークグリーンで、おそらくそれはダーク
グリーン83だったと思われます(Hitchcock,In:Smith and Gallaspy,
1977,pp.136-167;and Hitchcock,1996,pers.comm)。
この事から、スミソニアンのDo335のオリジナル塗装は旧い70/71の組み
合わせでなく(この組み合わせで1944年製の殆どの初期のDo335が塗装
されました)、また新しい(計画された)81/82でも無く、途中経過的なライト
グリーン82とダ―クグリーン83の組み合わせだったと思われます。
しかしDo335のレストアの際はオリジナルとは異なった、当時の命令
通りの81/82に塗装されました(Smith and Creek,1983,p15)。
Autumn 1944?
Oberflachenschutzliste 8 Os 156C?:
これまでに公式カラーチップと番号81と82の色を関連つけることが
できるのは、この未発行のフィゼラー156シュトルヒの文書だけです。
SmithとCreek(1994,P247)では以下のように引用しています。
その色調はアメリカの戦時中のオリーブドラブの暗いタイプとライト
メディアムグリーンが最も近く。また戦後のアメリカンフィールドグリーンも、
近い。
残念ながら、この文書の出所と発行日は上記の参考文献に書かれて
おらず、また81と82という番号の他に、色を記述する名称は有りません。
文書の発行日付は1944年秋と推定されます。この時点までにFi156に
作戦の場所に応じて異なった迷彩色が用いられましたが、大部分は色
70/71/65が用いられました。
DECEMBER 1944
A.I.2(g)墜落敵機報告書No.263
1945年1月8日
これはFw190D-9「黒12」Wnr.210079の調査結果です。1945年1月1日
に連合軍側飛行場攻撃であるボーデンプラッテ作戦に参加した際、
低空で鳥が冷却器に衝突して墜落しました。迷彩に付いて報告書は以下
のように記載しています。
迷彩は胴体にモットリングが施され、グリーンが基調となっている。主翼の
表面はドイツ機の一般的に用いられているよりも明るい緑色であり、主翼の
下面はライトブルーである。スピンナーは黒で、白の渦巻きが描かれている。
この月にFocke-Wulf190D-9の迷彩色の変更があったことは以前から
指摘されています。しかし実際は変化はもっと早くから起きていたようです。
また75/83の組み合わせから、81/82の組み合わせへの変更の公式文書
は未発見ですが、何らかの迷彩指示書の見直しまたは他の命令が工場に
対してRLMから発行されていたと考えられます
(Smith and Creek,1986pp.22-23)。
ここにある明るいグリーンの使用はRLMのFw190D-9に対する指示と一致
しませんが、補給と原材料の欠乏が一層深刻になり、航空機生産へ影響
が出た結果でしょう。
この墜落機報告書から機体上面の明るいグリーンが連合軍の情報機関に
とって目新しく、その注意を引いたことが明確に伝わって来ます。
コメントは間違い無くRLM82ライトグリーンのことを言っていますです。もし
グリーングレーと言っているとするとそれはRLM02グレーと言う事に
成ります。興味深い事に、他の上面色には何も触れていません。
恐らく翼は単色で塗装されていたか、または多く見られるグレーバイオレット
RLM75との組み合わせだったと思われます。
ともかくカラー写真によれば戦争終結までに後期のDoraはグリーン81/82
の組み合わせに移行していたことが分かります。
DECEMBER 1944
A.I.2(g)墜落敵機報告書No.265
1945年1月29日
調査対象となったMe262Aはコード9K+MK WNr.170213:所属1./KG51。
1944年12月25日に対空砲火により撃墜されました。同機の迷彩に付いて
簡単に以下のように書かれています。
機体は下面はライトブルー、上面は(訳注:複数の)ライトグリーンの色調
で迷彩されていた。
この観察結果はMe262の迷彩をブラウンバイオレット81とライトグリーン82に
するように指示した公式書類が発行される2ヶ月以前のものです(訳注:
下の1945年2月23日発行書類の事を言っています)。
私はこの色は82/83であり、後者(ダークグリーンの可能性が高い)がより
明るいライトグリーン82に影響されて鮮やかな緑色に見えたものと解釈します
(訳注:他の解釈もできそうです)。
これは、(前に述べた)1944年7月1日のRLMの指令や規程集Nr1にある
爆撃機用迷彩の変形であり、色82ともっと暗い色の組み合わせである
正式迷彩実施までの一時的なものと考えています(ここでは81の代りに83が
使用された)。
"Collapse" - January- May, 1945
January18,1945
Factory Camouflage Directive,He 162A
この文書(恐らくOberflachenschutzliste8Os162A?)ともう一つの
1945年2月28日の文書によれば、He162は部品(主要サブアッセン
ブリ)毎に塗装を行うよう指定されています。色番号は81と82と書か
れていますが、色名称は有りません。
(Smith and Creek,1986,pp.22-23;Merrick and Hitchcock,
1980,p45)
注:この機種ではMe163と同様に手持ちの70と71を新しい80系と
組み合わせて使用した例があることが知られています。例えば70/82
または71/81です(Merrick and Hitchcock,1980,p45)。またこの
機種の下面は多くの場合無塗装でした。
February 20, 1945
Jagdgeschwader Markings - B.Br.Nr.2/45 g.Kdos.:
よく引用されるOKL発行のドイツ防空に関する文書です。
1944年半ばから、西部戦線のいくつかの部隊が味方識別の目的で尾部
に多色の帯を描いていましたが、1945年2月になって、Luftwaffeは
戦闘機部隊が用いる帯の色と組み合わせを公式に指定しました。
実際はいくつかの部隊は指定に従っていませんでしたが、読者の便宜の
為に本文を引用します。但し説明の一部を省きます。
SECRET!
20 February 1945
“B.Br.Nr.2/45 g.Kdos.
主題:戦闘航空団の標識 Encl: 1
帝国元帥(訳注:ゲーリングの事です)の命令により航空機識別性改善
の為に戦闘航空団の航空機は以下の表に従い色帯を胴体に回りに
表示しなければならない。
軍内の伝達は小隊レベルまで行い、これにより味方機の認識と区分を
明確に行うようにすること。
SECRET
J.G. 1 bright red (23)*
J.G. 3 white (21)
J.G. 11 yellow (27)
J.G. 27 bright green (25)
J.G. 53 black (22)
J.G. 54 bright blue (24)
J.G. 5 black / yellow (22 / 27)
J.G. 7 blue / red (24 / 23)
J.G. 26 black / white (22 / 21)
J.G. 52 red / white (23 / 21)
J.G. 77 white / green (21 / 25)
J.G. 301 yellow / red (27 / 23)
J.G. 2 yellow / white / yellow (27 / 21 / 27)
J.G. 4 black / white / black (22 / 21 / 22)
J.G. 6 bright red / white / bright red (23 / 21 / 23)
J.G. 51 bright green / white / bright green (25 / 21 / 25)
J.G. 300 bright blue / white / bright blue (24 / 21 / 24)
(RLM色の説明は著者によるものでオリジナルではありません)
この文の主題と直接関係は有りませんが、皆さんの議論を補う目的と、
また興味に応える目的の為に一つ触れておきたい事が有ります。
ブルー24が明るい色であることは良く知られていますが、カラー写真
や機体の残骸の一部を確認すると一段と明るい青が存在してJG300の
RV帯に用いられた事が知られています。
(J. Crandall, 1996, pers. comm.: J.H. Kitchens, 1994,
pers. comm.; and Smith et al., 1979, p.50)
これは前線で調合されたために明るい色調になったRLM24でしょうか?
或いは新しい色でしょうか。
February 23, 1945
Oberflachenschutzliste 8 Os 262A:
メッサーシュミットによって、作成され、RLMによって承認された文書
です。ここではグリーン81/82/76の組み合わせをMe262Aに使用
するよう説明しています。色名は計画上では、ブラウンバイオレット81
とヘルグリーン82と表現されています。(Merrick and Hitchcock,
1980, p.47;Smith and Creek, 1983b, p.20; Radinger and Schick,
1993, p.110).
やっと基本的な大戦後期のMe262の迷彩色の組み合わせが指示され
たわけです。しかしこの計画は実行されたのでしょうか?写真による
証拠からはこれ以外に多くの見なれないMe262の迷彩色があった
ことが明らかです。
:1944年11月、コマンドノボトニーの全面を暗い色で塗装したMe262
(RLM70/71?)、1945年4月、JV44の全面を暗い色で塗装したMe262
(RLM81)等。経済の破綻と輸送が事実上極めて困難な条件下で、どれ
だけの割合のMe262が命令通り81/82の組み合わせで仕上げられたの
でしょうか?そしてこの条件下で、何種類の81,82,83の色調があった
のでしょうか?
Interpretations and Conclusions
断片的に残っている命令書や報告書、観察結果から、我々が知りたいと
思っている現実がどう変わっていったのかが分かります。極めて
重要な情報も有り、また重要度が低い情報も有りますが、これらを
単独で考えている限りは、有用であっても特定の範囲の説明を超える
ことは有りません。しかし時系列的に資料を並べ、その間に起きた事を
検討すると、別々だと思われたことが実は重要な関連性や変化を示して
おり、後期Luftwaffeが使用した色の起源とその使用状況についての
明確な説明になっている場合があります。
これまでに引用して検討した資料から、私はLuftwaffeのいくつかの機種
の迷彩システムがどう変わったかに付いて明確になったと信じます。
しかし更に議論を進める前にいくつかの色の名称と公知の(或いは推定
された)RLMの番号を照合することが有用だと思います(表1と2)。
それは二つの方法によりました。一つは色名称を基準にするもので、
もう一つはRLMの色番号を基準にするものです。
Table 1: Ranking by colour name (alphabetic)
Camouflage Colour
|
Description
|
Designatio
|
Braunviolett
|
brown-violet
|
81
|
Graugrun
|
grey-green
|
74
|
Dunkelgrun
|
dark green
|
71, 81, 82, 83*
|
Grauviolet
|
grey-violet
|
75
|
Grun
|
gree
|
83
|
Hellgrun
|
bright green
|
82
|
Lichtgrun
|
light green
|
82
|
Olivbraun
|
olive brown
|
81
|
Olivgrun
|
olive green
|
80
|
Schwarzgrun
|
black-green
|
70
|
(* Note: これまでにRLM83の色名がダークグリーンだと説明
した公式文書は有りません。Hitchcock (1983, p.13)によれば
「色83は公式にはグリーンと記載されている。」と言っています。
しかしこの公式記録の原典と発行日、内容は述べられていません。
83のダークグリーンと言う名称は、資料の解釈から得られたもの
で、写真、墜落機報告書、実機の残存破片、その他に基づくもの
です。 (Smith and Creek, 1994, p.247; Smith and Gallaspy,
1977, pp.96, 100, 124-125, 129, 134, 13-137))。
表1から分かるようにここで私が議論したRLMの色名称は殆ど、
一つの色番号に対応しています。しかしダークグリーンは4つもの
色番号に対応しています。最初は、1937年のRLM71であり、
後に1944年に至り、RLM81,82,83が対応しました。
RLM71がダークグリーンであったことに疑問は有りません。しかし
残りの色も同じでしょうか?RLMのそれまでの命令や証拠からは
恐らくそうでなかったと思われます。
Table 2: Ranking by RLM colour designation
番号
|
迷彩色
|
色名
|
70
|
Schwarzgrun
|
black-green
|
71
|
Dunkelgrun
|
dark green
|
74
|
Graugrun
|
gray green
|
75
|
Grauviolett
|
grey-violet
|
80
|
Olivgrun
|
olive green
|
81
|
Braunviolett
|
brown-viole
|
81
|
Dunkelgrun
|
dark green
|
81
|
Olivbraun
|
olive brow
|
82
|
Dunkelgrun
|
dark green
|
82
|
Hellgrun
|
bright green
|
82
|
Lichtgrun
|
light green
|
83
|
Dunkelgrun*
|
dark green
|
83
|
Grun
|
green
|
t
(* Note: 上と同じ)
表2は色をRLM番号順に並べたものです。こうしてみると1944年
7月の後期色81,82,83の導入までは迷彩色の秩序があったことが
分かります。システムの混乱はその直後から発生し、3種類の色に
8種類の名称がありました。
その一つダークグリーンのことは良く知られています。疑問は、
いつから、どうして混乱が発生したかです。
下の表3によれば混乱は中期のグレー系迷彩から後期のグリーン系
迷彩に移行が始まった1944年の10月から11月からだと思われます。
もっとも重要なことは、影響を受けたのは戦闘機だけですが、この
重要な変更に関する公式命令は未だ見つかっていない事です。
一方、連合軍がはじめて変更後のライトグリーン82で塗装された
機体に遭遇したのは1944年12月の末で、これは(訳注:爆撃機に
対する)公式導入から6ヶ月後のことでした。この遅れはなぜ起きた
のでしょうか。
Table 3: Chronology of Camouflage
Schemes and Colours
Date
|
Company
|
Aircraft
|
‘Darker’ Colour
|
‘Lighter’ Colour
|
??/04/44
|
Messerschmitt
|
Me 163 B**
|
70 Schwarzgrun
|
71 Dunkelgrun
|
??/04/44
|
Messerschmitt
|
Me 163 B**
|
74 Dunkelgrau
|
75 Grauviolett
|
16/06/44
|
Arado
|
Ar 234 C***
|
70 Schwarzgrun
|
71 Dunkelgrun
|
17/06/44
|
Messerschmit
|
Me 262 A**
|
74 Graugrun
|
75 Grauviolett
|
13/09/44
|
Blohm & Voss
|
BV 155***
|
81 Olivbraun
|
82 Lichtgrun
|
??/09/44
|
Focke-Wulf
|
Fw 190 D**
|
83 (not given)
|
75 Grauviolett
|
??/10/44
|
Messerschmitt
|
Bf 109 K**
|
74 Dunkelgrau
|
75 Grauviolett
|
??/??/44
|
Messerschmitt
|
Bf 109 K**
|
83 Dunkelgrun
|
75 Grauviolett
|
??/10/44
|
Focke-Wulf
|
Fw 190 A/F**
|
83 (not given)
|
75 Grauviolett
|
??/11/44
|
Focke-Wulf
|
Ta 152 H***
|
81 (not given)
|
82 (not given)
|
26/11/44
|
Dornier
|
Do 335 A***
|
81 Dunkelgrun
|
82 Dunkelgrun
|
??/??/44
|
Fieseler
|
Fi 156 C**
|
81 (not given?)
|
82 (not given?)
|
??/??/44
|
Messerschmitt
|
Me 163 B**
|
81 Braunviolett
|
83 Dunkelgrun
|
??/12/44
|
Messerschmitt
|
Me 262 A*
|
82 Hellgrun?
|
83 Dunkelgrun?
|
??/12/44
|
Focke-Wulf
|
Fw 190 D*
|
82 Hellgrun?
|
(no other colour?)
|
??/??/45
|
Messerschmitt
|
Bf 109 K**
|
81 Braunviolett
|
83 Dunkelgrun
|
??/??/45
|
Messerschmitt
|
Bf 109 K**
|
81 Braunviolett
|
82 Hellgrun
|
18/01/45
|
Heinkel
|
He 162 A**
|
81 (not given)
|
82 (not given)
|
??/01/45
|
Focke-Wulf
|
Fw 190 D**
|
81 (not given)
|
82 (not given)
|
23/02/45
|
Messerschmitt
|
Me 262 A***
|
81 Braunviolett
|
82 Hellgrun
|
*** 迷彩パターン確認済み
** 迷彩パターン未確認
* A.I.2 (g) 墜落機レポートによる
ここでは命令や文書の日付と、その時ドイツが直面していた戦争の
状態を考慮する事が重要です。1944年7月1日までに連合軍の陸上
部隊はノルマンディーの橋頭堡の拡張を始めており、同時に空軍の
戦略攻撃は一段と強化されました。
1943年の末から1944年の初めにかけて連合軍の爆撃はヨーロッパの
占領地域奥深く迄範囲を広げ、激しさと破壊力を強化しました。
このためLuftwafeほとんどの力を戦闘機部隊の編成と訓練、
に割くことを強いられ、特に戦闘機の生産が最重要課題となり
ました。空の戦いの破滅の進行と経験あるパイロットの損失を見れば
正に災危は目前だったのです。
これらの圧力と燃料の深刻な欠乏への対策として、Luftwaffeは
1944年の7月から8月に殆どの従来の爆撃部隊を解散しました。
事実上既にに爆撃作戦は東部戦線に限定されていましたが、
この時解散した部隊には、KG1,2,30,54,55,76が含まれています。
そして残存部隊も損失と燃料不足が原因となって衰えて行きました。
しかしもっとも重要な要素であった経験を積んだパイロット達は急遽
拡大しつつある戦闘機部隊に至急移動しました。
9月までにドイツの航空機産業の再組織が行われ、戦闘機の生産
数は新しい記録を達成しましたが、He177、He111、Ju88のような
従来型の爆撃機の生産は事実上終了しました。
このことを念頭において、Luftwaffeが1943年以降何を計画したかを
見て行きましょう。
まずRLMは、ヨーロッパ大陸用に考えられた低コントラストの70/71
爆撃機用迷彩と海洋作戦を前提に考えられたグレー74/75の戦闘機用
迷彩は、拡大した戦線と環境下では不適当であると決定しました。
ブラウンとグリーン、新たに耕された農地、森林の植物と農作物の色合
いを混合したものが、拡大した地理条件や気候により良く適合して
いると考えました。
さらに戦争の行方について検討し、航空機が地上にある状況を
含めてより防御面での考慮が必要とされました。
ここで重要な1944年7月1日の命令を振り返って見ましょう。明らかに
どこにも戦闘機については述べられていません。
Point1)に述べられているようにその任務から70と71の使用を指定
された全ての新しい航空機は今後81と82で塗装されると指示されて
います。1944年の7月において、70と71の使用を指定されたのは
爆撃機かそれに類する航空機でした。
さらにその命令は、70と71で塗装される予定の新規生産される
航空機を対象とすると言っています。それはAr234のような、それ
までの殆どの完成機が70/71の組み合わせで塗装されていた機種
を意味します。
しかし既に爆撃部隊はすぐに解散することが決まっており
これらの機体や新型機の生産も近い内に終了することになってい
ました。現実は計画を追い越していたのです。
それでは何をするべきでしょうか?RLMは経済状況の悪化を踏まえ、
可能ならば新しい色に完全に切り替える前に旧い塗料を使い切るよう
命令しました。そして新しい色を導入する手順を明確にしました。
さらに色の試験の省略と、必要な色見本が欠けていても良いことを
認めました。このことからなぜ公式の色名称が指定されなかったかを
理解する事ができます。
しかしこの決定により、メーカーが自身の必要に応じて塗装色に独自
の色名をつける可能性が出ました。
またメーカーによってはそのようなことが無かった場合もありました。
筆者の意見としては、その後に発行された文書中の殆どの後期色の
名称は、メーカーが自身で決定したもので、RLMの関与は無かった
と考えます。
1944年の夏の終わりまでにRLMとドイツの工業界は他の機種を犠牲
にしても戦闘機の生産に重点をかける大きな変更を行いました。
直前まで存在した新型機、特に爆撃機の開発は速やかにキャンセル
されました。
RLMは同時にもう一つ問題をかかえます。というのは新しい迷彩色
の使用を目的としていた航空機の生産がなくなったことです。
一方で新しい色は原材料の不足と輸送システムの崩壊が原因で生産
と輸送が困難でした。
従って全ての工場での戦闘機の各機種の生産において手持ち
の旧い色を使い切ることは正しい選択だったのですが、その結果
として多くの新旧の色の組み合わせを認める事に成りました。更に
航空機の生産の増大の為に、多くの分散した協力工場に航空機の
主要部分の生産を委ねる事に成りましたが、その環境の違いの為に、
各部品の塗装を現実に入手可能な塗料を用いて実施せざるを得なく
なりました。
上に整理したデータによれば、1944年10月から11月の時期に新型
戦闘機の投入と新しい迷彩の導入が行われ、関連して多くの混乱が
生じた事が分かります。
筆者はこの時期の前後にRLMは、戦闘機に対しても元来爆撃機用
に開発された新しい迷彩色を使用することを決定したと考えてい
ます。またRLMはRLM83の導入を1943年末に命令していました。
写真と墜落機報告書からこの色が公式にはダークグリーン83と呼
ばれ、1944年8月から9月においても他の色と共に使用された事を
示しています。さらにその時点で75/83の組み合わせの迷彩は廃止
されし、残った色は新しい色と共に使用することで完全に使い切る
ことになったようです。
A.I.2 (g) 墜落機報告書から、ライトグリーン82で塗装された最初の
航空機がその年の後半に発見されている事が分かります。
この過渡的な状態がいつまで続いたかははっきりしていません。
しかし全ての生産工場で完了した訳では無く、切り替えをどのように
進めるかは、戦争の終了時まで放任されていた場合もあったよう
です。
ある場合は塗料が不足しており、別の場合は、生産計画が終了する
まで旧い塗料の在庫が十分ありました。
写真から見るとMesserschmitt製のBf109の特定の形式でさえも多く
の、色々の迷彩パターンと色彩があったことが分かります。
この動きの中で二つの疑問が残ります。RLMは色81,82の名称を
公式に決めたのでしょうか?もしそうならばカラーチップが実際に
発行されたのでしょうか?それまでの動向から見ると、RLMの
命令の連絡、製造者の新しい色の使用開始、色見本と名称の伝達
の間に時間の遅れは避けられなかったようです。
戦争が進むにつれて、その遅れは疑い無く戦局と経済の悪化の為
に長びくことになりました。
色81,82に関して状況は部分的はひどいもので、その使用を目的と
した航空機は生産が打ち切られ、旧い色の在庫を同時に使い切る事
になりました。更に塗料の実際の生産と、分散された組み立てと部品
の工場への輸送は連合軍の爆撃により妨害されました。
しかしながら実際には限定された量ですが新しい色の塗料が、いくつ
かの主要な生産工場に到着し、2月23日にMesserschmitt社は、
Me262用に承認した迷彩パターンを公表しました。その中には、二つの
色はブラウンバイオレット81とヘルグリ−ン82と記載されていました。
それまでに他の製造者によって公表された色名の中でも、これらは
色調をもっともよく表現しています。
現在知られている限りこの後で発行された他の迷彩パターンはありま
せん。従ってこの文書が二つの新しい色のRLMの公式色名に基づいて
いる可能性が高いと考えます。もしそうならば、Messerschmitt(と他の
製造メーカーは)色図と塗装サンプルを受け取っているか、
そうでなくとも少なくとも品質管理の目的で塗装片があったと思います。
この考え方を前提にすればこの色で塗装された現存機はRLMが要求
した色調に近いことになります。
RLMの最後の色図が発見されるか、あるいはそのようなものは無かった
ことが分かるまで、ブラウンバイオレット81とヘルグリーン82の色調は
不明です。この時期に製造された塗料にばらつきがあったことが
分かっている以上、正式の色調と実際存在した色調の違いは議論の
対象として残ります。
もう一度整理しますと、二つのRLM色81,82は旧いブラックグリーン
70,とダークグリーン71を置きかえるためのもので、それは爆撃機か
同様の目的の航空機に使用する計画でした。
資材を効果的に使用するために、RLMは全ての旧い塗料はそれを
使い切るまでは新しい色と組み合わせて使うことを認めました。
しかし、この変更が実施される前に、爆撃部隊は途中で解散する
ことになり、爆撃機の生産は止まりました。
またこの時に、戦闘機の迷彩も変更になり、RLM74グレーグリーン
がRLM83グリーンでで置きかえられました。
1944年夏から秋にかけて戦争の状況から工場の分散と戦闘機の
増産が必要になり、航空機は多様な迷彩で生産ラインから出荷
されることになりました。
旧と新の迷彩色からなるいろいろの組み合わせが写真や文書(墜落機
報告書)から報告され、また議論によって結論として得られました。
1944年11月までに新しい色81,82が工場で使用可能となり、それを
戦闘機で使用することが増えて行きました。
1945年2月までに、81/82の組み合わせと、それに83を加えて変形
させたパターンがRLMにより公式に認められ、それは、
MesserschmittではMe262における81ブラウンバイオレットと
82ヘルグリーンとして指定されました。
以前の文書からわかるように公式な承認の前に実際に新しい
迷彩色を数ヶ月に亘って使用することはそれまでに何度か有り、
同じことが起きることは不自然では有りません。
従ってMesserschmittによるRLM色81,82に対する、ブラウンバイオレット
とヘルグリーンの命名が公式名称と一致している可能性は高いと考え
られます。もしそうならば公式色図と塗装見本も二つの色に対して
実際に発行されたと思われます。
従って、元来爆撃機用の新しい色の迷彩がLuftwaffeの戦闘機に
用いられたのは、その後の僅か数ヶ月でした。
戦争の終わりまでには連合軍が単一の色や無塗装のMe262に遭遇する
ことが増加しました。しかしそれは空中ではなく、暗い森の中や使用
されなくなった飛行場などの最後のドイツ帝国の痕跡の中で、既に命を
失い、静かに朽ちていました。
A Final Word
最初に述べたようにこの文書は私の個人的な使用の為に作成されたもの
ですがその後他の愛好家と共有する為に内容を追加して、体裁を整えました。
すべての説明、訂正、追記、解説其の他は歓迎ですし、直接著者に確認を
して下さい。世界の愛好家の助けを通じて、Luftwaffeの多くの機体の後期
迷彩色の使用や発展に関して全体の理解が一層進むことを期待するもの
です
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