テイルズトップへ

受け継がれるもの2

「ねえ、アスベルは何歳?」
 月の明るい夜、いつものように小さな訪問者が現れた。
 噴水の端に腰かけていた少年は、唐突な質問に驚いて何度か瞬きをした。
 城を抜け出してきた金色の髪の子供は、挨拶も忘れたように大きな瞳を向けて答えを待ってい
た。
「こんばんは、リチャード王子。いきなりどうしたんだ?」
 あえて質問には答えずに、アスベルはいつもの微笑みを小さな友人に向けた。
 ここ最近、この二人は誰にも内緒で夜の密会をしていた。
 英雄アスベルのことは、あまり世には知られていない。
 誰もが知っているのだけれど、本当には誰も知らないのだ。
 噂と中途半端な英雄伝、それと少しばかりの神聖視が加わり、飛び交う噂はほとんど空想に近
かった。
 アスベルが王室預かりの扱いとはいえ、肝心の王家からは取りたてて噂に対してのお達しもな
く、アスベル本人も表舞台に立つことを拒んでいるからである。
 というわけで、いろいろな眉唾話が、まことしやかに流れているのだ。
 そして、その話を聞きつけるたびにこうして小さな王子は確かめに来るのである。
「いいから、ねえ、何歳?」
「……幾つに見える?」
 この話を中断させるつもりがないことを悟ると、アスベルはこっそりため息をついて逆に聞き
返した。
 えっ、と王子が戸惑う。
 まさか逆に質問されるとは思っていなかったのだろう。
 それでも、じーっとアスベルの顔をみて、
「う〜ん、18くらい?」
 と、首を傾げた。
 思わずアスベルが苦笑する。
 その反応をどう受け取るべきか迷って、王子は率直に聞く。
「当り?」
「どうしてそんなに気になるの?」
 またもや質問で返されて、不満そうに口をへの字に曲げた。
 しばらくどうしようか逡巡していたが、アスベルが先を続けるつもりがなさそうなのをみて、
結局、根負けしたようにもごもごと話し始めた。
「……今日、」
 ちらっとアスベルを見る。
「アスベルを受け継ぐ者が短命だと聞いて…」
 話しづらかったのか、ぼそぼそと蚊の泣くような声だった。
「ああ、なんだそういうことか」
 一方、アスベルの方は納得がいったとばかり笑った。
「心配してくれたんだ」
「たっ、ただ確認しただけだ!」
 慌てて王子が口を開く。
「ほとんど子供のうちに亡くなったって聞いたから…、だからアスベルは、その」
「大丈夫だよ、俺は」
 小さな王子の金色の髪を優しくなでて、少年が頷いた。
「ほんとうか?」
「ああ、本当だ。それに、その噂は間違いだ。正確には”アスベル”の宿命は短命なんかじゃな
い……」
「えっ?」
「むしろその逆だよ」
 そう言って、アスベルは長い話を始めた。
 

 初代アスベル・ラントは、長男が成人すると早々に家督を譲り、いつも傍にいた不思議な少女
と共にラントを去った。
 リチャードの懇願もあって、その傍に仕えたりもしたが、もっぱら世界各地を巡回する仕事を
好んだ。正確には、事情があって一つ処にいるのが困難になったからだ。
 その後、当時世界を救った仲間たちが亡くなり、特に長命だった弟のヒューバートを見送ると、
アスベルは再びふらりと姿を消して、その数年後、眠るように亡くなったという。
 その亡骸は、まるで少年のようだったと伝えられている。
 ――さらに一年後、オッドアイを持つ子供が生まれ、アスベルの生まれ変わりだということで、
ラント家へ養子に出された。
 その後、アスベルの名はオッドアイを目印に受け継がれていった。
 やがて、その名を継ぐ者は英雄の生まれ変わりとして、王室預かりの身となり、のちに神官の
制度が確立される王家において、名誉職とはいえ、その最高位である大神官の地位を与えられる
ことになったのだ。
 もともとは、ラントの性を継いで初代と同じラント領主として育てられたが、2代、3代と続
くうちに、ラント領主はラント家の直系の長男が継ぐ、世襲制へと戻った。
 オッドアイの継承は、必ずしもラント家の直系ではなかったからだといわれているが、実は、
ほとんどの者が成人しなかったからだというのが事実だった。
「成人しなかった、って?」
「幼いうちに、亡くなったんだ」
 さらりと答えたアスベルに、幼い王子が怯んだように息を呑んだ。
「じゃ…、やっぱりっ!」
 アスベルは、きっぱりと首を振った。
「こう見えても俺は、リチャード王子のお父上の倍は生きてるよ」
「父上の?え、いま父上が45歳で?…あれ?」
 指を立てて数を数え、アスベルの顔を交互にみて、やがてポカーンと口をあけた。
 アスベルは相変わらずにこやかに笑っている。
 その顔をみて、からかわれたと思ったのか、小さな王子のかわいらしい頬がぷっくりと膨れる。
「嘘をつくな、アスベル!父上はもう40を過ぎてるぞ」
「もちろん知ってるよ」
 事もなく答えて、アスベルは金色に輝く月を見上げた。
「アスベルの名を継ぐ者は、その身にラムダが宿る。
 その記憶が影響しているのか、初代アスベルがラムダを取り込んだ年齢になると、なぜか身体
の成長が止まるんだ」
 相変わらず唖然として言葉もない王子に、アスベルはちょっと困ったように笑う。
「ただ、さっきも言ったようにアスベルの名をもつ者のほとんどが、その年齢になるまえに亡く
なってしまったから、短命の噂ばかりが広まったんだろうね」
 静まり返った城の中庭には、さわさわと木の葉の擦れる音だけがどこか遠くで聞こえる。
 どう見ても十代にしか見えない目の前の少年が、自分の父親より年上だと聞いた王子の頭はパ
ニック寸前だった。
 それでもなんとか理解しようとしているのか、ただ必死に耳を傾けていた。
「俺は初代に次ぐ長命だけど、それは単なる運だったと思う」
「…運?」
「そう、稀なる出会いと、ラムダが正気を取り戻したという幸運」
「出会いと、ラムダの…正気?」
 オウムのように茫然と繰り返す子供は、果たして理解しているのか。
 ともかく、アスベルは先を続けた。
「そう、ラムダは初代アスベルが生きている間はずっと眠っていた。けれど、その死をきっかけ
にラムダと共に眠っていたモノが暴走を起こし、ラムダがそれに引きずられた」
 空に輝く星空を仰いで、アスベルは淡々と語った。
 己の記憶にある400年前の星々も、今とまったく変わらずに空に輝いていた。
「ラムダは突如として器を失い、憎しみを抱えたままのフォドラを体内にとどめたまま、ひどく
不安定な状態になってしまった。数年間、空虚な空間を漂いようやく同じ魂を宿す器を見つけた
時にはもう半分狂っていた」
 唯一、ラムダを救えるかもしれなかったソフィーもまた、アスベルが亡くなるとあのラントの
裏山でしばしの眠りについていた。
 アスベル・ラントの系譜に受け継がれていったラムダは、その子供が成長してソレを受け入れ
られるようになる前に、自らの毒によって器を殺してしまう。
 ――最悪な悪循環が、始まった。
 一人になったラムダが、新たなアスベルとの邂逅の待つことができず、闇に呑まれるようにど
んどん狂気の螺旋に迷い込んでしまったのだ。
 それでもアスベル・ラントの血がラムダの暴走を許さなかったので、代替わりを続けるオッド
アイの子供は、そのまま惰性のようにラムダの器となった。
 狂気に囚われたラムダの悪夢が、つぎつぎに宿主の精神を蝕んでいく。
 短命というのは、命数が尽きたわけじゃない。
 ほとんどは精神を病んで衰弱するか、…不慮の事故で亡くなったのだ。
 事故死とは、幼い王子を気遣って選んだ言葉だった。
 要は、気が触れて自ら命を絶ったのである。
「……アスベルは、平気?」
 心なしか、王子の唇が色を失っている。
 水場の近くだし、少し寒くなってきたかもしれない。
「リチャード王子、だいぶ夜も更けてきたからもうお帰り、続きはまた明日にしよう」
「ねえ、アスベルは平気なの?」
 早々に立ちあがったアスベルに、小さな王子はこれだけは譲れないとばかりに見上げてきた。
 聞くまでは一歩も動かない構えだ。
「言っただだろう?俺は大丈夫だよ、今はラムダも正気を取り戻したって言っただろう?」
 ぽんぽんと子供の頭に大きな掌を乗せて、優しく撫でる。
 子供扱いが嫌いな王子が、少し不貞腐れたような顔をしたが、あえて手を振り払うことはなか
った。
「この通り、俺はもう精神を病んでなんでなんかない」
「もう?」
「うっ、へんな所に引っ掛かるなあ」
「もうってなにっ?アスベルもやっぱり…」
 ともかくっ!
 と、少年は小さな王子の頭を両脇からがしっと掴む。
 このままではきりがない。
「見ての通り、俺はぴんぴんしてるし、ぜんぜん大丈夫だから!それよりも、お前に風邪でも引
かせたらそれこそお父上の雷が落ちるだろう」
「アスベルは父上とも知り合いなのか?」
「もちろんだとも。お前のお父上が、まだこーんな小さい頃を知っているぞ」
 指の間で2センチ程の隙間を作ってみせると、王子が「そんなに小さいわけがないだろう」と
お約束のつっこみをいれる。
 そして、ぐずる子供をなんとか城の中へと押し込むと、アスベルはまた噴水の近くへともどっ
てきた。
「私の息子はそんなに似ているのか?お前のリチャード陛下に」
「……どうかな、お前が小さい頃も似ていると思ったが」
 そこにはいつのまにかもう一人の人物が立っていた。
 壮年の美丈夫な男だ。
 仕立てのいい服をすらりと着こなし、絹のような金髪を背中に流している。
「そうだな、幼い私は自分の名をリチャードだと思ったくらいにそう呼ばれていたからな」
「悪かったよ、あの頃は……あまり意識がはっきりしなくて」
「べつに怒っているわけじゃない、お前のリチャードになれなくて残念だったがな」
「またそんなことを言って…、陛下、お一人でこんなところに不用心ですよ、自分の部屋へお戻
りください」
 この人物こそ先ほどの子供の父親で、すなわちこの国の王である。
「都合が悪くなるとすぐそれだ」
 王は、年甲斐もなく口を尖らせて不満そうな顔をした。
「だいたい、この時間は私がアスベルを独占できる時間だったのに、いつの間にか息子に奪われ
てしまったのだぞ。少しは話を聞いてくれてもよいではないか」
「はいはい、聞きますよ。今日はどんな愚痴ですか?」
「おいおい、さっそく投げやりだな」
 もうおじさんは嫌いになっちゃったんだ、とかいってイジケだした王をなんとかなだめ倒しな
がら、常に”アスベル”と共にいてくれたこの王家の人々を、彼は心から愛しく思っていた。
「アスベル……」
 不意に、茶色のねこ毛に大きな骨ばった手が乗せられ、ぐりぐりと撫でられた。
「陛下?」
「いつの間にか立場が逆転したな。私が小さかった頃はいつもお前こうされて怒っていた」
「リチャードも怒るぞ、お前らほんとそっくりだな」
「あれも子供扱いが嫌いだからな…、だが」
 壮年の王は、少し寂しそうに笑った。
「そうされるうちが華だということは、その頃はわからんものだよ」
「何だお前、頭を撫でてもらいたいのか?」
 呆れたように言いながらも、アスベルは噴水の端に腰をかけたままで、からかい混じりにちょ
いちょいと王を呼んだ。
「まさかっ、」
 即座に否定した王は、
「……いや、まあ、そうなるのかな」
 そう言って、手招きする少年を見て愛おし気に瞳を和らげると小さく笑った。
 未だ十代の少年の姿のアスベルに、ひとまわり以上体格の違う王が覆いかぶさるように近づいた。
 明るい月明かりを受けて、二つの影が石畳に長い影を落とす。
 いきなり強い力で引き上げられたアスベルは、ふわりと浮いたその身体をあっという間に王の
懐へと引き寄せられ、驚いたように瞳を見開いた。
 鮮やかな左右異なる宝石のような瞳に、まるで吸い寄せられるように顔を寄せる。
 王は、そっと触れるだけのキスをした。

 アスベルの赤い瞳に、金色の月が映っていた。



NEXT/BACK

HPTOPへ