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変化虎の巻6

 翌日、他のヒーロー達の分のファンレターを持って、虎徹たちはトレーニングセンターを訪れた。
 仕分けがされていない大量の郵便物を、ヒーロー総出でさっさと手分けして処理するためだ。
もとより自分たちのものなんだから、当然の事である。
 本来なら仕分けしてから渡して欲しいものだが、ヒーローでひとくくりでされてしまったのだ
から仕方がない。
 まあ、ファンのありがたい応援なのだから、ここは快く作業をするしかないだろう。
「あら、これ全員によ」
 手紙以外を担当していたブルーローズが、一つの小さな包みを差出人名を探すように裏や横を
向けながら首を傾げた。
 ただ、表書きに宛名が書いてあるだけのピンクのラッピング包み。
「へぇ、そんなのあるんだ」
 自分の担当分の手紙の仕分けをしつつ、ホアンが首を伸ばす。
「ホントだ、ヒーローへって書いてある」
「ん…、どれ?」
 新しい段ボールから手紙の束を出していた虎徹が、開けようかどうしようか逡巡しているカリ
ーナの手元を覗き込んだ。
 小包というにはすこし小さく、手紙と言うには少し厚みのあるそれは、可愛くラッピングされ
ており「ヒーローへ」の文字は少し歪で子供の字にも見えた。いかにも小さな子供が不器用な手
で包んだヒーローへ宛てた手紙なりプレゼントを思わせる。
 少し迷った風のカリーナだったけれど、その様相に警戒心を解いたのか包みの裏から包装紙を
はがそうと手をかけた。
「待った」
 なにを思ったのかそれを虎徹の声が止めた。
 カリーナの手から小包を取り上げる。
「タイガー?なに…」
 それを手に取った虎徹は、その場に凍りついたように立ち竦んでいた。
「……どうしたんですか?虎徹さん」
 バーナビーが怪訝そうに問いかけると、異変に気がついた皆の視線が、棒立ちになっている虎
徹に集まった。
 棒でも呑んだように、虎徹は硬直したように微動だにしなかった。ただひたすら、手にもった
包み紙をじっと見つめていたのだ。
 手を離したいのに、離せない――
 実際には、動かなかったのではない。
 動けなかったのだ。
 粘着質の悪意が、その小包から持っている手を這い上がってくるように、身体全体がざわざわ
と警告を発している。
 呼吸が乱れる、声が出ない。
「…、……っ!は、はぁ、はぁ…」
 いきなりせわしない浅い呼吸を始めた虎徹に、バーナビーはびっくりして駆け寄った。
「虎徹さん?」
 前のめりに崩れ掛かった虎徹に、バーナビーは慌てて肩を支えて抱き起こす。
「どうしたんですか?」
「…これ、危ない…、開けたらダメだ」
「え、小包?」
 震える手が、それでも小包を硬直したように掴んでいた。バーナビーは、逸る気をおさえつつ
虎徹の指を一本一本それから剥がし、すっかり冷たくなったその手から引き抜いた。
 それを手放した途端、まるで力が抜けたようにそのまま仰向けに倒れそうになる。
 後ろに居たカリーナがそれを支えると、汗をびっしょりと額に浮かべた虎徹がうつろな視線を
天井に向けている。
「タイガー?」
 不安げに問いかけるカリーナに、その声に反応したかのように瞳の焦点が定まる。
「…あ、ああ、大丈夫だ」
 けれど、力が入らず立ち上がれない虎徹に、カリーナはそのまま抱えるようにしてトレーニン
グ用のベンチシートへと移して横たえた。
「バニー…、あれ、は開けずに警察……に」
「いったい、なにが?」
 虎徹の様子を気にしつつも、バーナビーは受け取った小包を慎重に観察している。
 しかし、苦しそうに息をついている虎徹は答える事ができない。
「あ…、息が苦しそうだから服を緩めないと」
 キースがどこかオロオロと、まるで自分の息がつまったかのような苦しげな顔で縋るようにカ
リーナを見た。気にはなったが、まさか自分が手を出すわけにはいかないというところだろう。
「そうね…、じゃあ私が」
 確かにベストの胸が苦しそうに上下している。
 いささかキツそうなベストのボタンを上から順に外しつつ、カリーナはふと首を傾げた。
「ちょっと、バーナビー?」
「え、なんですか?」
 小包に気を取られていたバーナビーは、どこか非難するような声色のカリーナに促されるよう
にベンチシートへと歩いてきた。
「これ、ちゃんとサイズあってる?まさかアンタたち、適当に服とか選んだんじゃないでしょうね」
「そんなはずはありませんよ、きちんと専門の女性の方にやってもらいましたよ。僕じゃわかり
ませんから…」
 ブティックの名前を聞いて、カリーナは怪訝な顔をする。
 確かに、いわゆるセレブ向けのちゃんとしたお店の名前だったのだ。いい加減な仕事をするよ
うな店ではない。
「いったい、なんだっていうんです?」
「明らかにサイズがあってないのよ……」
 そう言いながら、カリーナがベストのボタンをはずしたあと、虎徹の背を浮かせてシャツの下
から背中に手を回して呼吸を妨げているそれを外す。
 着衣がゆるむと、苦しそうだった虎徹の表情が明らかに幾分和らいただのがわかった。
 薄手のシャツ越しに、下着の締め付けから解放されたふくらみが緩やかに上下するのを、男性
陣がいつのまにか食い入るようにガン見している。
「ちょ…ちょっと、あんた達いつまで凝視してるつもり?出て行ってっ!今から着替えさせるから」
 それに気がついたカリーナの剣幕に押されて、あっという間に男共はトレーニングルームから
追い出された。
「なんで僕まで…」
 どさくさに紛れて押しだされたバーナビーはちょっぴり面白くなかったが、ここは同姓同士に
任せる方がいいかもしれない。
 いろいろ納得いかないが、とりあえずは虎徹の言っていたこの小包を然るべく機関へと渡した
方がよさそうである。バーナビーはすぐに携帯を取り出して、まずは直属の上司のロイズへ、そ
してもろもろの処理をそちらへ任せるべく状況の説明を始めた。


「あ、タイガー気がついた?」
 虎徹は、ちょっとの間気を失っていただけですぐに目を覚ました。
 心配そうにのぞきこんでくる柔らかい気配に、ふうっと溜息のような息を吐く。
「タイガー?」
 先程の恐ろしい感情の濁流に翻弄されていた虎徹は、それとはまるで正反対の感情に誘われる
ように身体を起こした。ふらつくその上半身を、カリーナは自然に腕を添えて支える。
 ――ほっとする。
 その心地よい腕に、殊更凭れかかるようにして、虎徹はいまは気持ちいいこの感情に身をゆだ
ねたいと思った。
「ちょっ、タイガー?」
 上半身がほとんどくっついた状態で、カリーナの肩に額を押しつけるように身体を預けてそっ
と背中に手を回す。
 凶悪犯と対峙したって、あんなに怖いと思ったことはなかった。
 それこそ素手で心臓を鷲掴みされたほうがまだマシだ。
 皮膚の下を何か得体の知れない虫がはいずりまわるような、全身が総毛立つほどのおぞましい
感触。
 歪んだ思念の集合体のような――
 悪意というものに、あれほどダメージを被るとは思わなかった。
 四六時中あんな感情に苛まれていたら、間違いなく人間不信に陥るだろう。
 だけど……
 あの不気味な感情も人の心なら、こうして温かい気で包んでくれる彼女の優しい感情も人の心
なのだから、不思議である。
 虎徹が珍しく思考の底に囚われている最中……
 カリーナはパニック寸前であった。
 今は女性の身体とはいえ、仮にも好きな人とこうして抱き合っているなど、想像を絶する事態
である。
 それに、相手が好きな人だからだろうか、同姓でありながら虎徹の柔らかい胸が自分のそれに
押しつけられる感触が、なんというかとても恥ずかしい。
 友達同士で抱き合ったって、こんなこと感じたことないのに。
 それに、同級生とはなにか違う。
 なんというか、大人の身体って感じがするというか。
 気のせいか、いい匂いがするし……
 って、私はオヤジかっ!
「ちょっといつまで抱き合ってんの?あんたたち」
「きゃっ、ってファイアーエンブレム?!ダメじゃない、あなたも外へ出てよ!」
 びっくりするあまり思わず虎徹から飛びのいたカリーナは、ちゃっかり部屋の中に残っていた
ネイサンを咎めた。
「あら、私は女子よ」
「だめっ!ホアン」
 カリーナの指示に頷いたホアンに小突かれて、遅ればせながらネイサンが部屋から追い出される。 本当に油断も隙もない……
「えっと、タイガー大丈夫?」
 ちょっと赤くなった顔を誤魔化すように、カリーナはそっぽを向くようにして幾分テンション
の上がった声を出した。
「えっと、タイガー大丈夫?」
「あ、ごめん、オレなんか朦朧としちまって…女の子に抱きつくなんてありえないよな」
 押しのけられた恰好になった虎徹は、いきなり状況がはっきりしてきてベンチシートに正座を
する勢いで頭を下げた。
「えっ、やだやめて!それはいいのよ、…い、今はほらっ、女性なんだし私はぜんぜん構わない
わよ」
 むしろいつでもどうぞ、とは付け足さなかったが心の中では小さく頷いていた。
「そ、そういうもん?いや、ほんとごめんな。オジサンに抱きつかれるとか、ドン引きされてた
らどうしようかと思った。ともかく、ブルーローズのおかげで大分気分が軽くなった、ありがとな」
 全開の笑顔を向けられて、またもやドギマギとしながらも「別に、私はなにもしてないわよ」
と努めてそっけない声で答える。
「…でもなに、あれってそんなにヤバいものだったの?」
「あの中身がヤバいというより、それに込められてたものが…、かな」
 無意識に身体が震える。
「ほんと、この能力ダメだ。オレ…、挫けそう」
 なんつーか精神に対して、もろダメージを被るというか。
 たとえば悪意があって、言葉にするとしたら、それを言語に置き換えるには限界がある。けれ
ど、ダイレクトにぶつかってくる悪意そのものには、それがないのだ。そのまま全部が襲いかか
ってくる。
 意味のある言葉でもなければ、内容を啓示するようなものは何一つない。相手がどんな感情を
持っているのかさえわからない。
 わかるのは、悪意があるということだけだ。
 嫌いとか、そんな単純な感情ではない。
 強いて言うなら、蔑むような…、まるで醜悪な嫌悪するものにでも向ける感情に似ている。そ
れをより強く憎しみでコーティングしたような……
 ――まじで、これ勘弁してくれ。
 オレほど鮮明に感じないと言っていたが、もしもこれが彼女の能力だとしたら心底同情を禁じ
得ない。どうやって心に折り合いをつけていたのだろうか。
 それとも、ある程度コントロール出来ていたのだろうか?
「あ、そうだ、タイガー。その下着だめよ、そんなサイズのあってないキツイの着けてちゃ。だ
から余計に気分が悪くなるのよ」
「え、何が?…これ?」
 いきなりカリーナに問われて、虎徹は慌てて顔をあげた。
 どうやらバーナビーがロッカーから着替えなどの入った箱を持って来たらしく、それを受け取
ったカリーナがその中から替えの服を探していた。
 先日、まとめて服を買ったとき、ここのロッカーにほとんど置きっぱなしになっていたのだ。
 虎徹は決った服しかほとんど着なかったので、幾枚も着ていない服がある。
「あー…確かにここ2〜3日きついなとは思ったけど、でもおかしいな、ちゃんと合わせて買っ
たんだぜ」
 寄ってたかってサイズはかられて、すごい恥ずかしかったのに、と文句を言う。 
 思い出したようにげんなりと項垂れる虎徹に、カリーナは一枚のブラウスを手渡した。
 胸元にたっぷりとドレープのようなフリルのついたシャツだ。
「んで、なにこれ?」
 受け取ったブラウスを広げて、すげーなコレ、どこがどうなってるんだ?とかいいながら、す
でにどっちが上かもわからない様子である。
「着るのよ、タイガーが」
「は?このフリフリを?オレがっ?!」
「ほら早く。今のブラが付けらないんだから仕方ないでしょ、今から買いにいくわよ」
 胸が目立たないように、シャツで誤魔化そうということらしい。
 いつまでもぐずぐずしている虎徹のシャツをさっさと脱がして、カリーナは肩に引っ掛かって
いる下着をも取っ払う。
 あまりの手早さに、虎徹はすでに翻弄されるままに新しいシャツへと腕を通された。もう、為
すがままである。
 シャツの前を止めようとギュッと前を合わせて、カリーナはあれ?と呟いた。
 ボタンが届かない。
 力任せにギュウギュウと引っ張る。
「ちょっ、痛い痛いっ?!」
 途端に虎徹が悲鳴をあげた。
「え?なんで…」
 他は大丈夫なのだ。
 なぜか胸元だけボタンがしまらないのである。
 ――もう、間違いない。
 さっきの下着の件もそうだ、服が合わないんじゃない。これは……
「タイガー…」
 ブラウスの胸元を掴んだまま、カリーナはなんとも言えない表情で、虎徹の半分露わになった
それを思わず凝視していた。
 カリーナの頭の中からは先程の事件のことなど、すでにキレイさっぱり消え去っていた。
 とりあえず、どうやって虎徹の下着を買いにいったらいいのだろうと、そんなことばかりを真
剣に考えていたのだ。
 解決すべき事は、それこそ謎のまま手つかずで残っているにも関わらず、ヒーロー達の感心は
むしろ別の事へと傾いていくばかりである。
 はたして、ヒーローを狙ったと思われる爆弾や小包は誰の仕業なのか。そして虎徹をこの姿に
したであろう謎のオカルト組織の未解決事件の行方と、意識下で同居するNEXT女性の影響を
受けまくるお騒がせな虎徹の能力。
 加えて、新たに虎徹の身に起こった、…一部の人達には大問題だが、事件とは関係なさそうな
割とどうでもいい不可解な出来事。
 ――これらすべては繋がっているのか、あるいは偶然に重なった別の事象なのか。
 残念ながら今はまだ、なにひとつはっきりとわかることはなかった。




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