H26.9.9.  聚 楽 園 の 大 仏 愛知県東海市荒尾町西廻間2−1
рO52−689−1600
 
  名古屋市緑区から十数キロの所に古くから有る大きな大仏が有ると言うので見に行きました。この大仏は東海市の文化財に指定されています。  
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  ナビで聚楽園大仏を入力してその方向に車を進めた。すると名鉄常滑線の聚楽園駅に着いた。駅前のロータリーに駐車して辺りを見渡したが大仏は見えない。ふしぎに思い近くの人に大仏の事を聞いてみると、「あれが大仏です。」と指を指して教えてくれた。すると小高い山の樹木の上から首だけを出している大仏が見えました。大仏の位置は分かりましたが、駐車場が分からない。駅前の案内図に、ここから少し行った所に「しあわせ村」の駐車場が有る事が分かったので、その場所に行きました。すると可也広い無料駐車場が有りました。
しかし車の中から見渡した所、大仏は全く見えない。果たしてここから大仏まで行けるのかどうかは大きな不安でした。大仏に近い所に駐車したいので、8割程駐車している駐車場を右往左往しました。これでは正確な判断が出来ないので、近くの人に聞くのが一番利口な方法だと思い付き、誰に聞くか聞く人の選別に取り掛かりました。
 
 
 
聚楽園駅前のロータリー
 
へいしゅうくん
 
駅前から見える大仏
 
しあわせ村(聚楽園公園)の駐車場に停め、近くに居た高齢の方に大仏までの行き方を聞きました。その方は何処から来たのかと聞いた後で、行き方は2つの道があり、どちらを選んでも大差は無いと言う事でした。そしてここのプールは定年に成ってから20年近く通っているとか、自分の歯は虫歯が1本有るぐらいで、全部が自分の歯だとか、ここには食事をする所も有るので時間を潰せるとか、話が中々止まらない。運が悪く話好きな人に当たってしまったと後悔したが、全般に見て高齢者の方は話し相手が少ないので、話を大人しく聞いてくれる人が居ると、一気にストレスを解消するらしい。自分の長い話に気がつき申し訳ないと思ったのか、長い話になったが、どちらの道を行っても一緒に成るから同じだと駄目押しをしていた。教えられた細い道を上がって行くと直ぐに、樹木の間から大きな大仏が見えて来ました。
 
 平成9年4月オープンした「しあわせ村 」は、東海市の健康と福祉活動の拠点として、市民の皆さんを中心に多くの人に親しまれています。
公園内の施設として、大仏. 公園・キャンプ場. 温浴・プール. デイサービス. トレーニングルーム. ヘルストロン. 貸室. 茶室 「嚶鳴庵」. レストラン 「しあわせ村じゅらく」. シルバー人材センター. 知多北部 広域連合. 東海市役所北出張所. 東海市市民福祉部健康推進課. 東海市市民福祉部健康推進課、東海市市民福祉部高齢者支援課、東海市福祉公社、東海市社会福祉協議会等見掛けによらず諸設備が完備している事に驚かされた。
しあわせ村で楽しく過ごす1日のスケジュールとしては、まず健康の森ゾーン、トレーニング室(110円)は決して頑張らず自分の体力にあった運動で汗を流したあとは、温水プールで泳いだり水中歩行をして、14種類のお風呂がある温浴ゾーン(プール共通500円)でゆっくりとリフレッシュ。空腹を感じたらレストランへ。ここからの眺めは水と緑があふれ、自然に溶け込み日頃のストレスの解消になります。
午後からは、ヤカン池の水辺の生態園で自然の探検や触れ合いで心を癒す事ができます。また予約してキャンプ場(無料)も利用できます。

 東海市荒尾町の名鉄電車常滑線の聚楽園駅前の小高い山に、大仏が座っている。高さ18.79mは、鎌倉や奈良の大仏よりも大きいのだ!材質はコンクリート製で、銅粉を吹き付け、体は赤茶けて居ますが、何故か威厳を感じました。
名古屋市の実業家、山田才吉(1852〜1937年)この方は守口漬けの考案者として有名です。その方が、1927(昭和2)年、昭和天皇の御成婚を記念して建立した。大仏を造るにはまず、模型を造り、輪切りにした原形を基に、拡大した部材を製造し積み上げた。かかった期間は3年間でした。市教委によれば、現在の金額に換算すると2億円で、当時は15万円だったそうです。
当時、大仏近くには山田才吉が大正5年に開業した料理旅館「聚楽園」もあり、、名古屋近郊の観光地としても栄えた。だが、山田才吉氏の死後、名古屋市の会社に売却され、敷地は第二次世界大戦中、名古屋高射砲連隊本部としても利用された。
 
1983(昭和58)年、敷地は東海市に売却され聚楽園敷地の公園整備が進むと、大仏の取壊しが議論に上がった。東海市は宗教的な建造物を受け入れられないからでした。多くの寺院が固辞する中、東海市加木屋町の普済寺が手を挙げた。そして普済寺が中心と成り、新たな宗教法人「大仏寺」をつくり、大仏を管理する事になりました。
当時の副住職だった普済寺の住職は、「せっかく造った立派な大仏を、壊してしまうのは忍びなく、何とか残せないものかと摸索しました。」との事です。この大仏を残す為、市民からも多くの募金が集まり、大仏は修復されたのでした。第二次世界大戦で犠牲と成った沢山の一般市民の供養も兼ねています。
1983年11月には、東海市が敷地の聚楽園を含め、大仏をを東海市の文化財に指定しました。東海市が文化財に指定するのは異例の事で、市民にとってそれだけ重要な文化財で、これからも保存管理しながら長く残さなければなりません。
大仏が見つめて来た1世紀近くの間、知多半島北部の海岸は次々と埋め立てられ、有数の臨海工業地帯に変貌していった。そんな海岸を向きうっすらと目を開けている聚楽園大仏は、今後も東海市を中心に知多半島の発展を見守っているようです。
 
     
大仏前には広場が有りました。周りに人影が無いのは淋しい限りです。こんなに立派な仏像なのにどうして人気が無いのでしょうか?
 名鉄常滑線の聚楽園駅から大仏へ登る道が有ります。多分この道が本来の道だと思います。大仏の手前に対の仁王が参拝者を威嚇していました。
 
 
見晴しの丘から見た、手前は健康ふれあい交流館(温浴施設)とピラミッドの様な屋根は健康福祉センターです。
 
バス停から見た健康福祉センター
 
 
駐車場と入口の中間に有ります。
 
「踊り子たち」の像
入口左側に有ります。
 
   初めて行った「しあわせ村」でしたが、東海市が運営しているだけに施設が整い、利用料金が低価で有る事に驚きました。それ故駐車場は8割ぐらいが埋まり満車に近い状態でした。名古屋市から近い東海市ですが、ここはまだ自然が多く、殺伐とした雰囲気が無いので大いに癒されました。家族での行楽には良い場所ではないかと思われます。  
 
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