名 古 屋 三 天 神

 
 H25.2月更新。    
 上野天満宮  桜天神社  山田天満宮
   
 

天満宮とは

    受験シーズンが近づくと神頼みとばかり天満宮(天神様)にお参りする人が次第に増えてくる。天満宮は全国に約14,000社有り学問の神様として崇められる菅原道真をお祠りしたもので合格祈願にお参りするのが常識となっている。
しかしそのルーツは意外なものがある。
菅原道真は出世争いの妬みから九州の太宰府に左遷されて不遇のうちに五八年の生涯を閉じた事はよく知られている。
この世に未練を残した道真の怨霊が凄かった、道真の死後数年経ってから復習が始まり追放を企んだ関係者五人を次々と怪死させていった。最後の止めは清涼殿に雷を落とし数名の命を絶った、とされている。
それでは何故、悪霊と成った道真が学問の神様として崇められるようになったのでしょうか?
まず道真の怨霊を沈める為に紆余曲折を経て北野天神社が建立された。
菅原家は学問をもって朝廷に仕えていて、道真は五歳で和歌を詠み、十歳で漢詩を嗜む天才だったという。その天才にあやかりたいという思いから何時しか天神様は学問の神様として崇められるようになった。
名古屋市にも天神社は幾つか有りますが其のうちの三天神を紹介してみます。 
 
   
   参拝方法
名古屋に御鎮座される三社の天神様を参拝し、絵馬に御朱印を受けて御神徳仰ぎましょう。
三社目の神社にて合格祈願の天神像お守りが頂けます。
絵馬と天神像は願いが叶うまで御自宅でお祠しましょう。
 
     
    三天神のいずれかの神社にて三天神参り絵馬を受け各神社を巡拝してご朱印を受ける。(朱印料は一社につき200円です。)
三天神の巡拝順路は自由です。巡拝は代理人の方でも良いのですが、巡拝後の絵馬はお守りとして天神像と共に御家庭にて御本人の近くで御奉り下さい。
念願が成就したなら、天神様にその報告をして絵馬は三社のいずれかに御返納しましょう。
 
   
   
絵馬に押印された三社の朱印と、左端は意外と小さい天神像お守りでした。
 
絵馬の購入費用は1,000円で、朱印料込みの値段です。後2神社での朱印料は200円が必要です。サクラ天神は3時まで御参拝下さいと記されていますので御注意下さい。しかし桜天神に到着したのは午後4時頃でした。不安ながら本殿に近付くと、朱印は自由に押す事ができました。朱印料200円はお賽銭箱に入れます。この日は最後の御参りが桜天神で、天神像お守りは貰えないかと思っていたら、呼鈴が有り其れを押して係の方からお守りを貰う事が出来ました。運が良いと係の方が見えるかも知れません。
   
   
   天神様と梅
   梅の花は天神様のシンボルとなっていますがそれは道真が梅の可憐さをこよなく愛し梅にまつわる歌を詠んだからとされています。
梅にまつわる歌で、
こちふかば によひおこせよ うめのはな あるじなしとて はるなわすれそと紹介されているものやまた こちふかば おもいおこせよ となっているものが有りますがどちらが正解なのでしょうか? 或いはどちらでも良いのでしょうか?
梅でこんな事を聞いたことが有ります。 梅干の種の中には天神様がいらっしゃるので種だけを食べずに神社に返す地方も有るとか。しかし普通タネは食べられないと思うのですが・・・
金槌でタネを割るとタネの中に白いものが入っていた様な記憶は微かにありそれが天神様かどうかは分からないのです。
 
   
   
 
   
   上野天満宮
   名古屋市千種区赤坂町4−89
        п@  052−711−6610
        Fax  052−711−6602
    上野天満宮はナゴヤドームの東南に位置しています。

上野天満宮に関する伝承では陰陽師・阿倍晴明この

辺りに居住した折、菅原道真公をお祠されたのが

上野天満宮の起源と伝えられています。

学問の神、除難招福の神として有名です。

地下鉄は茶屋が坂下車・・・・・・市バスは天満通一丁目
   
 
本殿
 
正面入り口
   
 
なで牛。
   
撫で牛の下に置かれた菅原道真を模した「天神みくじ(三百円)」が、置き場が無い程並べられていました。落ちそうな物も有るので、縁起をかついで落ちない事を祈りました。この人形は赤、緑、黄色があり、境内の至る所に置かれています。
   天満宮の牛
天満宮に参拝すると必ず牛の像がある事を不思議に思われた事は無いでしょうか?
其の訳は道真の干支が牛であったとか、又道真の御遺体を運ぶ途中牛車が動かなくなりその地に埋葬した事から、牛は道真の使いで有るとした説等色々有るそうです。

上野天満宮には二頭の牛が向かい合って座っている像があり”なで牛”と看板が出ていました。その謂れによると、頭をなでると賢くなり、体の悪い所が良くなるそうです。そして道真をゆるキャラにした「天神みくじ」の赤、緑、黄色の人形を引き、運試しをする。その人形を牛の周りに置いていきます。
 
     
厄除ひょうたん
 
菅原道真の歌詞碑
    厄除けひょうたんについて
昔から瓢箪は難を封じる御守りとされてきました。天神様がこよなく愛された梅ノ木の下で瓢箪酒を飲むと不思議に難を免れるという伝承もあります。また「瓢箪から駒が出る」のことわざのように、思いもよらぬ幸運が授かるかもしれません。
厄除け瓢箪の中に願い事を書き入れて御奉納下さい。「奉納期間約一年間」
 
 
カラフルに並べられた天神みくじ
 
純白の獅子は目立っていました。
ここにも天神みくじが並べられています。
 
参拝者用の駐車場
   
 
   桜天神社  
   名古屋市中区錦2−4−6
       п@052−231−4879

桜天神社境内
 
   
 
桜天神入口、突き当たり左に本殿が有ります。
神社敬称の由来

織田信秀が天文七年(1537年)京都北野より菅原道真公の木像を迎えこの地に遷座しおまつりした。
この境内には桜の大樹あり「櫻天満宮」といい、多くの人に親しまれてきたが明治維新(1871年)神仏分離令の折り「菅原神社」と敬称し明治三十五年管公千年祭を記念して「菅原神社の社碑を建立した。終戦後の昭和二十三年(1948年)の法令により「宗教法人 天神社」としたが通称「桜天神」と敬称し崇敬せられている。
桜天神社は、徳川家康に命じられて加藤清正が名古屋城築城の指揮を執った場所で、この神社は織田信長の父信秀が万松寺の境内に設けたものでした。信長が父の葬儀で位牌に抹香を投げ付けた印象に残るエピソードも、この場所で起きたものです。それでは何故万松寺に有った桜天神が大須に有るのかと言うと、織田家に縁の深い寺ゆえに、それを嫌った家康が名古屋城築城の時に大須へと離したのではないかと推測されています。
 
   
 桜天神社 由緒    祭神 菅原道真公  例大祭 三月二十五日、 九月二十五日
   
   織田信秀(信長の父)は菅原道真公を深く信仰し京都の北野天満宮より公の神像を勧進して那古野城中に祠を祀った。これを天文七年(1538年)現在の地に移した。愛知県下で最も由緒ある天神社で元冶、宝暦年間や昭和二十年三月の大空襲など三度の戦火にも御神体は氏子により守られ現在祀られている。
祭神、菅原道真公は代々文章博士をつとめる家に生まれ、十歳にしてすべての学問を修めとくに書道では、弘法大師・小野道風・菅原道真の三人は書道の三聖といわれたことから学問の神様として崇敬されて来た。
市博物館に所蔵されている「名古屋名所図絵、尾張名所団扇絵」には桜天神社祭礼(三月・九月)の賑わいの様子が画かれ昭和初期までの繁栄ぶりがしのばれる、現在春秋の大祭には献書会が開かれ、学業向上、入試合格祈願の参拝者が多い。
 
   
 
願の牛の水
 
 京都の北野天満宮を参拝した人の言い伝えによると、この牛に自分の歳の数だけ柄杓で水をかけると願が叶うと言われていました。桜神社でもいつしか牛に水をかけ願をかけるようになりました。又この水で字を書くと上手に書けるとも言われています。
戦後に柄杓の裏に願い事を書くように成り、それを見た参拝者の人達から「柄杓を授与してほしい」と求める声が多くなり、この神社でも授与するようになりました。
歳の数え方。
水の掛け方にも決まりが有り、十歳まではその歳の数だけ、十歳以上は十年を一歳と数えこれを加えます。
(例)五歳は五杯、十五歳は六杯です。
受付の横に朱印とパンフレットが置かれています。
この神社の受付は3時までと成っていますので、時間に御注意して下さい。しかし、3時を過ぎても朱印だけを押す方は、朱印料200円を賽銭箱に入れて押印する事が出来ます。ここで3社目となり天神像守りを受け取りたい方は、呼鈴が有るのでそれを押して係の方を呼ぶ事ができますが、不在の時は天神像守りを受け取る事が出来ません。
桜神社は都心にも関わらず人出が少ないのには驚きました。公共の交通機関を利用する方は便利ですが、車での御参拝は専用駐車場が無いので不便かも知れません。
   
 
本殿
 
牛の像と筆塚
   
     桜天神社は都心に有り、ビルの間に祀られています。対面には長者町問屋街が賑わいをみせている。
左の写真は道路の反対側から撮影したものですが二つののぼりの間が桜天神社なので見過ごす事が有るので注意が必要です。この付近は駐車禁止区域なので路上にあるパーキングメーターや有料駐車場を利用する事をお進めします。 
 
    時 分 鐘
桜天神社には万治四年(1661年)三月藩命によりここに鐘楼を造り昼夜十二時に鐘をついて時を知らせた。
鐘は鍋屋町水野太郎左衛門藤原則重の作であった。然し宝暦十三年(1763年)十月二十六日の火災で焼失した。翌明和元年藤原孝政鐘を新調し時を知らせた。この鐘は特に音色がよく名古屋城下に鳴り響いたが明治六年(1873年)廃止された。
 
   
 
 
   山田天満宮  
   名古屋市北区山田町3−25
       п@052−981−5695
 
山田天満宮入口  
   山田天満宮
祭神は、菅原道真
社伝によれば尾張の二代藩主光友が寛文十二年(1672)藩の学問祈願所並びに名古屋城鬼門の守護神として大宰府より分霊し創建したという。初代藩主義直は早くから儒学を奨励、光友もその志を継ぎ
広く庶民の間に天満信仰が高まったといわれる。
なお矢田川の「天神橋」は本社名からなずけられた。昭和五十八年金神社(大将の宮)を合祀した。
厄災守護神「きもんさん
寛文12年尾張藩主徳川光友が名古屋城より北東(鬼門)の(現名古屋市)玄関口として、一切の厄災を除く八方災難除け祈願宮としてもお祀りされ、「地相・家相・方位除け・鬼門封じ」として、極めて御神徳が厚い御社です。
尚、当宮では、一切の災難除け、鬼門封じの守護神として「きもんさん」を授与致しております。
「きもんさん」は、御自宅・店舗・会社等の表鬼門(北東角)裏鬼門(南西角)にお祀り下さい。
 
 
本殿
 
入口直ぐ左に有る黒い牛の像
   
 
 方向祈願牛
この牛に神社で販売(¥200.)している鈴に紐が付いたものを掛け、受験する学校の方向へ牛の頭を向けると合格祈願が出来ます。 
   
   うそ替え神事 
この神事は、天満宮の守護鳥「鷽(うそ)」をかたどった木彫を袋に入れて参拝者同士が交換するものです。
「うそ」とは人をだます事だけでなく病気や災難を指し、一年中の「うそ」を天神様の「まこと」と取り替えて開運を祈ります。
この神事では、参加者が境内を囲むように数珠つなぎになり、一袋1,000円で買った木彫りのうそどりが入った袋を大きな声で「かえましょう」と言いながら、左隣の人に手渡し回します。十数回渡して袋を皆で開きます。その袋の中に「福」「幸」と書かれたうそどりを引き当てた人には、特別に製作された特大の木彫りや純金製のうそどりと交換してもらえるものです。
鷽鳥のトリと袋を取り替えるトリを掛けたユニークな神事で、年初の占いに参加してみては如何でしょうか?
 
     
    金運招福 銭洗い

まず笊に金銭・宝くじ・財宝等を入れ柄杓にて御神水を

汲んで恵比寿様・大黒様にそれぞれ三度かけていだだき、

その流れ出ました御神水にて笊の中の金銭・宝くじ・財宝等を

洗い清め財布などに入れお持ち下さい。

福徳利益の御神徳が授かると言われています。

* 大切なものはビニール袋に入れてお清め下さい。
   
 
牛像の周りには「招き猫おみくじ(300円)」が祈願の為
置かれています。別に「だるまみくじ(300円)」も有ります
がこれは各自で持ち帰らなくてはなりません。
 
合格・祈願成就の絵馬が飾られています。
祈願成就された方は、参拝してお参りした御利
益が叶い、幸せの絶頂を体験した事でしょう。
   
 
童女神
 
仏像の台座が出たくすのきの切り株
霊験あらたかな童女神は、近江の霊山にある修験道場に子供の守り神、人形供養神としてお祀りされ、子供の成長と御家族の御加護を願って祈願される多くの善男善女の御参りがありました。しかし俄かに道場の修験者が生涯修業の旅にでることとなり、童女神のことを大変気にかけていましたところ、夢枕に一人の老人が雷雲と共にお立ちに成り、童女神の東の方位に人形供養に大勢の人が集まる社が有り、その社の神域に祀り多くの子供達を始め、人形供養に祈りを捧げる善男善女の守護神として霊験深き 御神徳を戴くようにと夢のお告げが有り、当宮に御鎮座お祀りされました。 建設業の方が当宮より譲り受けたクスノキの切り株を切断しょうとしたところ、中から如来座像が姿を現した。竹取物語さながらの出来事に近隣の人々も驚いた。当宮では、境内に有った高さ20m、直径1mの大樹(大正時代末期に植えられたと伝えられている。)の根が広がり社務所の壁を破損したため前出の建設会社へ依頼。同年3月に伐採した。その一部を譲り受けた建設業の方が切り株をテーブルにしょうと、逆さに置いてチェーンソーを入れたが、中央の空洞部分で石にぶつかり刃こぼれをしたので、石や小さい根、土を取り除くと仏像の台座が現れた。
仏像は、高さが16cm、阿弥陀らしい如来が蓮台に座っている。鋳物製とみられる重い材質に金メッキが施されていた。台座はプラスのねじくぎで止められていることから、仏具店などでは、昭和30年代ごろのものとみている。
見つかった部分は地表面から約20cmで、枝別れの間にすくっと立っていた格好でした。クスノキの様な双子葉植物は、肥大生長をする器官を持っており、枝のふところ、特にくぼんだ部分に重い物を置けば、成長しながら樹木の中に取り込んでいくことは良く有る事とか。 
 
 
山田天満宮境内