日本三大桜
   今年の一つの目標は、日本三大サクラの制覇に有りました。すでに薄墨桜と神代桜は先々週ラッキーにも満開の花を見たので、三大サクラの最後は福島県の三春滝桜だけに成った。桜の花は満開の時期に見に行かなければその美しさが分からないので、ネットで毎日情報を見て、満開の時を待って3月20日の日曜日に福島に向けて出発する事にしました。それはETCの休日割引で5割引きに成り、現地での混雑を避ける為です。
名古屋の我家から三春滝桜までは約650km有り、その疲労を考えると相当の葛藤が有りましたが、行くのは今でしょ!と勇気を奮い起し夕方5時頃出発しました。名古屋は生憎の雨になり、福島の天気予報も曇りと雨のマークが出ていて、残念に思いましたが、花が満開なので強行しました。経路は軽井沢と日光を通るルートにしました。高速道路は雨が降ったり止んだりで、運転には相応しくないコンディションでした。雨の夜は前方が見え難いしスリップに注意しなければならない。
小雨の甘楽SAでハプニングが起こった。駐車場に停めた時、横に財布の様なものが落ちていた。非常に好奇心が湧き拾ってみると、スマホだった。SAは暗く届ける事も出来ないので、電源を入れたまま一緒にドライブしていると着メロが鳴りだした。
 
 
 
H26.04.21.


 三春の滝桜  
福島県田村郡三春町大字滝字桜久保296番地


 
  那須高原SAで休憩し大駐車場に着いたのは朝の6時20分でした。名古屋からの距離は650km程で、曇空ながら雨は止んでいた。近い駐車場が満車で空いていないとシャトルバスを利用しなければならないので、兎に角早く駐車場に着きたかった。駐車場は6割ぐらいの混雑で難なく停められたので一応安堵した。
駐車場は他にも用意されたいましたが、とりあえず満車になるまでこの駐車場を使うものと思われました。駐車場は無料ですが、滝桜を見るには観桜料が300円必要です。ゲート手前でチケットを買い、トンネルの入口で係員にチケットを手渡します。トンネルは道路を横断するのを避けるためのものです。
 
  トンネルを抜けて、なだらかな坂を上がる途中に売店が並んでいます。売店の方は非常に愛想が良く、向こうから朝の挨拶をしてくれたので、気分が大変良く成りました。観光地でも場所によっては無愛想な所も多々有りますが、些細な心使いで印象を良くした方が得策のように思えますが、大勢の人に挨拶をするのはとても疲れるのではないかとも思われます。
スマホは数回着メロが有ったが高速走行中なので連絡が取れず、上河内SAで相手と話をした。一番困難なのはスマホの届け先でしたが、住所を聞くと名古屋市港区だと言う。緑区からは近いので、福島から帰る22日の夕方に渡すことにした。落とした方はラッキーがか重なっていた。まず駐車場に落としたにも拘らず車に踏まれなかった事、小雨だったのでスマホに水が入らなかった事、住所が同じ名古屋市だった事、話が終わったと同時にバッテリーが切れた。危機一髪だったが話が無事終わってホッとした。 
 
   三春滝桜はエドヒガン系の紅枝垂桜(ベニシダレザクラ)で、大正11年10月12日、根尾谷の淡墨ザクラ・山高神代ザクラなどとともに国の天然記念物の指定を受けた名木です。
 日本を代表する桜の巨木で、日本三大桜の一つに数えられ、岐阜県の淡墨桜とともに東西の横綱に位置づけられています。
  • 種類/エドヒガン系ベニシダレ(バラ目バラ科)
  • 大きさ
    • 高さ/13.5m
    • 枝張り/東に11.0m、南に14.5m、西に14.0m、北に5.5m
    • 幹周り/8.1m(地上高1.2m)
    • 根周り/11.3m
  • 樹齢/1,000年以上(推定)
  • 指定/国天然記念物(大正11年10月12日、内務省告示第270号)
  • 指定名称「三春滝ザクラ」

 
   
1000年の歴史を持ち威容を誇る三春滝サクラ。
 
 
  三春町の滝地区に所在することと、毎年4月中・下旬に四方に広げた枝から小さな花を無数に咲かせ薄紅の花が水が滝のように流れ落ち咲き匂うことから、「滝桜」と呼ばれるようになったと言われています。
1990年(平成2年)には「新日本名木100選」の名木ベスト10に選ばれ、桜の名所ランキングでは常に第1位の評価を得ている。また「日本さくら100選」には滝桜を含む約2000本の「三春町のシダレザクラ」が選ばれている。
平成17年1月、大雪で枝が十数本折れる被害に見舞われた。
平成23年の東日本大震災では、折れた小枝がいくらかあったものの滝桜に大きな損傷はなかったが、観光客への十分な対応が困難であったため、前年度に始めた一人当たり300円の観桜料の徴収を一時停止し、夜間のライトアップ、シャトルバスの運行などの中止も余儀なくされた
 
H26.04.21.
 合戦場のしだれ桜 福島県二本松市東新殿字大林145

 
  合戦場のしだれ桜
平安時代に起こった「前九年の役」の古戦場に立つ巨桜で、朝廷の命で奥州征伐に来た八幡太郎義家と地方豪族の阿部貞任・宋任兄弟が戦った場所とされる地に咲き誇ることから、「合戦場のしだれ桜」と呼ばれるように成りました。
満開時にはピンクの花の滝が垂れ流れ落ちるように見事な花を咲かせる姿は圧巻です。樹齢は150年で、根元に太いアセビ・シキミの木があるため、道路から見ると1本の桜の木のように見えるのが特徴ですが、実は二本の木が約二メートルの間隔で南北に立っていて、寄り添うように花を咲かせることから「大林の夫婦桜」とも呼ばれています。
元は、三浦宅の氏神である稲荷神社の参道の左右に各一本づつ植えられたものであるが、現在の参道は旧参道の南北約4mに移設されている。
由来
樹高約18mの高さを誇る「合戦場のしだれ桜」は「三春滝桜」の孫に当たる。この地から1km東に「三春滝桜」の子木と言われる「福田寺の糸桜」があるが、その昔、糸桜の枝が道に垂れて歩くのに邪魔に成り、誰かが枝を切って近くの小川に捨てた。ある日、小川で鍬を洗っていた親子が、岸辺に白い根の出始めた桜の小枝を見つけ、家に持ち帰って植えたのが由来と言われている。
 
 
 
合戦場のしだれ桜。
 
南側の桜は、根元周囲3.75m、幹囲3.08m、樹高約17.2m、枝張り東西約20.2m、南北約13.9m
北側の桜は、根元周囲3.3m、幹囲2.62m、樹高約17.2m、枝張り東西約14.3m、南北約16.5m
現在も枝先が毎年30cmほど伸びており、樹勢は極めて旺盛である。
 

福田寺のしだれ桜     



 
   

           県緑の文化財指 

           「垂れ桜」

          樹齢:300年 

          樹高:20メートル

          幹周:5メートル

 
福田寺のしだれ桜。
福田寺の「糸桜」は三春滝桜の子で、合戦場のしだれ桜の親桜といわれる。寺の屋根の光りに調和した素朴な景観が心にしみる。 
 




東和祭田の桜 



 
根元周囲 6.6m
目通り幹囲6.5m
樹高約18.3m
枝張り東に7.6m
    西に15.3m 

東和祭田の桜。
 大内宅地内西の崖に立つ見事な巨木である。
地上5mより西に枝が伸び、その上2mより大枝が二枝に分かれ、さらにその上1mほどのところから二枝に分かれている。生育は旺盛で幹もじゃ数多くのコブがあり、大樹の風格が有る、四月下旬に薄いピンクの見事な花をつけるエドヒガンザクラである。
 
  名古屋地方のサクラも葉桜に成りピークも過ぎてしまいました。待ちに待っていた桜の開花だけに、短期間で終わってしまった花見には未練が残りました。そんな時、ネットで桜情報を何気なく見ていると、日本には「日本三大桜」が有る事を知りました。その「日本三大桜」の事を調べて見ると、名古屋から一番近い所は、岐阜県の根尾谷淡墨サクラでした。そして次は山梨県の山高神代桜で一番遠い所は、福島県の三春滝桜です。
其々の開花情報を見ると、淡墨サクラと神代桜は満開に成っている事を知り、早速行って見る事にしました。根尾谷の淡墨サクラは、目的地近くに成ると大渋滞に成ると聞いていたので、朝5時に名古屋市を出発しました。目的地までは80km程有り2時間以上の所要時間だと計算しました。淡墨サクラを見た後、山梨県の山高神代桜を見に行きました。
 
 
H26.04.08.
 根尾谷の淡墨桜  岐阜県本巣市根尾板所字上段995 
淡墨公園内


 
 
うすずみ公園マップ。
朝5時に名古屋市緑区を出発した。現地へ着くまでの距離と時間をネットで調べたが、高速道路と一般道では時間が殆ど違わなかった。それなら高速料金を節約しょうと一般道を走行する事にした。
この日は快晴で桜見物には最高の日和だった。しかし、快晴に成ったので放射冷却が激しく、朝の気温は数度しかなく寒さを覚えました。早朝の市内走行は車が少なく、勿論渋滞は皆無でした。そして信号の連絡も良くストレスも無く走れました。
目的地には7時を過ぎるだろうと計算していましたが、淡墨サクラの駐車場に着いたのは7時10分ほど前でした。駐車場は7割ぐらいが埋まっていたので、朝早くから花見に来ている人が大勢いる事に驚きました。
駐車料金の徴収に来る人が居ないので不思議に思い、駐車場で露店を出している人に支払いを聞くと、料金の徴収をするガードマンが来るまで無料だと言われた。
8時近くに成っても徴収員が来なかったのでラッキーでした。
 
 

淡墨サクラ(うすずみざくら)とは、岐阜県本巣市(旧・本巣郡根尾村)の淡墨公園にある樹齢1500年以上のエドヒガンザクラの古木である。

淡墨桜は蕾のときは薄いピンク、満開に至っては白色、散りぎわには特異の淡い墨色になり、淡墨桜の名はこの散りぎわの花びらの色にちなむ。樹高16.3m、幹囲目通り9.91m、枝張りは東西26.90m、南北20.20m。樹齢は1500余年と推定され、継体天皇お手植えという伝承がある。

近年では幹の老化が著しく、幹内部にできた空洞も広がりつつあるが、樹木医や地元の人々の手厚い看護によって守られている。作家の宇野千代がその保護を訴えて、活動したこともよく知られる。苗木を分けて、岐阜県や愛知県内あちこちに子孫が植えられている。

 
 
   
周りが整備され見晴らしが良く、二本の桜の木が有りますが手前が淡墨サクラです。
 
 
 
淡墨サクラの幹は添え木で補強しています。
  国指定天然記念物 根尾谷薄墨桜
1、指定年月日   大正11年10月12日
2、指定の理由   桜の代表的巨樹
3、説明     この桜は彼岸桜の一種(和名ウバヒガン)で、樹齢が高く(地元では1500年と称している)枝の各所が折損して樹勢が衰えたので昭和24年に山桜の若根238本を根接ぎしたほか、種々の保護を加え回生を図った。
現在 樹高 17.2m  枝張り 東西23.9m  南北212m
    幹回り 9.1mあり   花の盛りは4月上旬です。
4、伝説   今を去る事1500余年前、都での迫害を逃れてこの地に潜まれた男大迹王が、長じて29歳の時都に迎えられて皇位を継承し継体天皇と称されたが、この地を去るに当たり、形見として植えられたと言う。  
 
根尾谷薄墨サクラ保護再生への取り組み
旧根尾村時代から、前田利行氏による再生工事を始め幾度となく数々の保護再生工事が行われてきました。
合併後は、平成16年より5カ年に渡る保護再生工事が行われ、平成23年には根を守る為の柵の拡幅工事、平成24年には支柱の取り換え工事等が行われました。
保護再生工事の内容は、老齢の為に空洞化した5本の大枝修理工事、主幹部保護工、根の周りの土の改良、不定根誘導工などです。不定根誘導工は、老齢のために空洞になった主幹部内で、竹筒と木炭を使って根を育てたものです。木にとって、根は一番大切なものですが、新しく根を育成できたことにより、保護再生が大きく進みました。
平成24年度には、大枝を支える支柱を取り替えました。
前回とは異なり、淡墨公園内の桧を間伐し、防腐剤を注入した材を用いたことによって、最新のエコ技術による工事が施工されました。
 

 山高の神代桜  


山梨県北杜市武川町山高2763
     
  早朝から出掛けたので例年混雑する淡墨サクラ観賞は、人出も少なく思い通りの動きが出来ました。ただ残念だったのが民俗資料室や宇野千代の関連グッズの館が開いていなかった事です。
8時過ぎに淡墨サクラ駐車場を出て、これから山高神代桜の有る山梨県の北杜市に向かいます。ここからの距離は約280kmで4時間近くのドライブに成ります。関広美ICから高速に乗り、途中でお茶を飲んだり早い昼食を取りながら、神代桜の有る実相寺に着いたのが12時前でした。
駐車場の案内看板に従って行くと、草の生えた広場に臨時駐車場が有りました。余り環境が良くないので、料金を徴収している女性の係員に、「もっと近くに無いですか?」と聞くと「近くは満車で皆が2〜3回周りながら結局ここへ停めますし、100円安くなっています。」と言われたので草の上に停めました。ここから実相寺は見えているし200m程の距離なので歩いて見に行きました。
 
 
 
実相寺山門まで売店が並んでいました。
山高神代桜(国指定天然記念物) 
山高神代桜は、樹齢2000年とも言われるエドヒガンの古木です。
1922(大正11)年にサクラとして初めて国指定の天然記念物に成りましたが、近年の環境の変化により樹勢が急激に衰えてしまいました。
山高神代桜の樹勢を回復させる為、南側道路を迂回させ、2001(平成13年)には根の病気を調査しました。翌年からの工事では弱った根に活力を取り戻すため養分と有用な土壌微生物に富んだ土に入れ替え、さらに主幹からの新たな発根を促す為屋根つきの櫓を撤去しました。これらの工事は4年間かけて行われ、2006(平成18)年3月に修了しました。
 
 
桜と甲斐駒ケ岳
  1922年(大正11年)   2006年(平成18年)
 高さ 13.6m  10.3m 
根元幹周   13.5m  11.8m
 枝張り(東西)  27.0m  17.3m
 枝張り(南北)  30.6m  13.0m

このサクラは植物分類学上、バラ科サクラ属に分類されます。エドヒガンは本州、四国、九州から朝鮮半島にかけて分布する比較的長寿のサクラです。葉や花序部に軟毛が有り、花弁の下の萼筒が壺形になります。
 
 
満開の神代桜。
神代桜(じんだいざくら)は、村の小高い山高地区にある実相寺で生きている。山梨県北杜市武川町山高の実相寺境内にあるエド ヒガンザクラの老木であり、日本三大桜の一つです。国指定の天然記念物で、天然記念物としての名称は 山高神代ザクラ(やまたかじんだいざくら)です。推定樹齢は1,800年とも2,000年とも言われ、その想像を絶する悠久の時を超えて咲き続けるさまは、神々しく、見る人は思わず手を合わせるとも言われ、全国の桜を愛でる人たちの崇敬を集めてきました。また樹高10.3m、根元・幹周り11.8mもあり、日本で最古・最大級の巨木として、大正時代に国指定天然記念物第1号となりました。また、平成2年には「新日本名木百選」にも選定されています。
 伝説では、神話の武将日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征の折に植えたと言われ、名前の由来になっています。また13世紀頃、日蓮聖人がこの木の衰えを見て、回復を祈ったところ再生したため、「妙法桜」とも言われています。
 桜と同じ頃におよそ8万本のラッパ水仙も咲き、足元の黄色と頭上の薄紅色のコントラストがとてもきれいです。
 
樹齢2000年以上といわれる「神代桜」……  同寺は創建以来2度の火災にあって歴史的建造物や寺宝等は残っていないが、境内の「神代桜」が有名。国指定の天然記念物の神代桜は、樹齢2000年以上といわれ、その大きさは最盛期で、高さ13.6m、根本幹周13.5m、枝張りも東西27.0m、南北30.6mというエドヒガンの巨樹を誇っていた。。近年、主幹部保護のため若干こぶりとなったが、毎年4月10日前後の開花期には見事な花をつけ花見客の目を楽しませている。  白壁の塀で四方を囲まれた境内は約3000坪と広く、山門をくぐると花畑の中を参道が続く。花畑にはラッパ水仙やチューリップが約10万本、 植えられている。また神代桜ばかりでなく、樹齢50年から100年の桜が30本ほどあり、花見の時期には寺の周辺には売店も店開きし、県内外から観光客が押し寄せている。
 
 
神代桜を観賞する大勢の人。
 
境内の桜と8万本のラッパ水仙。
 
実相寺の由緒・・・
日蓮を身延山に招いた波木井(はきい)六郎実長の四代あとの伊豆守実氏(いずのかみさねうじ)が、身延山第五世鏡円阿闍利日台(きょうえんあじゃりにったい)上人の弟子となり、実相院日応と名のった。この日応上人が永和元年(1375)、同村大津にあった真言宗の寺を訪れ、住んでいた真理法印と法義を論じ合い、論破して寺を譲りうけた。この時日蓮宗に改宗して大津山実相寺と称した。その後、永禄4年(1561)、川中島の合戦にあたって、武田信玄は蔦木越前守(つたきえちぜんかみ)を遣わし武運長久の祈願を命じ、永代祈願所として、一条次郎忠頼(いちじょうじろうただより)の城址であった山高の現在地を寄進、移転して現在に至っているという。
 
  実相寺
 実相寺の御本尊は、十界勧請である。 十界勧請大曼荼羅」の十界とは、 仏教でいう迷いと悟りのすべての境地を十種に分類したもの。地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上、声聞(しょう‐もん)、縁覚、菩薩(ぼ‐さつ)、仏の各界。最初の三界を「三悪道」、つぎの三界を「三善道」といい、この六界を迷界とみて「六道(ろく‐どう)」と称し、後四界を執着を断って現実を超越した存在ということで「四聖(し‐しょう)」と称する。
境内地には、国指定の天然記念物「神代桜」があり、日本最古の桜として全国的にも有名である。日本三大桜のひとつであり、日本武尊がお手植えされ、日蓮聖人が蘇生を祈られたという 。
国道20号線を韮崎から長野方面に向かい、小武川にかかる小武川橋をわたると武川村に入る。最初の信号機のあるT字路、宮脇交差点を左折し「神代桜」の案内板に従っていくと約3kmほどで実相寺に到着する。
 
 
   境内には三大桜の子桜が植栽されていました。  
 
神代桜の子桜。
 
淡墨桜の子桜。

三春滝桜の子桜。