ナナちゃん人形  
   名古屋駅前に立つ巨大マネキン「ナナちゃん人形」が、登場してから40年余り(昭和48年4月28日誕生)に成るので、特に話題が多く活躍の舞台を広げている。話題を呼んできた着せ替えは変わらないが、管理する名鉄百貨店が有料の広告塔として解禁したので、申込は引く手あまたになっている。アラフォー世代となった魅力を探り、まちづくりに生かす動きも始まっています。  
 
ナナちゃん人形。 
1973年(昭和48)年4月28日。セブン館の1周年に合わせて設置された。現在はメンズ館前。
      高さ    6.1m
      重さ    600kg
バスト-2.07m。ウエスト-1.8m。
ヒップ-2.15m。
素材は、繊維強化プラスチック、硬質塩ビ樹脂、で出身地は長野県ロア社の工場。
名鉄社員が東京であった装飾物の展示会で見つけ、即座に購入した。設置工費込みで150万円だった。この人形の名前を公募して、セブンをもじって(ナナ)の名が付いた。
2007年2~3月には名古屋の栄に有る愛知芸術文化センターで展示された。
ナナちゃんは設置当初と比べ少しだけ名古屋駅側に移っている。
ナナちゃんは当初「スイス生まれ」であるとされていましたが、当時、買い付けを担当した元社員の証言で、人形の製作を、長野県伊那市高遠町の木材会社「高遠製函」(現在の社名はウッドレックス)に依頼した。会場にあった巨大マネキンを、型枠造りのため伊那市の工場に運び、1ヶ月半かけて製造した。

広告塔第一弾。 
広告塔第一弾の装は、H24年6月9日公開の映画「ホタルノヒカリ」で主役の綾瀬はるかが演じるぐうたら主婦だった。ちょんまげに似た髪形にTシャツ、ジャージーズボン。作品への支持が高い女性が目を留めて居た。
これまでの服装は、名古屋鉄道グループ絡みか、公共目的の宣伝に限られていた。それを民間開放したのは、ナナちゃんの魅力を高めると共に、周辺の賑わいを増やしたい、との考えからでした。
利用料は一週間で80万円。つりさげ広告やイベント等約100mの歩行空間を全面的に使うと190万円。
広告の審査をする、募集窓口の電通名鉄コミュニケーションによると、公序良俗に反すると判断したものは御断り、そしてプロスポーツなどで地元チームと競合する場合も難しいと言う。ナナちゃんには、「看板広告とは違い、培われた人格があるから。」名古屋で愛されてきたイメージを守りたい、との考えからです。
ナナちゃんが名駅にお目見えした時は「肌」の露出が多かった。百貨店催事等に合わせ服を着せる機会が増えましたが、瑞境期には「裸とは何事か!」と投書が届くほど知名度は上がった。今は常に着衣姿となった。ただ、立体装飾の広告塔は全国的にも珍しく、広告の想像力次第で可能性が広がる。 
   
ナナちゃん人形の活用方法。
ナナちゃん人形の活用法を考えるトークイベントがH24.7月21日、ナナちゃん人形の下で開かれた。主催したのは、街中で授業を開いて各地域の魅力を発信するNPO法人「大ナゴヤ大学」と名古屋駅周辺の町造りを研究する名古屋工業大大学院研究室で、両者はトークイベントを前に街頭やインターネットで、ナナちゃんに関するアンケートを実施した。その結果300人からの回答では、待ち合わせ以外ではナナちゃんはほとんど利用されていない事が判明した。このアンケートから今後の活用法方として、「一般公募した衣装コンテストの開催」「お土産グッズの製作」「ゆっくり眺める休憩所の設置」を目指す。
トークイベントでは、名鉄百貨店の担当者や大ナゴヤ大学長等が二十人の参加者と討論した。そこでナナちゃんの製作秘話や、当初は裸だった事等が明かされた。
 

広告塔用として開放。
全長100m強に渡る歩行空間との一体活用を提案し、イベント利用も見込む。名古屋地区の賑わいを増やす狙いがある。
名鉄百貨店本店メンズ館からヤマダ電機LABI名古屋までの間を「ナナちゃんストリート」と位置づけ、つり下げや階段周りの広告場所、イベントスペースと共に提供する。
利用貸し出しは1週間単位。ストリート全面利用で190万円、ナナちゃん人形だけで80万円。着せ付け費用は含まれません。
今までは自社の宣伝や公共広告などに利用を限っていましたが、名駅地区を代表する存在だけに貸し出しの問い合わせも多かった。貸し出し条件は「親しまれて来たイメージを損なわない事」です。

H29.09.06.
「宇宙」をテーマにし、上衣のデニムには、ビーズやスパンコールをちりばめて、輝く銀河をイメージした。スカートは、透き通る白い生地を立体的に縫い合わせ星を表現している。
H29.03.16.
フットサルワールドカップ(2020)を愛知へ召致する活動をPRするため、フットサルのユニホームに着替えました。
H29.03.08.
3月12日に開催される、名古屋ウィメンズマラソン(女性ばかり二万人が参加)を前にランナー姿に着替えた。ランニングシューズは約90cmと特大です。
H29.01.25.
受験シーズンに入り、合格を願った蛍光カラーの桜色の甲冑姿にチェンジしました。受験生は戦いに挑む武士の気迫をみて前向きに立ち向かって欲しい。

H28.09.08.
ディズニー映画「BFG」のPRで、映画に登場する巨人のキャラクターの衣装を身にまとった。声優を務めた少女役の本田望結さんを招いたイベントも行われた。
H28.06.23.
パロマ瑞穂スタジアムで24日から始まる第百回日本陸上のPRで「サンライズレッド」のユニホームに衣替えした。リオネジャネイロの代表選考会も兼ねる。
H28.03.31.

長野県阿智村で4月から開催される「天空の楽園 日本一の星空ナイトツァー」にちなみPR用の衣装に着替えて”星空”を身にまとった。
H28.03.09.
3月13日に開催される名古屋ウィメンズマラソンのPR。黄色地に名古屋城の絵をあしらったTシャツと大会仕様のウエアを見に着けています。
 
新ビルには旧ビルの銘板。
大名古屋ビルヂング
名駅前のランドマークとして親しまれて来た大名古屋ビルヂング(地上34階、地下4階)が3年半の建て替え期間を経てH28年3月9日に全面開業が行われた。
コンセプトは「丘の上の大樹」とし、名駅の新しい顔として50年、100年先まで存在感を維持する事を目指す。
旧ビルの形に似た低層階を丘に見立て、その上に大樹のようなガラス張りの高層階を載せている。都市に多い、石造りで硬いビルのイメージを払拭し、自然界の柔らかな雰囲気を再現した。実際に緑化されている部分もあり、市民に安らぎを与えられるようにした。
旧ビルが閉館する前には多くの市民が見物した。テナントで働いていた従業員や就職で名古屋を離れた人等から沢山の思い出が寄せられもした。いかに大名古屋ビルが地域に愛されていたがが伺えた。その思いから、古い歴史をそのまま残した部分も多い。旧ビルのエレベーターホールにあったモザイク壁画も、新ビル一階の車寄せに設置した。
このビルは、周辺の一部の高層ビルに比べると、規模が巨大と言う訳ではないが、厳選した商品を揃え、流行の衣料、飲食の名店ぞろえにも力を注いだ。
2027年にはリニア中央新幹線が開業する。それぞれのビルが特色を出す事で経済活動や消費が活発化することを目指している。
 
新ビルの住所は変わるべきなのですが、ビルの住所は旧住所のままです。街区の統合を伴う再開発で、住所は旧来の「大名古屋ビルヂング中村区名駅三丁目二十八番十二号」とは違う番地になる筈でしたが、「昔と同じ住所を使いたい。」というテナントの要望が多く、市から特別に認めてもらいました。
上の写真は、一階の入口に有る銘板ですが、昔の住所がそのまま刻まれています。
 
 
ナナちゃんが居る名鉄ビル。
 
見本市会場にあった原型のナナちゃん人形。
 
旧大名古屋ビルヂング
昭和37年、当時の建設基準を遥かに超える高さ41mの高層ビルが名古屋駅前に誕生した。半世紀に渡り親しまれて来たこのビルも老朽化によりH24.9月で閉館し建て替えられる。
50年前は名古屋駅前で唯一の高層ビル「大名古屋ビルヂング」は名前のユニークさでも人々の人気をさらった。このビルヂングと言う独特の表記は、戦前の旧かな使いによるもので、決して興味本位や名古屋訛りではない。ビルを所有する三菱地所によると、強烈な印象を与える名前は、躍進を続ける名古屋の街にちなんで「大」を掲げ、同社前身の大正時代から続く伝統で「ディ」ではなく「ヂ」を使ったと言う。
 
 
new大名古屋ビルヂング 
 大名古屋ビルヂング

高さ      約180m

延べ床面積 約14万7千㎡

地上34階~地下4階

完成時期  2015年10月末

ホテル「ロイヤルパークイン名古屋」の跡地と一体化して建設。地下1階~地上4階が商業施設、7~33階がオフィスで、入居テナントを検討中。地下街との接続に加え、約千台収容と都心では大規模な地下駐輪場を設け、周辺との回遊性を高める。低層屋上部に約2千㎡の庭園を整備し、緑化にも力を入れる。 
 
大型総合ビル3棟の建設地。①のスペースに、大名古屋ビルヂングが建設されます。②JR東海の名古屋駅新ビル、③日本郵政の新ビル。
 
  個性豊かなトリオビル。
名古屋市中村区の名古屋駅前地区では2015年、再開発による大型複合ビル3棟が相次いで完成した。ほぼ同時期に大量のオフィスが供給され、華やかな商業施設も続々とオープンし、人の行き来が一層活発に成り、新たな賑わいの創出につながる。
3棟は、三菱地所が手掛ける大名古屋ビルヂング、JR東海の名古屋駅新ビル、日本郵政の新ビル。34~46階建ての超高層ビルがずらりと並ぶ。いずれも低層階にはショッピングゾーン、高層階はホテルやオフィスとなる。
それぞれ名古屋駅直結の利便性をアピールしてテナント誘致に動き出し、個性的なビルづくりを競っている。一方で、地下に自転車置き場を設けたり、緑化に力を入れたりと、地区全体の魅力アップにも貢献する。
名駅の再開発は15年以降も続き、第二豊田ビルの建て替えが16年に完了。名鉄も27年のリニア中央新幹線東京ー名古屋間開業までに、名鉄名古屋駅や名鉄百貨店が入るビル等を一体開発する計画です。
三つのビルを合わせた延べ床面積は、ナゴヤドーム12個分もありオフィスや商業施設のスペースが大きく増える。オフィスは供給過剰の懸念も有るが、3つのビルとも名古屋駅に直結して利便性が高いので、時間をかければ埋まると思われる。交通アクセスの良さは働く側だけでなく、企業の側にも人材を集めやすい利点がある。
商業施設のテナントは全部が百貨店だと行きづらいが、娯楽施設など多様なものを集める事ができれば、周辺都市からも人を呼ぶ事が出来地域活性化にプラスになる。
名駅全体では、3つのビルの登場が刺激に成って、他のビルで賃料が少し下がる傾向が出て来るといい。そこに新しい事業者が進出し、にぎわいがでてくればベストだ。
 
 
  ナナちゃん人形の誕生。
ナナちゃんはある宣伝課長によって、1973年2月に東京・晴海であった店舗業者向けの見本市で見染められた。その人形は、スイス製の「スカイスクレーパー(摩天楼)」という商品名の巨大マネキンだった。巨大人形に一目惚れした課長は、セブン館前の天井の高さを測る様に部下に命じた。その結果設置出来る高さが有る事が確認された。そしてこの人形の製作を、長野県伊那市高遠町の木材会社「高遠製函」(現在の社名はウッドレックス)に依頼した。会場にあった巨大マネキンを、型枠造りのため伊那市の工場に運び、1ヶ月半かけて製造した。
高遠製函は雪が多い冬場の仕事を確保する為、1970年から一時期マネキンの製造を手掛けていた。
この写真は、型枠造りをしている作業員です。材質としては、強化プラスチックとガラス繊維で、最大瞬間風速60mに耐え、ハンマーで殴っても壊れない強度にした。
何故この巨大マネキンが必要だったのか?それは名古屋駅前に1972年4月のセブン館オープンに合わせ、若者の流行発信地とする事だった。インパクトのある巨大マネキンと宣伝のキャッチコピー「一週間来ないとおくれちゃうよ!」と挑発し、その斬新さが当たった。
この裸の巨大人形に市民から「裸の女性をモデルにした物体を、公共の目の前に接する事はいかがなものか」との苦情もあった。それには「芸術であり、裸であるのが当然です。」と明解した。
 
  コピーの製造
1950年(昭和25年)創業の「高遠製函」(現在の社名はウットレックス)は寒さが厳しい冬場に職人達の仕事を確保する為に始めたマネキン事業はまだ3年目だった。その会社に身長6mを越えるマネキンの注文が入った。早速東京の晴海に実物を見に行ったが、その巨大さに驚いた。果たして製造する事が出来るのか不安が先立った。
1973年3月、スイス製のマネキンが伊那市の工場に運ばれた。製造元の仕様書をを頼りに手探りの作業が始まった。
作業は、原型のマネキンを強化プラスチックで固め、型枠を造った。次の工程は成型で、型枠の内側に液体のプラスチックとガラス繊維を塗る。型枠からマネキンの胴体や手足を抜き出し、丁寧にヤスリで磨いた。巨大人形の製作だけに脚立は欠かせなかった。30名の従業員はフル回転し、残業も交えながら1ヶ月半後完成した。完成した喜びを味わいたかったが、他のマネキンの製作が遅れ祝杯も挙げられなかった。
試行錯誤の末、完成したナナちゃん人形は名古屋に設置されたものの、日本人らしくない容姿と、原型のマネキンがスイス製だった事から「スイス人」という誤った説が定着してしまった。何処で造られたかは問題にする事無く40年程スイス生まれと思われていた。
製作した「高遠製函」は、型枠が有るので同じものを何体も造ろうと画策していた。インパクトは有るので目印や話題には事か欠かないので、注文は有るだろうと踏んでいた。しかし1973年の10月に第四次中東戦争が勃発し、世界にオイルショックが広がり、材料のプラスチックが高騰し入手が困難に成り断念した。
ナナちゃんの原型に成ったマネキンは、スイスに戻らず、大阪の百貨店に飾られていたとか、日本海側の工場の敷地内に放置されていたとか、末路は淋しいものだったらしく、未だ不明である。
 
  ナナちゃんの寿命
ナナちゃんに耐用年数は有るのだろうか?勿論形あるものは何時かは崩れると言うのは当然の事ですが、強化プラスチックとガラス繊維で固めてあり、漁船と同じ工法で頑丈に設計してある。劣化を防ぐメンテナンスを行えば、今後も現状維持を継続出来ると言われている。耐久性に対して製造の際「高遠製函」(現在のウッドレックス)に付けられた注文は、「最大瞬間風速60mに持ちこたえる頑丈なもの」だった。この難題にはセブン館前の天井に頭部を固定する事で解決した。そしてナナちゃんが14歳になった1987(昭和62)年、両足を歩道に固定する「お化粧直し」と称する補修を受け、さらに強度を増した。しかし40年の歳月の経過に金属疲労等の劣化は無いのだろうか?それに対して強いて挙げるなら、腕を胴体に固定している金具の溶接部分であり、それも人間でゆう”40肩”程度のもので大事に至るとは考えられないらしい。左の写真は強化プラスチック製のナナちゃんの胴体部分で、塗装前は全身が褐色だった。皮膚の厚さは2cmで通常のマネキンの10倍はあるという。
ナナちゃん人形のコピーを製作する事は出来なかったが、原型をデザインしたマネキンは多数造られた。これは「シュレッピー・シリーズ」と呼ばれ、東京・銀座やパリ等各国の店頭を飾っている。「シュレッピー」とはスイスのマネキン会社の名前で、数十年前イタリアのマネキンメーカー「ボナベリ」に吸収されたが、デザインの抽象性に、柔らかいタッチの曲線は、造形の芸術作品の域に達していると今も人気に成っている。
40年前、シュレッピー社のマネキンを基に造られたナナちゃんも共通のDNAを持っている。仏像を連想させる東洋的な顔立ちに、前傾姿勢で両腕を少しだけ広げる独特のポーズ等、全身から漂うエレガントな雰囲気は、まさにシュレッピー作品そのもので、時代の移ろいを超越したセンスが有るから、何時までも見る人を飽きさせない雰囲気が有るという。
 
  衣装替え
ナナちゃんの衣装は、それなりの大きな会社で、多数の仕立てやさんが関わり製作しているのだろうと思っていた。身長6.1mもある衣装となると、製作には広いスペースも必要になる。しかし実態は違っていた。2人の女性が携わっているだけなのです。
着せ替えが始まったのは、デビューした1973(昭和48)年4月からで、わずか3か月後でした。最初の衣装は、名鉄百貨店セブン館の女性社員が着けていたエプロン姿で、その後、着る衣装が決まる度に、企業等の制服を手掛ける服飾メーカーに発注していたのですが、次第に手の込んだ衣装が増え、無理な注文にも対応してくれる専属の仕立てやさんが必要になった。
2007年、専属の仕立てやさんとして白羽の矢が立ったのは、アパレル会社勤務の女性と、服飾専門学校講師の女性の2人でした。
ナナちゃんは40年間で着た服はナント!150着。最近では月に3~4回衣替えする時が有ると言う。このスピードに対処して仕立てるのは可也の過酷労働になり、納期との時間の競争は免れない。兎に角、巨大なナナちゃんに使う洋服生地は7人分で、イメージに合う生地探しも大切な要件になる。それに前傾姿勢に怒り肩と独特な体型の為、型紙も正確に描かないとフィットしない。名古屋の象徴、全国有数の存在感となったナナちゃんにはそれなりの服装が必要なのです。それらの条件を満たしナナちゃんが洋服で一新した姿を立ち止まって見入ってくれたり、撮影などをしている人の姿を見ると、苦労が喜びに変わるそうです。

 
 
ワンピースの水着
1989年4月
 
にっぽんど真ん中祭の法被姿
2003年8月
 
中日ドラゴンズのユニホーム
2004年9月

ビキニ
2008年4月

有松絞りの浴衣
2008年5月

献血のPR
2009年1月
 
名古屋ウィメンズ
2013年3月
  ナナちゃんの今後
ナナちゃんは全国でも有数の存在感が有るから、待ち合わせ場所としてのシンボルだけでは余りにも活用がお粗末である。2027年開業のリニア中央新幹線は時速500kmで東京ー名古屋間を40分で結ぶ。名古屋駅一帯は、今より一層の繁栄を目指す必要があり、それにはナナちゃんにも一役かってもらわなければならない。ナナちゃんは昭和、平成、石油ショックやバブル景気、愛知万博開催等、時代や街の変化を体験している。現在は各地でゆるキャラが活躍しているが、ナナちゃんは、すでに世代を越えた積み重ねた歴史が有る。この経歴は新しいキャラクター達が束に成ってもナナちゃんにはかなわないだろう。
巨大な人形が、その時の話題に成っている衣装を身に着けて人目をひくパフォーマンスは、一度見たら永遠に印象に残り、他に類を見ない存在感を発揮している。名駅周辺で17のシンボルを選び出し、ナナちゃんと比較した。「待ち合わせが便利」という項目では、JRセントラルタワーズ、大名古屋ビルヂング、噴水広場等でした。1位は地の利で「金時計」で、2位が僅差でナナちゃんになった。
これらの事から、ナナちゃんと聞けば名古屋を思い浮かべる人気者マネキンに成る事でしょう。