H28.01.05.  清 洲 城   
 
  サルの神社として有名に成った日吉神社を見て、近くに有る清洲城に行きました。日吉神社と比較すると気が抜けたように閑散としていた。20台前後置ける城の近くの無料駐車場も苦もなく置けました。その他、清洲城公園駐車場は駐車台数:普通車113台、大型バス9台が駐車できます。観光客も少ないので、この静けさなら自分の思う様に観賞出来るので内心安堵した。  
 
清洲城
清洲城天主閣は、鉄骨と鉄筋コンクリート造り三層四階建てで、延床面積773.01uあり、四階の展望室からは、濃尾平野が一望でき、かつてこの城が尾張の中心であった事が実感できます。
元の清洲城は、1405年に尾張・遠江・越前守護の斯波義重によって築城されました。以後、守護代の織田大和守家の居城として、織田家の本城として存在してきました。
1555年に織田信長と組んだ織田信光によって、守護代の織田信友が殺害されます。これにより織田家の当主となった信長は、那古野城から清洲城へ移り住みます。
平成元年(1989年)
旧清洲町の町制施行百周年記念事業の柱として、清洲公園・城址・五条川対岸町有地一帯の整備が進められる。4月14日天主閣がそびえる清洲文化広場の竣工式が挙行された。400年近くの年月を経て歴史ある城が「清洲城」として天守閣をはじめ、芸能文化館、清洲城広場として地域のシンボル、平成のお城として甦りました。
清洲城の役割
信長が桶狭間の戦いに出陣したのも清洲城からです。
信長と徳川家康との同盟が結ばれたのも、この城です。
本能寺の変で信長がたおれ、後継ぎをめぐって清洲会議が行われたのも、この清洲城です。
1600年の関ヶ原の戦いの時には、東軍の集結地、後方拠点として利用されました。
 
  開館時間
■清洲城天主閣 
       9:00AM〜4:30PM
休館日
月曜日・年末(12月29日〜31日)
※月曜日が祝日・振替休日の場合は、翌日
入館料
■大人
    300円(団体:250円)
■小人
    150円(団体:100円)  
 
 
日本庭園から見ました。
天守閣の朱塗りの柵が印象的です。
 
日本庭園 (入城口から撮りました。)
入口を入って驚いたのは、少し荒目の白い砂の庭でした。この上を歩いて良いのか悪いのか?途方にくれましたが、足跡を付けるのは良くないだろうと諦めました。
「御殿の庭は、白砂敷きの枯山水(かれさんすい)として美濃石を配石し、ポイントとして水琴窟を設けて有ります。」
 
  
水琴窟
 
桜百選にも載るる五条川、それに架かる大手橋。
橋を渡ると正面入口になります。
 水琴窟の横に竹が建てて有り「上に耳を当てる。」と書いて有ったので実行しました。音を聞くと遠くから澄んだ音が聞こえて来ました。
 
 
正面入口の門松。
 
庭園には池が有り休憩する四阿が有りました。
 
 
復元石垣
 
燈籠と大手橋、清洲城。
■復元石垣
清洲越直前(1610年頃)に存在していた本丸南側の石垣が復元されています。この石垣は平成八年の河川事業に伴い実施された遺跡調査で発見されたものです。軟弱な地盤に耐えられるように松の木で、『梯子胴木』 と言う基礎を作り、その上に石垣を築いた構造です。
清須は、鎌倉街道と伊勢街道が合流する「交通の要」でした。 北へ向かうも南に向かうも、清洲は重宝され、誰もが手に入れたい場所でした。
桶狭間の戦い、関ヶ原。織田信長や福島正則はこの清須から戦へ出向き、また本能寺の変の後に行われた後継者を決める会議もここ清須城を舞台に繰り広げられました。
徳川義直の頃には、清須城下は人口6万人を数える賑わいを見せており、「関東の巨鎮」「天下の名城」と讃えられた歴史ある素晴らしい城です。
 
 
右大臣織田信長公古城跡
 
信長塀
慶長15年(1610年)からの清洲越で清洲城が取り壊された後、天守台址は尾張藩が清洲城址として保存し、天保年間(1830年〜1844年)に、清洲代官朝田藤三郎が城跡周辺に石垣を、次の代官荒尾喜蔵が周囲に松樹を植え崩潰を留め史跡保存に努めた。 ■信長塀
信長が、桶狭間の戦勝祈願した熱田神宮へ、勝利のお礼に奉納した塀をモデルに作られています。何層にも重なった瓦が、風情を感じさせます。
ちなみに、三十三間堂の太閤塀。 西宮神社の大練塀。 と並び、日本三代塀の一つといわれています。 
 
 
織田信長公と濃姫の像。

信長社
清洲公園
清洲城天主閣の対岸に位置し、織田信長公の銅像と濃姫像があり、夫婦円満や恋愛のパワースポットとして話題になっており、四季を通じて散策が楽しめます。
天守台跡には信長を祀った小さな社が有り、信長社として鎮座している。信長の命日である6月2日には、社前で織田信長公顕彰会が毎年行われる。 
 
  現在の清洲城天主閣は平成元年(1989)に再建され、清須の歴史を紹介する展示・映像などが1階から4階に展示されています。
清洲城周辺では五条川堤防や清洲公園の桜をはじめ四季折々の散策や、史跡めぐりなどのルートとして清須は名古屋城・小牧城・犬山城・岐阜城や桶狭間古戦場なども近隣に位置し、歴史や遺産などが多くあり戦国時代を知ることが出来ます。
 
 
胴丸仕様の「鎧」
 
戦国武士の暮らし

大河ドラマ戦国史 
 
 
瓦鯱(右、阿形・左、吽形)
 
金鯱
 
出陣の舞
 天主二層の大屋根に据えて有る瓦鯱と全く同じ形をしています。 この金鯱は直接手で触れて感触を確かめる事が出来ます。運気向上するかも知れません。 人間50年、下天のうちをくらぶれば夢幻・・・・信長の言。太鼓を打つ事が出来ます。