鶴舞中央図書館
                   北側の伊藤圭介先生の彫刻など・・・・    
鶴舞中央図書館入口左側に三つの彫刻が有ります。
見逃され易いものですが傾注して下さい。

左から「タカ」、「圭介像」、「休む男」
 
伊藤圭介先生像
1957年 5月 5日
             伊藤圭介先生顕彰会
             作者    山本豊市
 
  伊藤圭介先生(1803〜1901)は名古屋 市が生んだ偉大な科学者で、九十九歳でなくなるまで「一徹なほど真摯で研究一筋」の人生でした。
圭介先生は江戸後期に名古屋市の呉服町の医師の家に生まれ(1803年1月27日)、自らも医学を修めた。18歳の時に、尾張藩の免許を得て医業を開業し、名古屋で種痘の普及に尽力しました。植物が薬として効くかどうかに興味を持ち、24歳の時、長崎のオランダ商館医シーボルトと出会い、本格的に西洋の植物学の知識を深めると共に、本草学を学び山野で植物の観察や採集に没頭した。27歳で「泰西本草名疎」(たいせいほんそうめいそ)を刊行し、その中で「おしべ」「めしべ」「花粉」の単語を紹介した。
若いうちから大きな業績を残したのですが、年を重ねても研究への意欲を失わず、68歳で明治政府の招待で東京に移り、東京大教授などを歴任した。その間、日本を訪れたクラーク博士や多くの外国人との交流を持ち、新しい知識を得ようとする意欲は旺盛だったと言われる。
幾多の輝かしい世界的業績を残され、我が国で最初の博士号を得られた科学者として国家最高の栄誉を受けられた人である。
この功績をたたえ永く後世に伝えるため県下50万の児童によって、上の写真の銅像を建設する事になったのである。
東山植物園内には植物会館が有り、伊藤圭介が残した遺品などが、子孫から寄贈され展示されている「伊藤圭介記念室」が有ります。そこには、当時の貴重な医学や植物学に関する書籍や圭介の日記等の資料が展示されていて、その中でも日記は240冊にも及び、いまも「圭介文書研究会」が解読作業を続けています。
 

タカ (石田 清氏 作)

乏しい資料から

 石田清氏(愛知県尾張旭日市)45歳頃の作

品、名古屋芸術大学教授、日展の評議員、

昭和27年、屋外彫刻展の時の作品では?

休む男(都築宗彦氏 作)
  乏しい資料から

 旧図書館は連合軍の厚生施設として使用され

ていたらしい、昭和27年4月1日返還され、その

後屋外彫刻展が開催された。・・・らしい

屋外彫刻展の展示作品の一つ。