日本一の鐘つき大黒天  愛知県小牧市中央6-272
 
 
中心点が妙林寺の鐘つき大黒天の位置です。
 
日本一の鐘つき大黒天。
 日本一の大きさを誇る鐘つき大黒天の石像。金運や商売繁盛に御利益が有る七福神の一柱。頭巾をかぶり、右手に打出の小槌、左肩に大きな袋を背負った姿は「大黒さん」の愛称で親しまれる。大きさは、白御影石製で4.5m。台座を含めると、約7.5mある。群馬県下仁田町の中之獄神社に有る20mには及ばないが、小槌の後ろには釣鐘が有る為、「鐘つき大黒天」という注釈付きで日本一としている。
 
   
 妙林寺(みょうりんじ)は、愛知県小牧市にある日蓮宗の寺院で、山号は法栄山。創建は15世紀初頭の室町時代。開基は法孫日珍上人。大黒天が祀られている寺の総本山であり、日本一の大きさを誇る"鐘つき大黒天"の石像があることで有名。旧本山は名古屋本遠寺。  石像が作られたのは、1984年である。台座部分には部屋があり、大黒天や十二神将などの木像などが保管されている。また石像の裏には「金の成る鐘」と名付けられた鐘があり、「鐘の音を聞けばご利益がある」とされている。
 
  妙林寺
本成院日澄聖人の法孫、日珍上人が1416(応永23)年に建立した日蓮宗の寺で、山号は「法栄山」。檀家数約100軒で、毎年11月には宝船と稚児が地元を練り回る「こまきの大黒さんまつり」がある。鐘つき大黒天は足元の米俵を含めた高さが4.5m重さは80トン。台座部に部屋が有り、十二神将や獅子大黒天、上達千手観音等が安置されている。
 
 
   
鐘つき大黒天と本堂が有る境内。
 
   鐘つき大黒天が完成したのは、大黒天の縁日に当たる甲子の年の1984(昭和59)年11月。今でこそ寺の象徴にもなっているが、建立までには多くの苦労が伴った。
大黒天を建立する計画を60軒の檀家に話したところ、檀家全員に反対された。当時は本堂も小さく、決して大きな寺とは言えなかった。そこへ2年前に移って来た言わば「よそ者」が、とんでもない計画をはなした為、不可能な計画と製作費を考えた檀家は驚き反対したのでした。途方も無い計画を何故実行するかという根拠は、「霊示」が有ったからでした。住職はこの妙林寺に来る前、埼玉県の住職をしていた76年冬、千葉県で百日に及ぶ日蓮宗の荒行に参加した。通算3度目で、これを終えると大黒天像を開眼する資格が与えられる。荒行も終わりに差し掛かった頃、何処からともなく「大黒天を建立せよ!」との命令を直感した。
あいにく埼玉の寺には敷地が無くてかなわなかったが、縁有って82年に妙林寺に移る事に成り、2年後に甲子の年が60年に一度やってくる巡り合わせもあり、今度こそ霊示を実現すべしと奔走した。並々ならぬ決意に檀家の筆頭総代が折れて、周りの人達を説得してくれた。そして岡崎市で彫られた重さ80トンの石像はトラック2台に載せられて、無事境内に安置され、計画から8年を経て悲願は成就したのでした。
 
 
 
大黒天の後ろの鐘は、誰でも突く事が出来ます。
 
招福めぐり入口。
台座の下が部屋に成っています。
 
台座の下の部屋に入って下さい。との張り紙がして有りました。暗い部屋なので躊躇しながら入りました。
 
 
十二神将が並んでいます。
 
上達千手観音
広大無辺の観音様で、普通延命、滅罪徐病の巧徳があるとされますが、当山の観音様は全ての習い事が上達する観音様です。 
 
 
文殊師利菩薩
   
身がわり大黒天
お釈迦様のお弟子の中で最も知恵が優れた菩薩で、別名曼殊ともいわれ智恵、学問の菩薩様です。入学、進級、テストの折には御参りして智恵を頂いて下さい。   御自身の悪い所(病)と同じ場所をさすりながら、南無妙法蓮華経と唱えて御参り下さい。
 
 
招福めぐりの出口。裏に出ました。
 
絵馬には願が書かれています。