アイ・ファイン

住所
    愛知県西春日井郡豊山町豊場四ツ塚53
    tel 0568-39-2061
    fax 0568-29-1551

メジャー9年間200安打を108年ぶりに塗り替えたイチローの展示館”アイ・ファイン”が愛知県西春日井郡の名古屋空港近くある。その展示館の紹介と世界のイチローの業績を探ってみました。
展示館”アイ・ファインの管理はイチローの父がしています。

イチロー
本名=鈴木一郎、1973年(昭和48年)10月22日、愛知県生まれの41歳。
右投げ、左打ち。180cm、72kg、愛工大名電時代は投手として甲子園大会に出場した、愛工大名電高からドラフト4位で92年にオリックス入団。94年にプロ野球初となるシーズン200安打を達成、3年目の94年から7年連続でパ・リーグの首位打者となった。
マリナーズ入りした2001年に242安打を放ち首位打者、盗塁王獲得し、最優秀選手と新人王に輝いた。2度目の首位打者となった04年は262安打を放ち大リーグのシーズン最多安打記録を84年ぶりに更新。日米通算2000本安打、二度目の首位打者にも輝いた。同年6月14日大リーグ5年目でメジャー1000安打達成。
09年4月16日、日米3086安打で張本氏の記録を抜く日本新記録。
09年9月6日大リーグ2,000本安打達成。
09年は225安打で大リーグ初の新人から9年連続200安打以上を達成し、米史上108年ぶりの大リーグの偉業となった。
10年、10年連続の200安打以上を達成。
11年、4月2日、メジャー通算2,248安打で球団新記録を達成。

 

名古屋市に隣接している西春日井郡豊山町に有るイチローの家までは20Km足らずで行く事が出来る。
そして「イチロー展示ルーム」は名古屋空港の西側に位置していて3階建てで洒落た建物なので割と目につきやすく、「展示ルーム」の周りは田畑が多く閑静な場所で空港がセントレアに移ってからは益々その現象は顕著になった。
アイ・ファインは「イチロー展示ルーム」の名称です

 

R41「豊山」交差点をを東へ「伊勢山」の交差点を南(左折)へ、一本目の信号交差点の「伊勢山南」を東(右折)して400m弱で独特の建物が見えます。
そこがイチロー展示ルーム”アイファイン”です。

イチロー展示館

 車で ・ 名神高速「小牧I・C」下車、R41名古屋方面へ「豊場」交差点左折1Km。
          ・ 名古屋高速「楠I・C」下車、R41小牧方面へ「豊場」交差点右折1Km。
          ・ 東名阪道「楠I・C」下車、R41小牧方面へ「豊場」交差点右折1Km。

一般/大人(高校生以上) 900.-
一般/小人(中学生以下) 300.-
団体/大人(高校生以上) 700.-
団体/小人(中学生以下) 200.-
前売券/大人(高校生以上) 700.-
前売券/小人(中学生以下) 200.-
 *団体は15名以上
 
定休日>

  毎週月、火曜日(変更あり)

   <開閉時間>

  AM10:30〜PM4:30

玄関と入場口ですが綺麗に清掃されていて、セキュリティはセコムが担当しています。この展示ルームは3階まで有り、1階が受付、2階、3階が展示ルームです、各階には案内嬢?が展示物について色々説明をしてくれます。階段とエレベーターを利用する事が出来、撮影は禁止です。
 

玄関右にあるプレート

玄関に有るベンチはバットで作られていた。
専用駐車場が完備されているので、駐車違反をして回りの住民の皆様に迷惑を掛けないようにしたいものです。    
定休日は決まっているのですが変更が多い為事前に聞いてお出かけになった方が無難だと思われます。

後ろ方からアイファインを望む

アイファイン展示館の正面に道路を挟んで
無料駐車場が有りました。普通車なら
20〜30台駐車する事が出来ます

2階から3階にかけて写真、表彰状、トロフィー、レプリカ、衣類、グラブ、バット、スパイクとありとあらゆるべ−スボール関係の物が展示されている、そしてスーパースターとの交友関係も知ることが出来る、又、興味を引いたのはイチローが机に向かって勉強しているマネキンがあり、その机の端にはソロバンが置かれていた。名電在学中は元中日の”田尾”ファンだった。
田尾の中日選手時代の移籍には傷心していたという、そのユニホームもかたわらに置かれていた。
2階の奥からガラス越しに下を見るとトレーニングルームが有り素晴らしいトレーニングマシンが有り、オフに帰って来た時に使用するのですと説明してくれた、天才的な運動神経を持ち合わせていても努力は決して怠らない精神に感服した。天才だけでは決して世界を制圧する事は出来ない、他の人以上に努力が出来るという天分をイチローが実行しているからなのだろうか?

 
 
展示館内

ゴールデングラブ賞のグラブの数々
 

 

無限のチャレンジ


3歳頃から野球に興味を持ち始めた。
3歳の時熱田神宮で蝶ネクタイと千歳飴を持ち撮影。

   2011年のイチロー
              知られざる闘い!
 
 
  記録メーカーのイチローにしては、2011年の記録は少なかった。何よりも11年連続200安打の記録が途切れた事にある。その原因は何なのか?探ってみました。
2月、アリゾナで11年目のキャンプを迎えた。チームは昨年最下位だったので、チーム再建の若返りを図った。この年のイチローは37歳の最年長で、若手を引っ張る役割を求められ、新しいウェッジ監督は、チームの立て直しを図る為に、イチローに高い期待をしていた。イチローの性格は、言葉で言うのではなく、行動やプレーで仲間を引っ張ってゆくリーダーで、練習に取り組む一途な姿勢と、理論は若い選手の良いお手本と成っていた。
昨年はチームの最下位にも関わらず、前人未到の200安打を10年連続で達成した。今年も周囲は当然200安打への挑戦と思っていたが、当人にその思いは薄く、200安打の達成だけをフォーカスされるのが怖かった。野球の面白味は他の部分にも沢山有るので、その面白味を理解してもらいたいと思い描いていた。
4月1日、開幕戦の第二打席で、今シーズンの初安打を放った。6回にはレフト前ヒットで、この日は2安打、2盗塁の快調で、チームの勝利に貢献した。
4月2日、第二戦でヒットを放ち、メジャー通算2、248安打で球団新記録を達成し、チームの最多安打記録を更新した。今までの記録は、シアトルの英雄、エドガーマルチネスが18年掛けて記録でしたが、イチローは11年でこの記録を更新したのでした。
4月の成績は、39安打、打率3割2分8厘と、4月としては自己最多に並ぶヒット数に、200安打は確実と誰もが信じ疑わなかった。
5月、毎年調子を上げるこの時期にスランプに陥り、凡退を繰り返した。チャンスでも打てなく、5月の打率は2割1分で自己最低となり、メジャー11年目でも最低となった事に、先行きに不安の要素が見え隠れした。
5月に不調となった原因は、4月が例年になく余りにも好成績だった為、その成績に惑わされてしまっていた。やっている事に結果が繋がり好成績を残した。結果が良ければ修正の必要は無い、と言うのが一般的な考え方だった。しかし思い返せば、詰まった当たりが幸運なヒットになっていた。ラッキーな当たりがヒットに成っていたので、好調と錯覚していた。会心の当たりのヒットが少なく、成績だけが伸びて居たので修正はしなかった。ラッキーな当たりが無くなると成績は下降線を辿ったのでした。それが5月の不振となり、数字が物語った。
違和感や悪い予兆はどこかに有るが、結果が良いとそのままになってしまっていた。イチローの不振とは対照的に、若いチームは好調だった。5月の戦いを終えて、チームは首位に0.5ゲーム差と肉薄していた。
昨年が最下位と思えないチームの活躍とは正反対に、イチローだけが深いスランプに陥り、先に明るさが見えない現状に1人苦しむのは複雑な心境であった。野球はチームで戦うが、個人成績も重視される。
6月に入るとスランプは更に酷く成り、明らかなボール球にも手を出し、バッティングは崩れて居た。この状況に、ウェッジ監督は、イチローは自分に厳しくファンの期待に答えられず苦しんでいる。監督はイチローと話し合い、打順の変更や休養を打診した。イチローはチームの為ならどんな判断でも受け入れると話した。
6月10日、イチローは絶不調で欠場した。不調で欠場したのは256試合ぶりで、メジャー初めての事だった。大好きな野球だが不振なゆえに、面白くない事が沢山あった。いくら好きな事でも、自分の望む最低結果より上で無ければ、誰もが納得しないだろう。
1日休んで試合に戻ったイチローは、再出場の日から6試合連続の複数安打を放ち、調子を上げたが、休んだから調子が上がったとは言わない。それはバッティングとはそんな単純なものではないと言う事を熟知しているからだ。
6月の後半から又、スランプになった。5月と6月、2か月の打率は2割前半に低迷した。これほど長期間に及ぶスランプは野球人生初めての事で、さすがのイチローも、心の芯がポキッと折れた。今までは結果が出なくても、手応えが感じられたが、その手応えさえも無く成ってしまっていた。ファンの声の励ましは、年を取ったけど高い技術で充分カバー出来る、少し休めば心配無い言う人と、限界説では、イチローも自分のプレーに満足出来ない時が来た。引退も近いのでは、囁かれていた。
メディアの見かたは、肉体の衰えを上げた、衰えていく彼を見るのが忍びない、足も遅くなっているし、どんな偉大な選手でも永遠と言うのは無い。これに対してイチローは、加齢は考えられるが、それで成績が悪くなってしまった、とは考えたくない、確かに若頃に比べて、好みが演歌になったり、肉より野菜が良くなったりしてきた。しかし体の衰えは感じない。それは20代の頃よりも速く走れるし、20代の頃よりももっと力強い送球が出来て居ると言う。心・技・体のうち、技で悩み続け、心まで折れてしまった今年、鍛え上げた体だけが支えに成っていた。通常はスランプに成ると、元気が無くなり、心が支えに成るのだが、イチローには反対の現象が起きて居た。
 
 
   後半戦に成ってもスランプは続き、ピリピリした近寄り難い雰囲気を漂わせていた。メディアやチームメイトを遠ざけ、自分だけの世界に入り込もうとしていた。価値観を共有出来ない、それはチームメイトの人種の違いなのか、自分は妥協して他人に擦り寄る事が出来ない性格だから、孤独に成って諦めなければならないのか。自分の情報は一切出さない、愚痴や泣き言を言わない、これが支えと成っていて、これが崩れると自分では無くなり、壊れてしまう可能性が有る。
イチローは、2001年、大リーガへデビューして以来、その才能を遺憾なく発揮し、メジャーの記録を次々と塗り変え、スポットライトを浴び続けてきた。
2004年、シーズン最多安打を記録。しかし今までにもスランプはあった。だがそんな時は自分で解決策を見つけ、それが成功していた。
2010年、10年連続で200安打を記録。妥協なき戦いの日々が生み出したものでした。結果が出ないのは自分に対して甘いからであって、自分を戒めるもう一人の自分が必要で、好調で結果が出ている時よりも大事だと言う。それでは何故、そこまで自分に対して厳しいのかは、自分の目標は凄い野球選手に成る事では無く、人として成熟したい。それは苦しみを乗り越えた先に、人としての成長が有ると言う信念を持っている。
7月に成ると、好調だったチームにも陰りが見え始めた。球団のワースト記録となる17連敗を喫して最下位となった。この時もウェッジ監督の望みは、イチローの復調だった。きっかけさえ掴めば一気に調子を取り戻す事が出来ると確信している。彼が復調すればチームに良い流れが出来る。人は苦しい時にこそ人間性が現れる。彼は長いスランプでも、諦めず戦い続け結果を出してくれるだろう。
7月23日、フォームを改造し、17連敗でヤンキース戦に臨んだ。フォーム改造の取り組みの成果が試された。3回レフト前ヒットを放ち、この日は5打数4安打で連敗を止めたと共に、イチロー自身不調脱出のきっかけがつかめたと、先行きに光明が見えた。
8月には復調し、13試合連続ヒット。8月を終えて、154安打となっていた。11年連続の200安打の夢が可能な数字と成り、期待が膨らんだ。9月前半もヒットを積み重ね、この調子なら200安打達成は叶うだろうと、ファンのカウントダウンは熱を帯びた。しかし勢いは続かず、9月半ばを過ぎると又もやスランプに成り、この時点で記録は絶望的なものになった。
9月27日、残り2試合となったこの日、184本目のヒットを打った。これが今シーズン最後のヒットだった。
9月28日、今シーズンのラストゲームで、2年連続の最下位は決まっていたが、この試合でもイチローは手を抜く事無く、全力でプレーに打ち込んだ。ライトへの大飛球をフェンスにぶつかりながらも好捕した。危険を顧みないプレーはイチローの人間性を表していた。そして2011年のシーズンは終わった。
ゲームセットの瞬間のイチローの気持ちは、肩の荷が降りた様に晴れやかだった。それは10年連続で続けて来た記録に区切りがついた事実に、安堵感と爽快感が有った。200安打は特別な数字で、10年間特別な事を重ねて来た。特別なことだから続けて結果を出したかった。自分が大好きな野球をやっている。好きだから苦しいし、悩みも有り、しんどいが幸せな事だと思う。
2011年は、安打数 184安打。  打率 2割7分2厘。
シーズン終えてウェッジ監督の話しによると、200安打を達成する事の難しさをもっと皆さんに理解してほしい。今年は少し届かなかったが、ヒット数ではリーグ9位だった。これでも充分凄い成績なのだ。だから200安打を10年も続けた事は、とてつもない数字だ。記録は途切れたがタイトルは色褪せる事は無い。と話した。
今まで経験の無い長いスランプの原因を決して話そうとはしなかった。
200安打を達成していた時は、打てた要因を語ったが、結果が出て居ても出なくてもそれなりの批判はある。どちらにしても批判が出るのであれば、結果を出した方が良い。
不調の今年はネガティブな意見が多かったのでストレスになったが、同情されると辛い。「今シーズンは駄目だったネ」と言われた方が気楽に成る。イチローの繊細な考えが表されているが、内心は我々が想像する以上に葛藤が有ったと推測される。
来シーズンに目指す事は?とのインタビューに・・・・・・・34年前、王貞治選手がハンクアーロンの持つホームラン記録を抜き、756号を打ち両手を上げダイアモンドを回っている時、37歳の張本選手がその横後ろで、歓喜に満ちて考えられない、今までに無い大ジャンプを行っている。他人の事なのに自分が記録を作った様に喜ぶ、その素晴らしい姿が忘れられない。来年は仲間と喜び合える良い年にしたいと願っていた。
シーズンが終わり、シアトルで走り込みを続けている。体が走りたがり、走りだすとその衝動に駆られて、どんどん走り、止まらなくなるので割ときついと漏らした。来年こそ今年を上回らないと、無責任な批判が増える事だろう。今までにない真剣勝負の年となりそうだ!。
 
 
 

 2009年のイチロー

 
  2009年のイチローはWBCから始まった。野球ファンはオリンピックで日本チームが予想外の結果に終わった事に相当の落胆と、日本野球が世界ではどれほどのランクに入るのか?不信感を持っていた。前回のWBCでは、一時は優勝も諦めていたものが、ラッキーも重なり優勝出来た。今回は本当の実力で世界の頂点を極めてもらいたいと、誰もが熱望したのでした。
WBCでのイチローは、相当の決意を持ち国の誇りを賭けた試合のチームのリーダーとしての牽引役をしていたが、その想いとは裏腹に結果は思わしく無かった。2割そこそこの打率は天才打者イチローには似つかない不本意なものだった。しかし生まれながらの強運の持ち主に、女神は最後にして最大の試練の場を用意していた。それは韓国戦での延長10回表だった。汚名返上なるか、或いは奈落の底へ沈むのか、2ストライクと追い込まれながら、ファールで粘り8球目をセンター前にヒットして2者が帰り5:3とし、ダルビッシュがその裏を抑えた。イチローのヒットが決勝点となり、日本チームは前回に続き2回連続優勝を果たした。
ここでも、もし延長に成らなければイチローは沈んだままだったが、最後の最後で与えられたチャンスを生かし、そして自分も生きた。この極度に緊張した場面でイチローはそれなりの克服法を見出していた。それは自分の事をイメージしながら実況放送を試みていた。自分が第三者になり自分を見つめ、緊張感を和らげていたのだ。
イチローも人間で、緊張した場面になると、血の気が引き、脈が速くなり、吐き気までもようすと告白している。WBCでの最終打席で結果を出したことにより、その経験が9年連続200本安打達成の布石となったのでした。

2009年のイチローの最大の目標は、9年連続200本安打を達成することに有り、その過程で、日本の最多安打を更新し、大リーガーだけの2,000本安打も達成出来るが、WBCでの疲れと緊張から、3月30日、突然の目まいに見舞われ、開幕から8試合を胃潰瘍の為、15日間の故障者リストに初めて入り欠場した。200本安打を目指すイチローにとって8試合の欠場は大きな出遅れと成るのは必至である。しかしイチローがWBCの疲れを残したまま、ゲームに望むよりもリフレッシュしたほうが良いのと、毎年開幕当初の出足は必ずしも良くない。安打数が少ないので影響は少ないのではないかと考えられた。心身共にリセットしたほうが集中力も増すので、マイナス要素には成らないと思われた。
 
  イチローの開幕戦は、4月15日だった。自分ではその前から参戦したかったが、球団の要請で15日まで静養した。今年は新記録達成の為に、昨年日本から5台のトレーニングマシンを取り寄せた。これは強固な筋力を付ける為のものではなく、柔らかでしなやかな体を作るための特殊なマシンでした。
開幕戦はヒットと、ホームランで快調な出足だった。イチローは打率を意識するより安打数に重点を置いている。安打は打つことにより必ず数字は上昇し減ることは無く、打席に立つ事が楽しみになる。しかし打率は打たなければ減少する。安打は減らないからプレッシャーが少ないと計算している。打率が下がれば当然その事に注意が傾き、守備や打席で余分な事を考え、悪影響が出るので安打に重点を置くのだ。そして内野安打が多いことについて、フルスイングしてボールの上を微かに擦り、バットにボールが当たった時には走り出している。野手が捕る前に半分以上走り、捕球した野手にプレッシャーをかけ、1塁手が捕球した時にはベースを駆け抜けているのだ。1塁までは約3.7秒で駆け抜けるので、1歩の違いがアウトになるか、セーフになるかの分岐なのです。イチローの内野フライは極端に少ないのは、フライでは必ずアウトに成るので、バットコントロールと俊足でボールを転がしヒットを量産している。詰まった打球を見て、ラッキーなヒットだと思われているが故意に詰まらせているのです。これがイチロー独特の安打と言われる所以なのです。
安打に重点を置くイチローは4球が首位打者のマウアーに比べて半分程しかない。それはボールを見極める目が無いのではなく、打ちに行くから安打の割りに打率は低いのである。打率を上げるには4球を選ぶ事は必須なのです。
昨年は、チームが最下位になり、チームメートとの仲に軋轢が有ると報道されもした。記録を狙うイチローは、怪我を恐れて、取れる球でも取らず、危険な盗塁もしなく自己中心的なプレーをし、チームメイトもイチローを嫌っていると言うものでした。
しかし今年は監督がドン・ワカマツになり、チームメイトにイチローの事を誤解しているので、理解して欲しいと懸命に説得した。そして10年ぶりにマリナーズに復帰した、通算本塁打現役最多数記録保持者のケン・グリフィーjrがチームのリーダー格になり、イチローとじゃれあい孤立を解消し、チームを明るくする振る舞いを怠らなかった。この明るい雰囲気はイチローの記録更新に大いに貢献したと思われる。
その後、ヒット数も順調に伸ばし、148本目はダイリーガー入りしてから初めてのサヨナラヒットを放った。今までイチローにサヨナラヒットが無いと言うことは信じられない事だった。
8月23日、インディアンス戦で、200本まで残り16本とした日、内野ゴロで1塁へ向かう3歩目に左フクラハギに違和感を覚え途中交代した。116試合に出場した疲労と診断されたが、筋肉の疲労で怪我をしたのは初めての事だった。
 
  怪我をしてから9日目に復帰したが、体調は今一完全ではなかった。しかし痛い足をカバーしながら、185本目を放った。195本目は大リーグ2,000本安打で残り5本で200本になる。
9月13日ダブルヘッダーのレンジャーズ戦でショートゴロが内野安打となり、108年ぶり9年連続200安打で新記録を達成した。この安打もイチローらしいヒットだった。108年前のウィリー・キーラーの記録を破り、200本安打を打ちピリオドを打ったことに開放感を感じ、人との競争からも開放されたそうです。

何故、新記録を達成出来たかは、まず、野球が好きな事と、今の自分を作り上げ、理想とする業を追い求める飽くなき探求が、気力体力を充実させたこと、そして怪我や病気で欠場する事無くゲームに出場出来た事だ。スランプは誰でも有るが、納得しない時は、モニタールームで徹底的に自分のフォームを解析する野球一筋の生活が出来ることだろう。
今年は、WBCの最終打席で人生最大の試練を味わい、その結果を200本安打の礎とした。あの場面のプレッシャーを克服したことで、恐れるものは無くなったのではないかと思われる。
今年のイチローは、大リーグ初めての出来事が幾つかあった。初めてのDL入りで開幕戦欠場、サヨナラヒット、筋肉疲労で怪我、ストライクと判定されベースをバットでなぞり、審判に対する侮辱行為とみなされ退場処分。新記録は日本プロ野球最多安打、3,082をクリアし、大リーグ通算2,000本安打(史上最速)、9年連続200本安打。賞としては、ゴールドグラブ賞、シルバースラッガー賞、当然のように受賞している。しかし記録や賞等は野球選手が一生かかっても何も取れない選手が殆どだと思う。記録を塗り替えたり、受賞する事はいかに困難なことか思い知らされる。その事からもイチローの偉大さは比類の無いものなのかもしれない。
今後のイチローは加齢と戦わなければならない宿命にある。いかに頑強なスポーツ選手でも加齢による筋力の衰えはカバー出来るものではない。現に今年のイチローにも今までに無い体の故障が出てきている。しかし、目標は幾つか有る。10年連続200本安打、4割打者、年間最多安打、メジャーのマウンドに立つ事等無限の夢に挑戦するイチローを心から応援したい。
 
 
  イチロー世紀の記録
         9年連続200本以上
108年ぶり大リーグ新記録!
 
     
   2009年9月13日、テキサス州で行われたレンジャーズ戦のダブルヘッダー第二試合。2回2死三塁で迎えた第二打席に、先発左腕のホランドに2ストライクと追い込まれ、3球目を緩いショート前の内野安打で200本目の安打を放ち108年ぶりに大リーグ新記録を樹立する偉業を成し遂げた。世界の野球ファンを筆頭にこの出来ごとに悲喜交々だったと推察される。
今年のイチローの出足は最悪だったと言える。第二回WBCでは優勝することへの拘りと、自分の戦績がおもわしくなく、韓国の最終戦の最終打席でヤットイチローらしさが出ただけだった。その戦績の葛藤から、胃潰瘍を患い、開幕から8試合を初の故障者として扱われ、9試合目からの出場だった。
この事から、最初からハンディを背負い、新記録へのプレッシャー、それに初めての故障者リスト入り、年齢的なもの等、マイナス要素は山積していた。
そんなイチローの開幕戦は、4月15日だった。この日の最初の打席は、センター前クリーンヒットで始まり、第二打席はホームランという、花々しい開幕戦だった。
次の16日には、ライト前ヒットを放ち、日米通算3086安打で日本新記録を、日本の記録保持者張本氏が観戦する前で達成した。この記録はイチローにとって通過点に過ぎず、目標はあくまでも9年連続の200本安打以上である。
7月14日は、9年連続オールスター戦に出場し、そこでアメリカ大統領のオバマ氏と会談し、まるで少年の様にはにかみ照れていた映像は印象に残った。
7月28日には、メジャー初のさよならヒットを打った。大リーガに9年も在籍していて初めてのサヨナラヒットと言うのは信じられない!サプライズだ。
7月までは3割3分6厘で順調な成績で有る。これは開幕から8試合出場出来ない事で、WBCの疲れも充分取れたのではないかと推察される。もし開幕戦から出ていたら、疲れが残りヒットを量産する事が出来なかったかも知れない。
 
   
   しかし、8月も下旬に入り、イチローに変調が現れた。それは左ふくらはぎの違和感だった。その為8月24日から31日までの8試合を欠場せざるを得なかった。
この時も、加齢による体力の衰えが表面化したのではないかと危惧されました。
欠場明けの9月1日の安打数は185本でした。残り15本は問題なくクリアー出来る事は確実で、それが何時に成るかだけでした。
9月6日には、アスレチックスのゴンザレスからアメリカだけでの2,000本安打を達成した。アメリカだけで2,000本以上打った選手は259人もいる。日米通算3,278安打のイチローは、今後アメリカだけの3,000本安打に挑戦するのですが、大リーガーでは過去27人しかいない大記録なのです。
イチローは現在36歳(10月22日)に成ってしまった。年間200安打する事は次第に困難になると予想される。気力だけでは体力をカバー出来ない。だが不可能な数字では無いと思われる。イチローは勤勉で真面目である。旺盛な研究力と5,000万円ともいわれるトレーニングマシンで体力維持を図るだろう。
ピートローズは45歳まで現役で4,256本を打った。そして現在のイチローの年齢の36歳から引退するまで1,494安打している。この記録を目標とし又、励みとし邁進して頂きたい。
9月13日、その時は来た!。レンジャーズ戦のダブルヘッダー第二試合の2回、2死3塁。先発左腕ホランドに2ストライクと追い込まれ、3球目をたたき、緩いショートゴロで内野安打。このイチローらしいヒットで9年連続200本安打の新記録を樹立したのです。8年間連続200安打記録を持っていたウィリー・キーラー(オリオールズ)を抜いた瞬間だった。
この大記録の前にはイチローも相当のプレッシャーを感じていた。それを証拠に直前のエンゼルス戦では14打数1安打の絶不調だった。この日イチローは200本安打を達成するまでコメントしないと伝えていた。
新記録を達成した後のコメントでは、「記録との戦いが終わり解放感に浸っている。」と言っていることから、皆に注目され、期待され、新記録達成しなければならない使命感は、昨年から感じていたに違いない。1年間もその緊張を持続する精神力は他に類を見ない強靭なものが有るように感じた。
 
   
   オリックス時代の年度別安打数と試合数
 年度  安打数  試合数
 1992   24  40
   93 12   43
   94  210  130
   95  179  130
   96  193  130
   97  185  135
   98  181  135
   99  141  103
 2000  153  105
日本通算  1278  951 
 
マリナーズでの年度別安打数と試合数 
年度  安打数  試合数 
2001  242  157 
02  208  157 
03  212  159 
04  262  161 
05  206  162 
06  224  161 
07  238  161 
08  213  162 
09  225  146 
米国通算  2030  1426 
日米通算  3308  2377 
 
   
   2009年もイチローには新記録や初体験が有った。
その記録と初体験は・・・・・
  @ WBCでは2回連続の優勝。
  A 開幕から8試合胃潰瘍で戦線離脱。
  B 日米通算安打で張本氏を超え新記録。
  C 左ふくらはぎの故障で8試合欠場。
  D MLBで2,000本安打達成。
  E 初のサヨナラ安打。
  F 退場初経験。 
   
   今後イチローの目指すものは何か?まず36歳の体の健全な事が第一条件だと思われる。そして狙うものは、当然10年連続の200安打だろう。そして4割打者に成る事なのだが、安打数に主眼を置いた場合、4割打者は至難の技に成る。今年もツインズのマウワーは3割6分5厘で首位打者を取った。マウワーはイチローより安打数は少ないにも関わらず、打率はイチローの3割5分2厘よりも1分3厘上で有る。それはマウワーの四球が76でイチローは32である。マウワーの四球はイチローの2倍以上なのだ。イチローは打席に立つと打つ事を心がけ、四球で出塁する事を考えていない。イチローの独自の広いストライクゾーンを持っていて、ショートバウンドするような低い球でもバットに当てる事が出来る、天性のバッティングセンスを持っている。4割打者を狙うならストライクだけを打ち、ボールは見逃してフォアボールを稼ぐぶべきである。しかし安打数は減る。両刃の剣なのだ。どちらを選択するかはイチロー自身が決める事だ。
後はアメリカのみで3,000本安打を放つ事だろう。これにはまだ数年以上の長い期間を必要とする。
レッズのピート・ローズは4,256安打しているが、39歳以降は年間200本以上打って居ないのだ。この事からイチローの体調管理が相当のウエイトを占める事は確実だ。しかしイチローはファンの期待に何時も答えてくれた。ファンは気楽に記録を望むが、当人は年齢の壁との戦いを克服しなければ成らない事だろう。
一つ、イチローと他の打者との違いは、内野安打が3割以上有る事だ。緩い打球とか高く跳ね上がって野手が取るまでの時間を長引かせ、擦るようなバッティングでヒットを稼げる事だ。この打法は力を使う事が無いので、脚力さえ衰えなければ記録更新は可能な事と確信する。
ピート・ローズは36歳以降1,494安打している。
来年も日本のプロ野球や、メジャーに注目し応援したいものです。
 
   
イチローと第二回WBC・・・・・とは
WBC一次ラウンドは3月5日の中国戦から開始された。日本では視聴率が40%を越えた試合も有ったのですが、開催地のアメリカでの平均視聴率は1.3%と想像を絶する数字で、最高視聴率は日本と米国の準決勝で2.2%と殆ど意識されていない現状でした。米国民はWBCに対して重きを置いていないらしい事が伺えました。日本は前回のWBCでラッキーな優勝を果たし、今回も優勝を取りに行き国を挙げての応援へと加熱していた。選抜された25人のメンバーの中でも群を抜いて注目されたのがチームリーダーのイチローでした。
大リーグでも活躍し、数々の新記録を樹立している素晴らしい実績が有るイチローに対する期待は無限に広がっていたのでした。しかし強化試合で3番を打っていたが、結果が出ないのでWBCでは1番を打つことに成りました。
1次ラウンドの中国戦では4対0で勝ったものの、イチローは5打数ノーヒットだった。期待が大きいだけに結果に落胆したファンも多かった。昨年もメジャーリーグが開幕しても出足は不調で、年齢による体力の衰えを危惧しました。どんな強屈なアスリートでも万人が克服する事が不可能な年齢的な衰えは、イチローも人間ですから気力でカバーしても、体力の衰えは確実に進行しているので、カバーする事は出来ない事なのだろうと勝手に思い、「今年は200本安打を達成出来るかどうか?」不安でした。体調維持に並々ならぬ労力を惜しまないイチローも年齢から来る衰えは確実に来ていると思いましたが、終ってみると200本安打は達成していた。ただ出足が悪かっただけなのでした。
WBCは3月に行われるので、早い時期に体調をピークにするには困難極まりないと思える。何十年もの間続けて来た生活習慣を変えなければ成らないからです。しかしWBCに参加する選手は皆さんが同じ条件なので、その事に関して逃げは許されないだろう。
3月7日、二戦目の宿敵韓国戦では3連続安打して、5打数3安打。14対2の7回コールドゲームで快勝した。3安打したイチローを見て誰もが完全に復活したと、イチローの評価は上がったと共にイチロー自身も手応えを感じただろう。
3戦目の韓国戦では4打数1安打で欲しい得点圏にランナーを置いても返す事が出来ず、0対1で完封負けだった。今後韓国との対戦はまだあるので苦手意識は払拭したいものだ。
1次ラウンドを二位で通過した”侍ジャパン”は2次ラウンド。3月15日にキューバと対戦した。相手ピッチャーは160kmを越える超高速球の持ち主でしたが、自滅して6対0での快勝だった。イチローは5打数ノーヒット。次の韓国戦は1対4で負。この韓国戦でも4打数ノーヒットと、2試合連続9打数ノーヒット。ファンはイチローに腹立しいのと、使い続ける事に不審感が有ったのですが、WBC開幕前からテンションを上げていたチームリーダーを、無下に外す事はチームにとって崩壊を暗示していた。それをチームメイトは分かっていたから口にする事は出来ないだろう。不振に喘ぎながらイチロー自身が焦りと苦しみで葛藤の連続だったと思われる。韓国に連敗した事は、日本野球は韓国より下位だという位置づけを確定したようなものだった。

17日に3回目の韓国戦で1対4と韓国に敗れた、その結果17、18、19日と三連戦になり心身ともに疲労が懸念された、17日に韓国に敗れた結果が強行スケジュールになることを余儀なくされたのだ。18日のキューバ戦に勝てば又、4回目の韓国戦です。キューバには5対0で勝ち、キューバには2戦とも得点されていない。日本がキューバと対戦しているこの日は、韓国チームは試合が無く休みでした。前日韓国に敗れ傷心の日本チームはキューバに完封勝利した事で気分転換になり、明日の韓国戦に最高の気分で試合をする事が出来る。この組み合わせは日本にとってラッキーだった。1勝2敗と負け越している韓国に負ければ1勝3敗になるのでこれだけは許す事が出来ない。キューバ戦のイチローは4打席目と5打席目にヒットを打った。2連続ヒットに今度こそ本物だと思いつつも、本当に本物だろうかという一抹の不安もあった。

4度目の韓国戦は6対2と勝ち、韓国との対戦成績を2勝2敗とした。17日からの3連戦(韓国、キューバ、韓国)でイチローは14打数3安打。韓国戦の2試合は9打数1安打でイチローが最も敵視している韓国からは「イチローは絶不調でおそるるに足りず」というレッテルを貼られた。ここで優勝決定戦での奇跡のドラマの伏線が出来ていたのだ。
22日、準決勝は米国だった。9対4で勝ち明日は先に決勝進出を決めている韓国との決勝戦だ。米国戦でイチローの戦績は、5打数1安打。今まで8試合の成績は38打数8安打、打率2割1分1厘。惨憺たる成績である。この2連戦は日本チームに好影響を与えた。日本は米国に勝って意気揚々と決勝戦に望める。それに反し韓国は休みになっているので、今一気合が入らないと見ていた。お互いに負けられない意地の衝突だ。世界で死んでも負けたくない相手だと互いに遺恨を持っている。特にイチローは信じられない程の悪辣な批評をしている。第一回のWBCで韓国に負けた時、人生で最大の屈辱的な日だ、とか韓国に向こう30年間日本には勝てないと意識させる等、韓国メディアや国民を相当怒らせている。イチローだけには打たせないと韓国チームは情け容赦なく襲い掛かる事だろう。
決勝戦は先取点を取るも韓国に追いつかれ、内容のある緊迫したゲームだ。9回で3対2と1点リードで押さえに藤川でなくダルビッシュを起用した。韓国はピンチヒッターを送るも空振りの三振で1ナウト。優勝が近付いた。しかし3番と4番を連続4球で1ナウト1塁2塁、何とかゲッツーで終って欲しいと手に汗がにじむ。そして5番を空振り三振。2アウトになりこれで確実に勝ったと日本のファンはほくそ笑んだ。しかし6番の選手に甘く入ったスライダーを三遊間にヒットされた。ファン皆が同点にされた事に血の気が引いた。優勝どころかサヨナラ負けの危機になったが、7番打者を空振りの三振に打ち取った。しかし後攻の韓国有利で日本は敗戦濃厚になった。ダルビッシュはアウトの全てを三振で打ち取った。この結果押さえは藤川だったら優勝していたかも知れないと嘆いた。今大会2回目の延長戦になった。10回表ここで気を取り直し得点しなければ勝ちは無い。

10回表、6番の内川がライト前にヒットし、ノーアウト1塁。次の打者の稲葉がバントで送り、1ナウト2塁、岩村がレフと前ヒットで1ナウト1,3塁となり得点のチャンスが大きく膨らんだ。原監督はここでピンチヒッター川崎を送ったが初球を打ちショートフライ、せめて外野フライを打って欲しかった。2アウト1、3塁、ここで今日5打数3安打のイチローだ。日本国民はイチローに全幅の信頼をこのチャンスに掛けた。しかし2球目1塁ランナーの岩村が2塁へ盗塁した。1塁が空いてしまった。韓国ピッチャーはイチローと勝負する必要は無く4球で歩かせても良かった。だが韓国は日本に屈する事は最大の屈辱としている。ましてイチローには激しい敵対心がある。そのイチローを歩かせれば日本に屈した事に成るし、イチローを歩かせれば実績を認めて頭を下げた事になる。イチローを打ち取ってこそ韓国の実力なのだ。韓国野球は日本に勝つことを史上の使命とし、勝負に対する気迫は世界一強く持っている。歩かせる事などプライドが許さない。ピッチャーは2ストライク1ボールとイチローを追い込んだ。後はストライクは必要ない。きわどいボール球を空振か内野ゴロを打たせれば良いのだ。4球目をファールした。5球目はワンバウンドしそうな低いボールだったが、これをファールにした。普通の打者なら三振していただろうが天才打者イチローは極限の集中力でこの球をバットに当てた。この5球目が勝負を分ける天国と地獄になった。6球目は高目の球をファールし、7球目はボールを選んだ。カウントは2エンド2。運命の8球目は真中ややアウトコース寄りの玉をピッチャーの頭上を越えてセンター前へヒットした。2者が生還し5−3と勝ち越した。もし9回で日本が勝っていたならイチローの評価は普通か期待ほど働かなかったで終ったと思う。この千載一遇のチャンスに世界一の働きをする強運は、持って生まれたものかも知れない。誰よりもイチロー自身が溜飲を下げ、面目躍如だった。韓国は素直に野球をしてイチローを敬遠していたなら負けは無かったかも知れない。国のプライドと日本に対する敵対心が本来の勝負を見誤ったのだ。意地や根性は必要かも知れないが、柔良く剛を制すの諺も有るように戦いのセオリーを使い分ければ、不動の世界一の韓国野球も近い将来実現すると期待したいものです。

WBCのイチローの打率は44打数12安打・・・2割7分3厘。 イチローには3割3分以上を求めたい。4月2日,イチローはWBCの後遺症なのかめまいがすると休養を取ったとか。”侍ジャパン”有り難う。イチローも御苦労様でした。4月4日、胃潰瘍を発病し開幕から8試合は出場不可能との情報が入った。9年連続200本安打記録を目指しているイチローにとって、8試合は大きなハンディになる事は間違いない。しかし今まで何度と無く苦境を克服してきたイチローは、逆境をはね返して記録達成をしてくれる事と期待している。

イチローの今大会成績。
月、日 ラウンド 相手 結果 打、 安、 点         打席結果
 1   2    3    4    5    6
3.5
  7
  9
1次R

中国
韓国
韓国
4−0
14−2
0−1
 5  0  0
 5  3  0
 4  1  0
一ゴ  三ゴ  二ゴ  遊ゴ  二飛
右安 投安  中安 三振  中飛
二ゴ  一ゴ  投ゴ  
中安  
15
17
18
19
2次R


キューバ
韓国
キューバ
韓国
6−0
1−4
5−0
6−2
 5  0  1
 4  0  1
 5  2  0
 5  1  0
遊ゴ  投ゴ  二ゴ  三振  左飛
二ゴ  三ゴ  二ゴ  捕邪
二ゴ  遊ゴ  三飛  
右安  中3
中飛  一ゴ  右飛  中飛  
中2
22 準決勝 米国 9−4  5  1  1 二ゴ  三失  三ゴ  一ゴ  右安
23 決勝 韓国 5−3  6  4  2 中安  一ゴ  二ゴ  三安  右2  中安
9試合 44 12 5 打率. 273

2007年9月29日、最後の試合である161試合目の守備についたイチローは覇気が無く、眼には一杯涙をためていた。この最終戦まで首位打者に意欲を燃やしていたのですが、3打数ノーヒットで3割5分1厘、首位のオルドニェス(ニューヨークメッツ)は3割6分3厘で大差をつけられた。過去2001年以降、3割5分台でリーグ首位打者を逃した事はなかった。しかし、オルドニェスは好調と幸運が作用して素晴らしい成績でシーズンを終えたのだ。
守備位置につき傍目には悟られないように涙したイチローにもプレッシャーは有ったのだ。今までのプレッシャー克服とは違った捕らえ方で、2007年はゲームを消化した。プレッシャーから逃げるのではなく、自分から進んで自己プレッシャーをかけた。この方法により動悸や吐き気からは多少開放されるように成りつつある。光明を見出そうとする無限のチャレンジシップは偉大な記録を今後も更新していくと思われます。

 

イチローはシアトル(本拠地セーフコフィールド)に妻の弓子さんと柴犬の一弓(イッキュウ)イチローのイチと弓子さんの弓から名前を付けた。2人と1匹暮らしです。ここで驚く事はメジャーに移籍してから7年間、朝食は弓子夫人手作りのカレーを食べ続けている。それもカツカレー等のカレーでなくシンプルなものを好み、弓子さんはカレーを好むイチローにカレーを飽きさせない味作りをしていると言う。弓子さん自体は余りカレーを食べていないそうです。
毎日食べるカレーをその都度作るのは大変なので、遠征から帰って来る時に沢山作り1回分ずつに分けて冷凍保存しておきます。余暇の過ごし方としては、DVDを見るのですが、好きなDVDは”白い巨塔”で変人の片鱗を見せています。

 

7年連続200本以上のヒットを打ち続けるイチローは、毎年バッティングホォームを変えている。ホォームを変えながら好成績を残す技は並大抵のものではない。ホォームを変えるのは大博打に匹敵する様に思える。それは今まで築き上げてきたバッティングフォームを破棄して、一からの模索は成功を約束されたものでは無いからです。その難関を克服して成績を落とさず持続しているのは天性の才能と肉体、怠らぬ努力と探究心は他を寄せ付けない卓越したものを持ち合わせていると考えられます。そして徹底した強い拘りが彼の自信ともなっている。まず、限界にまで細く削られたバットは操作性を考慮している。それに他人のバットやグローブを絶対に触らない。その理由は、イチローの手に他人のバットの重さが残ったり、グローブの形が残るとバッティングが狂ったり、守備に誤りが生じるのを徹底的に嫌うからです。
試合中もイチローの拘りが有る。まずベンチでは真ん中より少し右に座りピッチャーを観察し続ける。8番バッターに打席が回ると準備に取り掛かります。バットを体に同化させる様にゆっくりと太腿にこすり付ける。そしてバッターボックスに入るのですが、イチローがバッターボックスに入って行う事は、足の位置を決め、バットを右手で狙いを定める様に垂直に立て、目の焦点をバットの先端に合わせ、その視線がピッチャーに移った時集中力は極限に達するのです。

 

攻・走・守共に三拍子揃ったトッププレイヤーは希少ですが、その中でも抜群の技を披露するイチローは、スパイクにも拘りをもっている。超軽量スパイクを使用している為、消耗が非常に早い。ロッカールームで一番場所を取っているのが、スパイクなのです。自分の技能を充分に発揮する為には、それなりの道具を選ぶことも大切なのです。

 

ピッチャーの投げた球がホームベース上を通過する時間は僅か0.4秒なので、普通のバッターは予測をしながら甘い失投を待ちますが、イチローは相手ピッチャーが得意とする難しいボールを待ちます。ここにも職人としての拘りを発揮していて、高度な技術を駆使するバッティングを美学としているからです。
常に一歩先の技術を追い求め、完璧に向かって脱皮し続ける天才も、数字を意識する事が有る。毎年200本以上のヒットを打ち続ける過程で、その本数が170本になるとプレッシャーを感じるという。毎年この数字の前後にヒットが出ず、これを克服する為に縁起を担ぐ行動が有る。それはダッグアウトからフィールドに上って行く5段程の階段だ。最初は左足から上る。ヒットが出ない時は右足に変える、ヒットが出ると又左足としているが、時に混乱する時が有ると、元に戻り足の左右を決める。

 

今後イチローに期待するものは、連続200本以上の安打は勿論の事、夢の”4割打者”だ。大リーグ野球140年程の歴史で4割打者は25人記録されている。アメリカン・リーグではタイ・カップが3回、ナショナル・リーグではロジャース・ホーンスビーが3回で、最後の4割打者は1941年デッド・ウイリアムズ(ボストン・レッドソックス)の4割6厘である。
野球ファンはイチローの4割打者を期待しているし、出来る可能性が最も高い一人であろう。イチローはオリックス時代に回りからの過剰期待に精神的な閉塞に陥った事が有る。我々も期待はするが露骨な期待は彼にとって有利には作用しないので、静かに見守りたいものです。

 
イチローにとってプロフェッショナルとは・・・・・
 に返って来た言葉は。    ファンを圧倒し、  選手を圧倒し、  圧倒的な結果を残す
  

2007年オールスター MVP

3度の危機を乗り越えて!

毎年1回しか行われない大リーグ夢の球宴78回オールスターゲームは、サンフランシスコジャイアンツの本拠地であるAT&Tパークで開催されました。このAT&Tパークは、海沿いに造られた球場で、場外ホームランを打つと海へ入ってしまいます。海に叩き込んだホームランをスプラッシュヒットとしてカウントされている。このスプラッシュヒットは地元サンフランシスコの選手のみで現在44本が海に入ったホームランです。
外野の複雑奇妙なフェンスは大リーグで最も特殊な形態をしていることで有名です。今年のオールスター出場者は64人で30球団から選抜され、日本人はイチロー(マリナーズ)、斉藤(ドジャース)、それに出場枠最後の1人として岡島(レッドソックス)の3人が選ばれた。イチローは2001年から今年まで7年連続の出場で、過去のオールスターでのイチローの成績は1試合2安打した事が無いと言う現状でした。

 

このオールスターでもアメリカンリーグの1番として起用されていた。
1回表、ナショナルリーグのピッチャはジェイク・ピービー(サンディゴ・パドレス)昨年は11勝14敗、防御率4.09。1球目は外角へボール、2球目は低めの玉を強烈にはじき返し1,2塁間のシングルヒット。しかし、2番ジータはショートゴロのダブルプレーでイチローは盗塁も出来ず、3番打者がエラーで出るも1回表は終る。その裏ナショナルリーグに1点を先取された。

 

3回表、2打席目は2アウトで、ピッチャーはミルウォーキーブレーブスのベン・シーツ、このピッチャーは先月(6月)6試合に先発して5勝負けなし、防御率2,16、 カウント2エンド2から外角低めのボールをバットを投げ出す様に打ったボールはショートの頭を超えるラッキーなヒット(狙い撃ちだったのか?)これでイチローがオールスターで2安打した事は自身の新記録となった。その後2アウト1・2塁としたが得点出来ず。

 

5回表、1:0と1点負けている。相手のピッチャーは2m8cmの大男、サンディゴ・パドレスのクリス・ヤング投手、ここまでの今年の戦績は9勝3敗、防御率1,82の素晴らしい活躍をしている。そのC・ヤング投手からブライアンロバーツ(オリオールズ)はフォアボールを選びノーアウトランナー1塁、ここでイチローに1回目の危機が有った。

 

それはイチローが2打数1安打で有れば、当然の様に交代というのが大リーガーの常識なのですが、この日は2打席連続安打だった為、ラッキーにも打席に入れました。
前の打者がセンターフライに終わり、1ナウト1塁で3打席目のバッターボックスに入る。ヤング投手は1塁ランナーの盗塁を気にして2球のけん制球を投げた後の1球目、内角やや低めのボールをしなやかにジャストミートするとライト方向へ打球はグングン伸びて、ホームランかとイチロー自身も思い余裕のスタートで早くなかった。が残念ながらホームランにならず、奇妙に並べられた右中間フェンスの窪みに当たった。ライトはクッションボールを予測してセンター方向へ全力疾走していたが、当たったボールはライトが予測したものとは正反対のライトライン側に勢い良く弾んでしまった。これを見たイチローは俊足を飛ばして2塁から3塁へと進んで行く。同点のランナーがホームを踏み、そして打者走者のイチローが余裕を持って逆転の2点目のホームを踏んだ。

 

この時点でランニングホームランが確定した。
ランニングホームランは、オールスター史上初めての記録で、イチロー自身も始めての事でした。5回の表は2点ホームランの2:1の逆転で終わりイチローはこの回で交代した。MVPは勝利したチームの選手に与えられるもので、負けたチームの選手がそれ以上の活躍をしても与えられないのだ。この時点でイチローのMVPは可也有力になっていた。

 

6回裏、先頭打者のカルロス・ベルトラン(メッツ)はライトへイチローと同じ大きな当たりでフェンスを直撃したがクッションボールが真っ直ぐ跳ね返った為3塁打となった。ここでもしクッションボールの弾みが変化していたらランニングホームランになっていた。このクッションボールの行方がイチローの2回目の危機だった。
ノーアウト3塁の時点で、岡島がウォーミングアップを始めた。ノーアウト3塁で1点を取られたものの、後続を絶ったので岡島の登板はなかった。この時点でアメリカンリーグが3:2と1点のリードになる。

 

7回表、ナショナルリーグのピッチャーとして斉藤投手が登板した。1人目の打者をセカンドゴロ、2人目の打者を痛烈なファーストライナー、3人目の打者を浅いレフトフライに打ち取り完璧なピッチングだった。

 

9回裏、アメリカンリーグが5:2とリードしていた。このまま終ればイチローのMVPは濃厚なものとなる。
ピッチャーはイチロー選手のチームメイトであるJ・J・プッツ投手。1人目の打者を空振りの三振にしてワンナウト。2人目をショートフライに打ち取り簡単に2アウト。ここでイチローに3回目の危機が迫るのである。
3人目の打者ヤングはショートゴロで試合終了かと思われたが、ショート、ロベルトのエラーでランナー1塁、次の打者ソリアーノに2ランホームランを打たれ、5:4とい1点差に迫られた。その後ピッチャーを交代させるも3つのフォアボールで2アウト満塁になった。9回裏だけにヒットが出ればサヨナラゲームでイチローのMVPも無くなってしまう。ピッチャーはエンゼルスのフランシスコ・ロドリゲス、打者はフィリーズのアーロン・ローワイド、外角高目の球をライトへ高く上がったが伸びなく、ライトフライに終わり逆転ならずでアメリカンリーグの勝利となった。これでアメリカンリーグは引き分けを挟んで10連勝。この試合のキーポイトは”ライト”にあった。イチローのランニングホームランはライトフェンスだったし、6回裏のカルロスの当たりもライトフェンス直撃の3塁打、9回裏のソリアーノの2ランホームランもライト、そして最後のフライもライトに上がり試合終了となったのだ。

 

試合終了後、グランドで選手や関係者が集まり、セグリコミッショナーからイチローがMVPで有ることが発表され、その理由として、3打数3安打2打点それに球宴初のランニングホームランが有った事を紹介され、MVPのトロフィーが贈られた。
その後、インタビュールームでインタビューが行われ、日本人のインタビュアーが、大きなトロフィーを獲得されたのですがと言い終わらないうちに、イチローが言葉をさえぎり「大きくはないですョ、思ったよりも小さい・・・」と発言したが、トロフィーを卑下した様な発言にイチローがMVPを獲得した事に気持ちが高揚し、平常心では無いのではないかと疑った。トロフィーの大小でなく、そのトロフィーの意義は野球選手が願っても叶えられない大きな勲章で有る事を、暗に表現して欲しかった。それとも偉大な勲章が授与された事を不相応に感じた謙遜とテレが有ったのだろうか?
兎に角、イチローに又一つ大きな勲章が増えたのだ。このオールスターは初めて楽しかったと振り返っていた。

 

2006年12月23日
イチロー選手の出身地である愛知県豊山町の豊山グランドで毎年開催されている軟式野球大会「第十一会イチロー杯争奪学童軟式野球大会」が行われた。
参加チームは愛知、岐阜、三重、長野の四県から過去最多の256チームが参加し、優勝したのは、名古屋ウエスタンズ(名古屋市守山区)、二位真正クラブ(岐阜県本巣市)、3位笠松野球部(同県笠松町)、での閉会式で、今大きな社会問題になっている「いじめ問題」に関して、いじめて居る人、いじめられている人を見たら、「ちょっと一緒に野球をやろうとか一緒に体を動かして遊ぼうよ、」と声を掛けてもらいたいと、この問題に取り組んでいる姿勢を見せていた。

 

WBCでは日本選手の士気を鼓舞する為、寡黙なイチローに不似合いな饒舌に、賛否両論が交錯したものでしたが、これは自分の為でなく日本の野球界とかチームを思うが為の言動と理解したい。この大会で韓国に敗れ、アメリカには審判の疑惑の判定で後味の悪い敗北を喫し、日本チームのナインは憔悴しきっていた時、イチローはバスでナインを焼肉屋に招待し、僅かな可能性でも有れば諦めずに挑戦しょうと士気を高めたと言われている。そして幸運にも恵まれ奇跡の逆転優勝を成し遂げた事は、皆さんの記憶にも鮮明に残っていると思われます。
自分を犠牲にする勇気とやさしさ、それに不言実行に日本人本来の不屈の魂と初心貫徹を目指す強い意志がイチローの体にみなぎっている様に思える。

 

来年から大リーグでプレーする事が確定した松坂投手は、12月9日に渡米する前、イチロー選手と日本で食事をしている。超一流選手は互いに通じるものが有るのでしょうが、イチローを崇拝する松坂もイチローの精神を受け継ぐのは間違いないと考えられる。
日本での初対決では、イチローを三三振に討ち取っているので、来期のアメリカでの初対決はどんな結果になるか楽しみなものです。