名古屋城
        本丸御殿
 
  2009年(平成21年)1月から修復工事に着手していた本丸御殿が、2013年(平成25年)5月29日に玄関と表書院の第一期公開が行われた。400年の時を越えて忠実に復元された現在の匠の技の数々に、4、565人の来場者らは心を奪われた。と言う記事を読んだのが1週間前でした。その時テレビでインタビューに応じていた人が「ヒノキの臭いがする。」と言っていたのが印象的でした。
そして河村名古屋市長が、国重要文化財のふすま絵「竹林豹虎図(ちくりんびょうこず)」の実物を展示する事を強く議会に求め、それが実行された。滅多に見る事が出来ない実物の絵を見るだけでも価値があるし、その他の絵も色鮮やかに復元模写され、その素晴らしさを感じたいと名古屋城に向かいました。
 
 
 
名古屋城入口
 
入城料金表

入場券売り場と入口 
本丸御殿が公開されてから、入場者が昨年同月比の2倍という人気なので、混雑を避けて午後2時頃入城しました。
 
  名古屋城本丸御殿
名古屋城本丸御殿は、尾張藩主の住まいとして、慶長20年(1615)、徳川家康が建てた書院造の建物です。名建築として知られ、戦前には国宝に指定されましたが、昭和20年(1945)5月の空襲で天守とともに焼失してしまいました。天守は昭和34年に鉄骨鉄筋コンクリートで再建されましたが、本丸御殿は長年の間、その復元が待ち望まれていました。
そして、天守再建50年後の平成21年(2009)1月、いよいよ本丸御殿の復元工事に着手しました。焼失前に作成されていた図面や写真資料をもとにした工事で、平成30年の完成を目指し、御殿の入口部分から順次進めています。また、障壁画の復元模写も平成4年から取り組んでいます。復元された木造の建物と障壁画によって、ヒノキの香りが漂う400年前の御殿の姿がよみがえります。
 
 
 
さつき展
 
公開された本丸御殿
 
観覧出入口には案内嬢
 
  本丸御殿の復元方法
本丸御殿の復元にあたっては、主要な木材に木曽檜を使用すると共に、継手・仕口により木材を組み立てる伝統工法を採用しています。また障壁画についても、狩野派の絵師たちが用いた技法や素材を分析し、復元模写により当初の色彩を再現しています。
復元された建物と、色鮮やかな障壁画、そして金色に輝く飾金具があいまって、400年の壮大な空間がよみがえります。
本丸御殿復元の資料
本丸御殿は、将軍のお成御殿(上洛殿)が増築されたあと将軍専用の建物と成り、江戸時代を通じて大切に管理されてきました。明治維新後は国宝となり、精密な実測図面が作成されガラス乾板による写真も多数撮影されました。図面や写真は、第二次世界大戦中には疎開され焼失をまぬがれました。これらの豊富な資料により、今回の本丸御殿は、外観、構造ともに細部まで史実に忠実な復元となっている。
本丸御殿の公開予定
名古屋市では、本丸御殿の復元工事を3期に分けて進めています。平成28年には対面所などが完成し、平成30年には、将軍上洛の際の居館として建てられた上洛殿などのすべての建物が完成する予定です。工事中は復元過程の公開を行います。
 
 
 
本丸御殿の観覧は矢印の方向へ進みます。
2時頃の名古屋市は真夏日に近い高温で、名古屋城の散策には不向きではないかと思われた。正門前の駐車場は30分180円で、空きスペースが割と有ったので、簡単に停める事が出来ました。
正門前で入場券を買い中に入りましたが、本丸御殿が何処に有るか分からず、人が歩いて行く方に付いて直進しました。途中にさつき展に展示されている豪華なさつきが並べられ、見事な造りに見とれながら進みました。すると本丸御殿への案内人が方向を示してくれたので左折して進むと、真新しい明るい本丸御殿が有り、その前で写真撮影したり記念写真を撮っていました。
入口は混雑も無く、靴を脱いで入ります。そして右側にロッカーと下駄箱が有り、ロッカーは荷物などを入れ100円がリターンされます。履物は下駄箱に入れ、靴下を履いている人はスリッパ無しで歩き、素足の人はスリッパを使います。中は撮影自由ですが、フラッシュを使う事は硬く禁じられています。中にはウッカリフラッシュを使用している人も居ましたが、係員に注意されている光景も見受けられました。御殿内の写真はノーフラッシュです。
 
 
本物の「竹林豹虎図」
 
手前のトラの拡大写真
 
奥のトラの拡大写真
  観覧出入口を入り中之口部屋に履物を置き、受付を済ませ行列の後ろにつき左へ曲がると、重要文化財で本物の「竹林豹虎図」が有ります。4枚のうちの2枚がガラスに保護され展示されています。この本物は期間限定で6月9日までの展示です。ここは以外に暗くしてあり、虎の間とも呼ばれた本丸御殿の正式な入り口です。藩主に謁見する者が控える場でもありました。
本丸御殿を訪れた人がまず通され、取り次ぎを待つ建物です。玄関と言えども、一之間は18畳もあり、二之間は28畳で大きな2部屋からなっています。一之間には床も有り、四周の壁や襖には、来訪者を威圧する勇猛な虎や豹が描かれています。
「竹林豹虎図」
江戸時代始め頃、狩野派の絵師、狩野貞信・狩野探幽などによって描かれたもので、虎は戦国時代後期の武将に勇猛さを表すとして尊ばれたそうです。本丸御殿は、日本建築史・絵画史・工芸史上、最も豪壮華麗といわれる安土桃山から江戸期にかけて造営された近世城郭御殿の最高傑作と言われています。
昭和20年5月14日の空襲により本丸御殿は焼失したが、本作品をはじめとする襖絵類は、空襲直前の3月に本丸御殿からはずされ別置されていたため、奇跡的に焼失を免れ、戦後重要文化財に指定された。
 
  滅多に見る事の出来ない本物の重要文化財「竹林豹虎図」を見て、鑑定眼が無い自分には心底感動するものが無かった。贋作も見破れないであろう自分に情けないものを感じた。
 次の玄関の間には一の間と二の間の二室の襖・壁・障子の腰には金地に虎と豹が描かれています。なかでも一之間の襖の「竹林豹虎」や障子の腰貼付絵「三方正面眠り虎」はよく知られています。
虎は戦国時代後期の武将に勇猛さを表すとして尊ばれました。
本丸御殿の各部屋の床の間や壁、襖などの建具には、狩野派の絵師の手になる絵が描かれ、釘隠しなどの多くの飾り金具や欄間も精巧をきわめ華麗にいろどられていました。
戦災を免れた襖や天井板絵などの障壁画は昭和25年、30年、31年にわたり計1,047面が国の重要文化財に指定されました。現在、これらの障壁画は、大切に保存しつつ公開も行なわれています。
 
   玄関・大廊下
玄関は、将軍など正規の来客がまず通される建物で、床や違棚が備えられていました。周囲の壁や襖には勇猛な虎が描かれ、客を驚かせました。
続く大廊下は、玄関と奥を結ぶ重要な通路で、幅は3間(約6m)に及びます。
障壁画
御殿の中には、復元模写された障壁画が飾られています。玄関、表書院では、部屋ごとに異なった趣の絵を見る事ができます。復元された建物に創建時のあざやかな色彩を再現した障壁画を見る事が出来ます。
 
 
   
腰貼付絵「三方正面眠り虎」
 
 
 
 
 
   「三方正面眠り虎」との題名の如く、眠そうな顔をした滑稽な虎で、イメージしている威風堂々とした威厳の有る、恐怖を感じるものとはまるで違っている。勇猛さは感じられない。  
 
 
玄関の障壁画を見て表書院へ・・・・
 
玄関の障壁画を見る人
 
  書院造
書院造りは、接客や儀式の為の書院(広間)が建物の中心にあって、住む為の部屋とは別に設けられたものです。書院には、陶磁器などの唐物を飾る為、床や違棚、付書院などの、「座敷飾」が付けられ、主人の座る部屋は、他の部屋よりも一段と高くなっている「上段之間」をつくるなど、格式や権力を視覚的に表しました。
表書院
表書院は、江戸時代は広場と呼ばれ、藩主と来客や家臣との公的な謁見に用いられました。一番奥に位置する上段之間は、床や付書院を備えると共に、床も一段高くしており、藩主や重要な来客の座として使われていました。
 
 
 
表書院の障壁画
観覧順路で「竹林豹虎図」をみて玄関の一之間、二之間にある 「三方正面眠り虎」を見ると、観覧者の邪魔にならないように外側を回り、表書院へと進みます。
表書院は、正規の謁見に用いられた広大な建物で、5部屋からなっています。上段の間は15畳、一之間24畳半、二之間24畳半、三之間39畳、納戸之間24畳で、合計127畳も有る大きな部屋で、江戸時代は大広間と呼ばれていました。障壁画は玄関とは違い虎や豹は描かれてなく、松、桜、雉子などの華やかな花鳥図です。
 
 
一之間、二之間の大広間
桜花雉子図
 
折上小組格天井
  折上小組格天井
高位の人が座る位置に、座敷飾りを設けたり、床を一段高くする事により、一見して高位の人が使う部屋で有る事が分かる様に工夫しています。天井は、竿縁(さおぶち)天井や格(ごう)天井、折上(おりあげ)天井など、建物や部屋によって使い分けられています。特に、今回公開した建物の中でも最上級の部屋である表書院の上洛之間の折上げ小組格天井は必見です。
 
 
 
雉子
 
違棚
 
   
名古屋城まるはち博覧祭
 
本丸御殿の第一期公開に合わせ「名古屋城まるはち博覧祭」も開幕されました。会場は東門(二の丸駐車場)で、手羽先やみそ串カツ、ビールやおつまみ、スイーツ等を扱う8店舗が出店している。
これは、河村たかし名古屋市長肝いりの構想「世界の金シャチ横丁(仮称)」の社会実験として位置付けて、6月16日までの期間中、人の流れ等を分析する。
午後4時頃の会場は人影は殆ど見えず閑散としていました。しかしこれから夜にかけて、夕涼みをしながら舌鼓を打つ人でごった返す事でしょう?。
 
   真新しいヒノキ造りの本丸御殿は、周りに比して眩く浮き上がっていた。平日にも拘らず観覧者は多く、最初に展示されている本物の「竹林豹虎図」の前では、写真を撮ったり仔細に観察する人が多く行列が出来ていた。これは展示位置が誤ったのではないかと思える。
新築のヒノキ造りの建物は、ヒノキの香りが漂っているものと期待しながら御殿を回りましたが、人が多いのでヒノキの香りが消されてしまっていて、その香りを嗅ぐ事は出来ませんでした。
河村名古屋市長は、奇抜なアイデアで名古屋を世界に発信しようと努力を重ねています。昨年のあおなみ線のSL試験走行は盛り上がりました。時には脱線する市長ですが、停滞感を払拭し、名古屋を活性化する方向に進めて行く事には大いに後押ししたいものです。