H27.03.03.  国府宮はだかまつり  .
  天下の奇祭として知られる「はだか祭」の正式名称は、「儺追神事」といい、767年に悪疫退散の祈祷を日本全国の国分寺で行っていて、それ以来継続している神事なのです。はだか祭と一連の神事は、時と共に形を変えながら1,250年余の歴史をつないできた。織田信長に「危険だ」と禁じられた3年間も、境内で神事だけは営んだと伝えられる。この祭の参拝者は多い時で20万人に達します。
裸祭は、一人の神男を4日前に抽選で決め(31年間裸男に参加し、神男に3回触ったと言う人の話によると、神男は抽選とは言うものの、大体決まっている。)と言っていた。儺追殿で3日3晩身を清める為、頭を坊主にして神社に篭ります。その時の食事は御飯と沢庵だけだそうです。神男に触れると厄が落ちると言われ、数千人の裸男が神男に触り厄落としをします。しかし裸になれない老若男女は住所、氏名、生年月日を書いた儺追布を裸男に託し、代役としての厄落としをお願います。
裸男は約100箇所(1万人程)の地区毎で準備し、儺追布を付けた儺追笹を持ち、近所の店や家を廻り、1時間程かけて奉納します。代表者の裸男は神男に触れ、皆の厄を落とそうと神男に向かい肉弾相打つ壮絶なもみ合いに成ります。
この時手桶集団が@水の冷たさで裸男をひるませ、神男の道を開ける。A裸男達の摩擦を減らし、神男に近付きやすくする。為に、水を何杯も汲みに走りながら、裸男の頭から水を浴びせます。冷たい水が湯煙に成る程殺気に満ちた狂気の集団となります。神男は最終的には儺追殿に駆け込むのですが、この裸男の集団の中を神男一人ではとても儺追殿に入れないので、ガードする裸男に囲まれながら儺追殿に入ります。余りの激務に失神する神男が過去に何人もいました。生命の危機に遭遇するほどの大役です。
神男が儺追殿に近付くと、裸男のOBである「鉄鉾会(てっしょうかい)」のメンバーが、褌に命綱を付けて裸男の群衆の中に飛び込み神男を救出します。今年は神男が儺追殿に入ったのは18時10分で、神男を守るガードが固かったのか、神男が頑強だったのか分からないのですが、全裸で元気そのものでした。
皆の厄を一身に受けた神男はその厄を転化する為に、祭が終わった夜中に、神男に厄をつき込んだ土餅を背負わせ、外に追い出す「夜儺追神事」を行う。この祭が終わると春が来ると言われている。
裸男には誰でも成る事ができ、自分の友人が裸男の経験していた。しかし参加するには「宿」と呼ばれる居場所が必要で、そこから地区ごとの集会所に行き、なおい笹を集団で担ぎ参拝します。宿の無い人は、観光バスを宿にしているグループもいました。
 
   H27,裸まつりの餅つき!
H27.03.03.に開かれる裸まつりに向け、神社に奉納する大鏡餅の餅つきが2月25日に、一宮市明地のJA愛知西朝日経済センターで行われました。地元の一宮市朝日奉賛会や地元の厄年会、小・中学生ら1,500人が参加した。地域の無病息災を願って餅を仕上げた。午前五時の神事の後、もち米を蒸し、午前六時頃からつきはじめた。十二基の臼が用意された。つきあげられた餅は特設ステージに集められ、会員がこね合わせ、二段重ねの直径2.4m重さ4トンの大鏡餅を作った。そして裸まつりの1日前の3月2日に奉納される。
 
    愛知県稲沢市の国府宮神社と言うと、「天下の奇祭、裸まつり」で世界的に有名です。毎年旧暦の1月13日に行われるこのまつりはメディアで大きく取り扱われ、知らぬ人が居ないほどです。
この祭りには四年前に初めて現地で見ました。又、行って見たい好奇心は何時も有りましたが、思い切りが無く躊躇したまま現在に至っていました。
物事は全て、気持ちが高揚した時に上手くタイミングが合うと、熱いだ寒いだ、混雑する等の不快な事を超越して、目的に向かう事が出来ると、何度も経験しているので分かっていました。
今回は何日も前から現地の裸まつりを見に行くモードに気持ちが成っていたので、自分でも意外なほど抵抗無く行けました。
国府宮神社までは、車で行く計画を立てました。緑区から神社までは二十数キロ有り、神社の近くは交通規制され通行止めに成るので、近くの「アピタ」に停め、そこで昼食をし徒歩で神社にむかいました。この付近から徒歩で神社に向かう人も多く見掛けました。裸まつりの日は、名鉄電車も臨時列車が増発されたり、臨時停車し便宜を図っています。。
このまつりの日は、毎年天気が悪く寒い日といジンクスが有りますが、今日は快晴無風ではだか男も活発に動けるだろうと思われました。
 
 2月25日、神社に奉納する重さ4トンの
大鏡餅がつき上がった。3月1日に地区
内をパレードし、翌2日神社に奉納される。
 
国府宮神社の正式名は
尾張大国霊神社(おわりおおくにたまじんじゃ )です。
3月2日、明日の裸まつりの名物の、重さ4トンの大鏡餅が尾張大国霊(おおくにたま)神社(国府宮)に奉納された。
伊勢エビや昆布、紅白の帯などで飾った直径2,4mの大鏡餅は午後一時頃、トラックに載せられて神社参道に到着しました。今年の餅つきを担当した一宮市の朝日奉賛会の会員らが、綱でトラックごと引いて練り歩いた。台車に乗せ換えた大鏡餅は、クレーンを使って拝殿に納められた。
 
儺追殿
 
楼門(重要文化財)
足利初期の建立。正保3年(1646年)解体
大修理の際上層を改造しております。
 
古神札納所
昨年の儺追布が隙間無く巻かれていました。

大鏡餅
   
儺追布
 この大鏡餅は祭りの行われる前日に、市内で奉納パレードが繰り広げられます。今年は(H27)稲沢市の朝日奉賛会が餅つきを行い、直径2.4m、重さ約4tの大鏡餅を奉納した。そして祭りの翌日(4日)切り分けられ参拝者に配られます。
巨大な鏡餅を奉納する地区は、費用の数千万円を寄付で集める必要が有り、担当できるのは地元稲沢市内でも数十年に1度です。
  裸男から儺追布を沢山頂きました。儺追布は裸男に割いて貰うのは良いが、それ以外の人が割くと厄払いの御利益が無いと言う人もいました。
 
1kmに及ぶ参道の入口
一般の人は入れません。
 
神男はこの儺追殿へ入ります。前の人は水が
掛かるのでカッパ等で水除けをします。

お昼前から裸男が町内を練り歩きます。

儺追布を首や腕に巻いて
軽快に活動していました。
 
全身に美しい刺青が有りました
が、本物なのでしょうか?
 町内を練り歩き、各所でなおい笹を立て裸男が昇り始めました。なおい笹を立てるのが慣わしです。  儺追布を裸男に裂いてもらうと厄落としが出来るので参拝者が裸男に殺到します。以前は有料の時も有りましたが、今は無料で快く裂いてくれます。  裸男は腕や体に「宿」の名前や自分の名前を書き、事故にあった時、判別出来るようにしています。
   
儺追笹を神社に奉納し、大役を果した感激を神官と共に万歳をしながら喜び合っていました。その中に小学生の裸男も元気良く掛け声をかけています。寒い中良く頑張りました。 儺追笹奉納後の境内は一段と賑やかになり歓声も大きくなります。裸男の集団は十数人から百数十人とバラエティに富んでいます。儺追笹奉納後の裸男は、参道の何処から出るか分からない神男を待ちます。
 
   寒い中、下帯び一枚だけの裸男は暖を取る為と、祭を盛り上げる為にアルコールを摂取します。アルコールの飲み過ぎで、急性アルコール中毒の患者が多く出ます。その患者を150m離れた稲沢市民病院で点滴を打ち看病します。例年20〜50人程度の裸男が運び込まれますが、もみ合いでの怪我人は少なく、殆どが飲み過ぎか、神男が出るまでの転倒によるものだそうです。裸祭の日の市民病院は午後を全科を休診にして、医師や看護婦、スタッフらが従事します。しかし下帯だけの裸男の連絡先が分からず苦労も有ると言う。
そして、アクシデントが有った裸男を運ぶのが稲沢市の消防本部です。この日は殆どの職員が出勤し、約半数の職員が祭に専従します。
 
 
 
拝殿にいた神官が榊を揺らし始めた。これは参道の何処かから神男が出たと言う合図です。この合図が有ったのは午後5時過ぎでしたから、予定時刻より相当遅れていました。夕方の冷え込みは厳しさを増し、儺追殿前で待つ裸男も寒さに震え、寒さ逃れに「ワッショイ」の掛け声を張り上げ、士気の高揚を図っていました。
   
神男が近付くと手桶集団の動きが慌しくなる。儺追殿前に設置されている水槽から手桶に水を入れて、走りながら裸男が揉み合う中に勢い良く水を投げつける様に頭からかけ、空になった手桶を頭上に掲げて又水汲みに走るのですが、この行動も相当体力の要る役目です。
神男が必ず通る位置で3時間以上待ち、カメラを頭上に上げて写真を撮っていましたが、夕方の冷え込みは厳しくなり、時々震え、足は背伸びを繰り返していたので座りたい程疲れて来た。しかしもう少し頑張ろう。
   
 儺追殿前で激しく水飛沫が上がっていた。自分の目の前を神男が通り過ぎた筈なのだが、裸男の混雑が続いていたので全く気付かなかった。水飛沫の中心に神男が居るのだろうと思う。今まで寒さに耐え長い時間待っていたのに、神男の気配さえ感じられなかったのは誠に残念だった。神男が6時10分に無事儺追殿へ引き上げられバンザイが起こった。 目の前で激しく水飛沫が上がったので思わず身を避けてしまった。後から考えるとこの瞬間、神男がガードマンに囲まれ通り過ぎたのだろう。裸男の目線の中心に神男が居ると思われます。
神官が榊を揺すり始めてから40分から50分経過していた。その間神男は裸男に行く手を遮られながら触り続けられる苦痛は相当なものだろう。
 
  神社に奉納する儺追笹は、厄落としを願う人の儺追布が付けられています。その地区で厄落としを願う人が多いと、儺追笹は原型を留めない程の儺追布が付けられ、神殿に奉納するにも重いので大勢で担ぎます。神殿前での神官は次から次へと奉納される儺追笹を順序良く受け付ける為に、興奮して奉納した事に嬉嬉としている裸男達に、次の集団が来るので道を空けて下さいと、真剣な表情で整理していた。
裸男は儺追笹を奉納する為に、長い時間を掛けて参道に辿り着き、楼門前で最後のパフォーマンスで儺追笹を立てますが、例え失敗してもそのまま奉納しなければなりません。儺追笹を持った集団は数十人から、百数十人の大集団までまちまちです。今回参加した裸男は9,000名で、究極の目的である神男にタッチする事を試みます。しかしその目的を達成出来る幸運の裸男は何人居ることでしょうか?
寒い中、現場で裸男のお祭を見て、威勢の良い集団の団結力は清々しいものを感じました。ある人はお神輿を担いだ両手の皮がめくれ、血が滲んでいました。身の負傷まで厭わないこの祭に歴史と男の意気込みを感じ、裸男に成ったような達成感が有り、寒い所で長い時間立っていた足のふらつきも忘れて、意気揚々と前帰途につきました。
神男を待つ間、神殿前で裸男達と話をしていましたが、一番辛いのは帰り道だと言う。酒が抜け、達成感が満たされた後に虚脱感が襲い強烈な寒さを体験すると言う。上着を用意してくれる人が居たら是非頼みたいと切実な心境を吐露していた。帰りの道で裸男達に沢山合いました。小雨が降る夜道を震えながら歩く姿は惨めさが漂っていた。嬉々とした激闘の後だったからなのだろうか?そして珍しい紫色のフンドシをした裸男が居たので、紫色の意味を聞いてみた。すると喜寿以降の人が締めるもので、自分は81歳だと言われた。感嘆の称賛を贈ると満足げな様相をした。本当に祭を盛り上げてくれた事に感謝した。今後もお元気で裸を続けて欲しいものです。
 
 
   裸 祭 の 翌 日  
 
 
硬くて大きい餅は切り分けるにも大変です。
 
切り分けられた餅は神男が販売していました。(左端)
このお餅は1袋(1個)100円で買えます。