H26.04.22.  会 津 若 松 城 の さ く ら   
 
  日本三大桜の1つである三春の滝桜を見る為、4月20日の夕方名古屋を出発した。そして21日は、三春の滝桜、花見山公園、磐梯・吾妻スカイライン、合戦場のしだれ桜、福田のしだれ桜、東和祭田の桜と強行日程を過ごし、最後の目的地である会津若松城の桜を22日に見に行った。
会津若松城の天守閣の入場時間は8時30分だったので、8時過ぎに城に近い西出丸駐車場に着いた。混雑を予想していたが以外に車は少なく好位置に停める事が出来ました。そして後ろの車のナンバーを見ると「佐賀」だった。年配の御夫婦が支度をしてみえたので、九州から見えたのですか?と聞くと「そうです、これから会津若松城の桜を見て、その後三春の滝桜を見に行きます。」と言う、最後は弘前の桜を見ます。と二人で楽しそうに話してくれました。ランクルを改造してSAとか道の駅に泊まりながら2週間ほどドライブをするそうです。九州にも来て下さいと誘われましたが、近い距離でないので社交辞令として受け取りました。
 
 
   会津若松城
1384年(南朝:元中元年、北朝:至徳元年)、蘆名(あしな)氏7代当主の蘆名直盛が小田垣の館または東黒川館という館を造ったのが若松城のはじまりとされる。諸説あるが、おそくとも15世紀半ばまでには黒川城(くろかわじょう)、(または小高木城)とその城下が成立していた。以後、代々蘆名氏の城であった。戦国時代中後期には、蘆名氏中興の祖・盛氏が出て、黒川城を中心に広大な版図を築いた。
若松城は、福島県会津若松市追手町1-1にあった城である。地元では一般的に鶴ヶ城といい、地元以外では会津若松城と呼ばれることも多い。文献史上では黒川城、会津城とされることもある。国の史跡としは、若松城跡(わかまつじょうあと)の名称で指定されている。
若松城は旧市街地の南端に位置し、郭内(武家屋敷)と町屋敷が外濠で隔てられ、さらに郭内の内側に内濠を有する梯郭式の平山城である。城跡は都市公園鶴ヶ城公園となっており、そのほとんどが国の史跡に指定されている。
難攻不落の名城とうたわれた鶴ヶ城は、戊辰の戦役で新政府軍の猛攻の前に籠城一ヵ月、城は落ちなかった。石垣だけを残して取り壊されたのは明治7年のことである。至徳元年(1384)蘆名直盛がはじめて館を築き、改修を経て天下の名城となった。
 
  西出丸駐車場に向かうまで城の周りを走りましたが、満開の桜が出迎えてくれて感激でした。ゲート式駐車場は200台収容出来る広い場所で、入場券を受け取り駐車しました。城の周りには3カ所の駐車場が有り、三の丸駐車場は40台収容出来、南口駐車場は35台収容出来ます。料金は2時間300円で、1時間経過する毎に100円が加算されます。
駐車した後、城内へ入ると人影はまばらでゆっくりと散策出来ると余裕を感じました。城内の桜の木は多く予想を遥かに超える美しさでした。それに丁度満開に成ったばかりで、花には勢いが有り色も鮮やかだったので感激度は最高でした。
 
 
雲が多く青空を望みたかったのですが駄目でした。 
 
   
時間がたつと人が増えて来ました。
 
 
廊下橋からお堀と桜を撮りました。
鐘撞堂
時守を置いて昼夜時刻を城下に報じていた堂で、その鐘は延享4年(1747)若松の鋳工の作として知られ、鐘の撞き方は江戸流であった。戊辰の役(1868年)では、ここに新政府軍の砲火が集中し、時守が相次いで斃れたが、開城の間際まで正確に時を報じ、大いに味方の士気を鼓舞した。
 
 
麟閣(りんかく)
 
天守閣入口
天正19年茶道の祖・千利休は、豊臣秀吉の怒りに触れ、死を命じられました。その時の、会津領主・蒲生氏郷が、利休の茶道が途絶えるのを惜しんで、その子少庵を会津にかくまい、徳川家康とともに千家復興を秀吉に願出ました。
その結果、少庵は京都に帰って千家を再興し、宗左、宗室、宗守の3人の孫によって、表、裏、武者小路の三千家が興され、今日の茶道の基礎が築かれました。この少庵が会津にかくまわれている間、蒲生氏郷の為に造ったと伝えられています。江戸時代の初期から中期にかけて、現在の様式に改められたと考えられる茶室です。戊辰戦争の後、城下へ移築されていましたが、平成二年に建造当初の地に移築・復元されました。
天守閣の土台となっている石垣を、”天守台”といいます。若松城の天守台は約400年前の、蒲生氏郷が天守閣を建てた時に築かれたものです。ただし内側の石積みは慶長16年(1611)の大地震の時の被害により、加藤時代に行われた改修の時に積み直されたものです。
天守台の内部は年間を通して外部より気温が低い為、むかしは塩や保存食などの貯蔵庫として利用されていました。
現在の天守閣は鉄筋コンクリート造りですが、昔のままの天守台に負担がかからないように、地中深く埋められた柱だけで支えられています。
 
 
天守閣から下を見ました。
 
お城ボくん
 赤瓦の鶴ヶ城をモチーフに、赤瓦のお城とロボットを融合したキャラクター「お城ボくん」、武士(もののふ)の郷、会津若松のイメージを国内外に発信するそうです。
 
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