H26.03.04 | H26 河津サクラ | 河津観光協会 静岡県賀茂郡河津町 п@0558−32−0290 |
今年は例年に無く冬将軍が猛威を奮い、関東甲信越地方では何百年に一度ではないかと言われるほどの豪雪でした。それでも3月に成ると暖かい春の陽射しが感じとれたので、ネットで日本で一番早く咲く”河津サクラ”の情報を見ました。すると2月5日〜3月10日まで「河津サクラまつり」が開催されていて、次第に満開になっていると知り、行ってみたくなりました。 名古屋市緑区から河津町までは約300kmの距離が有ります。来月からは消費税が8%になり、高速道路の各種割引も下げられる可能性が有ります。ドライブするなら今の内にと言う考えも有りました。 仕事を終えた夜から出発すると、ETCの深夜割引が今の所5割引きなので、夕方名古屋ICから高速に乗り、新東名の駿河湾沼津SAで仮眠し、翌日の早朝長泉沼津ICを出ました。新東名開通後暫くは各SAは混雑で大変でしたが、今は珍しさも半減したのか利用客も少なく、トイレも経費削減で半分を使用禁止にしていました。仮眠していて目が覚めると4時半頃だったので、目覚めたついでに出発しました。早朝に出た理由は、沼津ICから河津町に向かう一般道路は大変に混雑するので、渋滞しない時間帯に通過したいという思いもありました。 新東名高速の長泉沼津ICを下車し、修善寺経由でR414を南下すると、ループ橋に出ます。この橋は名前のように、螺旋階段を大きくしたような道路がループを描いていて、走っていると目の錯覚で運転バランスを崩してしまいそうですから、充分に注意をして下さい。この、ループ橋の河津サクラも有名で、橋とサクラのコラボがとても良いのが売りになっています。そこから涅槃堂売店の無料駐車場が満車に成るのを嫌い、駐車場確保に急ぎました。 7時頃駐車場に着くと。二十数台置ける駐車場は半分ほど空いていました。 |
河津サクラは我が国のサクラの中では早咲きの桜です。開花時期は天候等に左右されますが毎年1月下旬から開花が始まります。開花期間は約一カ月と長期に及び他の桜に無い特徴が見られます。河津サクラの原木は、河津町田中の飯田勝美氏(故人)が1955年(昭和30年)頃の2月のある日河津川沿いの冬枯れ雑草の中で咲いている桜の苗を見つけて現在の地に植えたものです。 1966年(昭和41年)から開花が見られ、1月下旬頃から淡紅色の花が約1ヶ月にわたって咲き続けて注目を集めました。伊東市に住む勝又光也氏は1968年(昭和43年)頃からこのサクラを増殖し、このサクラの普及に大きく貢献しています。一方、県有用植物園(現農業試験場南伊豆分場)は、賀茂農業改良普及所、下田林業事務所(現伊豆農林事務所)や河津町等と、この特徴ある:早咲きサクラについて調査をし、このサクラは河津町に原木が有ることから1974年(昭和49年)にカワヅサクラ(河津桜)と命名され、1975年(昭和50年)には、河津町の木に指定されました。カワヅサクラはオオシマザクラ系とカンヒザクラ系の自然交配種と推定されています。まだ肌寒い時期にお花見がいち早く楽しめる「河津桜まつり」は毎年2月上旬から3月上旬まで開催され1ヶ月で100万人もの来場者で賑わい、また夜にはライトアップされた幻想的な河津桜が楽しめます。 |
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河津桜の特徴。 落葉高木、樹形は広卵状で樹皮は紫褐色で光沢があり、若枝は褐色、無毛。葉は開花後に展開する成葉は倒卵状楕円形で先は尾状鋭尖形、基部は円形、長さ12.5〜15.0cm、巾6.0〜6.8cmで厚い。縁は単鋸刃だが、重鋸刃が混じり、鋸歯の先は芒状、腺はない。表面は濃緑色、裏面は淡緑色、両面共に無毛。側脈は約10本。葉柄は長さ2.0〜2.2cmで無毛、上部に1対の蜜腺がある。 托葉は長く、分岐多い。果実は、ほぼ球形、径0.9〜1.3cm、黒紫色に熟し、甘味がある。 河津桜は、開花時期が早く、2月上旬から3月上旬まで約1ケ月以上にわたり咲きます。その花は径が約3センチと大きくピンク色です。もともとは緋寒桜と早咲き大島桜の自然交配種ではないかと考えられており、樹皮は平滑艶があり、地上近くで幹が分れ、枝は横に広がる性質があります。今井浜海岸・河津駅前から河津川沿い、そして河津七滝周辺などに約8千本植栽されています。 |
河津サクラは、見頃となる時期を予測するのがが難しく、気温と密接に関係するので、その年の寒暖の影響が開花に大きく左右されるそうです。 七滝から河津駅方面のさくら祭メーン会場に向いましたが、さくら祭開催中は混雑が予想されます。さくらは河津川の両側に咲いていて、その距離は3kmを越え、お花見ウォーキングコースに成っています。ですから川の両岸を散策すると往復6km程になり、2時間は充分に掛かります。 駐車場は各所に用意されていますが全て有料で500円程度です。 |
![]() この看板手前を左へ入ります。 |
![]() 上条の桜 |
ループ橋を過ぎるとこの看板が左に見えるのでそこを入ると、ループ橋下の桜林を見る事が出来ます。ここには無料駐車場が有ります。 | ループ橋の桜林の手前に「上条の桜」という名前の有る桜の木が有りました。 |
七滝ハイキングコース ループ橋の町営駐車場に車を停めて7つの滝を巡る事が出来ます。滝は玄武岩の柱状節理がつくりだす造形美あふれる景観を楽しめます。河津では滝の事を「タル」と呼び、この言葉は古く平安時代から続いている民族語で、水が垂れると言う「垂水」がそのルーツです。七滝巡りは徒歩で約1時間ほどですが、その近くには「伊豆の踊子」像も有ります。 |
![]() ループ橋の桜は3〜4分咲でした。 |
![]() 七滝へ行けます。 |
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ループ橋は見事な曲線を描いていて、その規模の大きさに橋だけでも見る価値は充分です。河津七滝ループ橋は、総延長1,1kmで東日本で初めてという二重ループ橋の工法を採用しています。高さは45m、直径80mという巨大なループ橋が天城連山のふもとに立ち、ドライブの目印にする人が多い。グルグルと2回転するだけですが、三半規管が撹乱されてしまうので実際は数回転しているような錯覚に落ちいってしまいます。 |
![]() 満開の河津サクラ |
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![]() サクラのトンネル |
![]() 河津駅前の菜の花とサクラ |
![]() 涅槃駐車場に有る「涅槃の桜」 |
![]() 起点の浜橋から駐車場までの距離です。 |
河津川が海へ注ぐ最後の橋が浜橋です。お花見ウォーキングコースはこの浜橋から始まり、約3km上流の峰橋まで続いています。殆ど両側から桜を見る事が出来ますが、片側だけしか咲いていない場所も有ります。 |
![]() 河津サクラの原木(少し青葉が出ています。) |
河津桜原木の謂れ。 昭和30年頃の2月のある日、この家の主であった飯田勝美氏が河津川沿い(豊泉橋上流の田中地区側)の冬枯れの雑草の中で芽吹いていた約1m位に育った桜の若木を偶然見つけて庭先に植えたのが始まりです。 約10年後の昭和41年1月下旬、やっと花が咲き始めました。同年4月、主の勝美氏は花が咲くのを見届け永眠しました。その後、きれいに咲く桜を見て譲ってほしいという話もありましたが、思い出の桜のため手放さなかったそうです。 当時、この家の屋号からこの桜は「小峰桜」と呼ばれ親しまれていました。 その後の調査で新種の桜とわかり、昭和49年には河津で生まれた桜であることから「河津桜」と命名され、昭和50年4月に「河津町の木」に指定されました。勝美氏の植えた桜は「河津サクラの原木」として現在もその地で花を咲かせています。河津堤防沿いの桜並木は、昭和50年頃から植栽が行われ、現在では河津町内各地に約八千本の河津サクラが植栽されています。 (河津桜は、オオシマサクラ系とカンヒサクラ系の自然交配と推定。) 原木の大きさ 木高 約10m 、樹幅 約10m 、幹周 約115cm 開花時期 1月下旬〜3月上旬 |
![]() 原木と間違えられる「かじやの桜」 |
![]() 満開のサクラと菜の花 |
ソテツは、沖縄や九州南部に自生するソテツ科常緑低木で、スギ・ヒノキ・マツ・イチョウと同じ裸子植物である。裸子植物中最古のもので、生きた化石とも言われる。株は雌雄の別があり、幹の表面は一面には葉跡が埋まっている。 根に根粒があり、藍藻類を共生させており、その能力により、痩せ地でも生育出来る。葉は羽状で1〜1.5mかたい綿状の小葉が互生しており、先端は鋭く尖り、刺さると痛い。花は八月ごろ咲き、雄花は松かさを大きく長くして幹の先端に乗せたような形、、雌花は茎の先端に丸くドーム状に膨らむ。ソテツの名前は鉄によってよみがえる(蘇鉄)という伝承があり、衰弱した時には鉄屑を与えると元気を取り戻すといわれている。 新町のソテツは、根元より数本の大支幹に枝分かれし、主幹を中心にして東西南北方向に大蛇が這うように枝を伸ばし、さらに数十本の小枝で見事な株を作っている。主幹の周囲は約2.5m、高さ10mにも達しており、樹齢も千年以上と推定されています。 昭和56年6月には昭和天皇皇后両陛下が御鑑賞なされています。 |
![]() 当時この界隈に湧き出た霊泉があり、菖蒲・カキツバタなどが織成す美しいこの辺りを「花田の湯」と称し、多くの名僧、武辺が浴したと伝えられています。その後、何時とはなしに荒廃したが、伝説と化した「花田の湯」の復興を幾人もの篤志家が掘削を試みるも功ならず、天城路を越え去ったと云われています。 時は大正11年となり、この地に住む稲葉時太郎は、峰一帯を「花といで湯の郷」にせんと、当時30歳の情熱を一途に温泉採掘に打ち込んだのでした。資材を投げ、幾多の障害を乗り越え、死と遭遇しかけた事も一度ならずで、当初協力的だった村人も、先を悲観して1人2人と離れて行き、資金も尽き誰からも揶揄・嘲弄され続けたのでしたが、その4年後、遂に温泉採掘に成功したのでした。 大正15年11月22日正午。突如として火山噴火の如く一大轟音と共に「大噴湯」は誕生したのでした。地響き立てて噴出した熱泉は、この時実に50mの天空を突き刺し、大噴湯を前に、時太郎は思わず天に向かって合掌したと言われる。 現在では周りえの影響を考慮し、噴き上げの時間も量も絞っていますが、その勢いは未だ衰えてはいません。止水口を遮らない限りいつでも百度の熱泉が地上約30mに達し、依然活発な自噴を続けています。 |
南伊豆下賀茂の河津サクラ | |
近年、河津町の河津サクラと、南伊豆町の河津サクラは互いに意識しながらライバル視しあっているような感じがしました。河津町は伊豆急行の河津駅から桜並木が有り、直ぐ花見が出来る利便性が良い、車でも沼津ICから河津町まで約60kmで、南伊豆へ行くにはまだ25km程走らねば成らず、交通の便でも優位にたっている。 南伊豆町に咲く河津サクラは、青野川岸が河津川に匹敵するほど素晴らしいし、今は菜の花畑が満開でさくらと菜の花が最高に綺麗だ。南伊豆町のサクラ会場は南伊豆町役場を目指すと分かり易くメーン会場でもある。 以前は各場所の駐車場は無料でしたが、今は1回500円を必要とするようになってしまいました。 |
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南伊豆町を目指して進んで行くと、美しい菜の花畑が有りました。河津さサクラも所々に咲いていて見事な景色でした。駐車場には少し車が止まっている程度で簡単に駐車出来ました。ここの駐車場も1回500円ですが、この領収書を桜祭り会場の駐車場で見せると料金を必要としません。 ここから南伊豆町役場を目指し2km程走ると、青野川の広い川の両側に河津さくらが沢山見えて来ました。川沿いのに幾つもの駐車場が有りますが、領収書が有れば無料で止める事が出来るので、花見にはとても快適です。 |
![]() 青野川の両岸には満開のサクラが咲いていました。河津川と酷似しています。 |
![]() 菜の花が咲く青野川と河津サクラ。 |
![]() 歩道を占領する桜の木。 |
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