2003年1月11日

      Uralbomber
             
             1933年からTechnischeamt及びJunkers社,
             Dornie社により長距離四発爆撃機の研究が
             開始されました。これは将来、ソ連との
             交戦の際にUral地域の戦略拠点を攻撃する
             事を想定しており、内部的にUralbomberと
             呼ばれました。
             開発途中の1936年6月3日にWeverの事故死があ
             りましたが、Do19V1は1936年10月28日に,また
             Ju89V1は1937年4月11日(1936年12月と言う
             説あり)に初飛行しました。
             しかし直後の1937年4月29日にGoeringにより
             両機の開発はキャンセルされ、
             この決定がLWの将来を大きく変えたとよく言
             われます。
             キャンセルを主導したのはWeverの後任の
             Kesselringですが、事情について彼は1954年
             5月17日付けの資料で以下のように弁明して
             います。
             (Luftwaffe war diary1@のappendix11を参照
             して出島が要約したもので原文通りでは
             ありません)
              (1)性能不足が分かったが、設計変更の為の
               時間が不足だった。
              (2)航空産業に大型機を量産する準備が不足して
               いた。
              (3)生産の為の原材料と燃料の不足が予測さ
               れた。
              (4)乗務員の訓練の準備が出来なかった。
              (5)従って、もし戦略爆撃部隊の整備に取り掛か
               っていたならば、実際にWW2が開戦した1939年
               迄に完成しておらず、一方で、ドイツに緒戦の
               成功をもたらした航空兵力による地上軍支援
               は実現しなかった。

             この問題は、LW内部でも意見がまとまらず、
             当時Generalstab:AbteilungIの責任者だった
             DeichmannがGoeringに直接面会の上、両機のテスト
             継続を訴えたと言う事実が有りますA。しかし同席
             したMilchは四発爆撃機の可能性に疑念を表明し、
             既に具体化していたJu88(1936年12月21日初飛行)
             の生産計画に悪影響を及ぼす可能性を理由に、
             両機のキャンセルを主張しました。
             Do19は性能がやや劣っていたので、結局この
             時点でJu88とJu89の二者選択になり、前者が選ば
             れた訳です。
             (MurrayBは、両機がキャンセルされた原因は適当
             な航空機エンジンが無かったことだと言ってお
             り、より高性能のエンジンの実現を前提にHe177
             の計画が1937年に開始され、1940年始めの生産
             開始を目指したと解説しています)

             ここで両機に1年以上先行して1935年7月28日に
             初飛行していたBoeing Model299(B17の原型)と
             比較をして見ます。
             

全長 全幅 翼面積 自重 全備重量 最大速度 巡航速度 航続距離 実用上昇限度 エンジン
Boeing299 20.96m 31.63m 138u 9.82t 14.71t 380km/h 225km/h 4844km 7504m 750hp*4
Do19 25.45m 35.00m 162u 11.86t 18.50t 315km/h 250km/h 1600km 5600m 715hp*4
Ju89 26.50m 35.27m 184u 17.0t 22.8t 390km/h N/A 2000km 7000m 1000hp*4


             性能は飛行条件で異なるので比較は困難ですが、
             Boeing299の750hpエンジンで最大速度380km/h
             の性能と自重9.82tの軽量設計は素晴らしいもの
             でした。また長い航続距離も大きな特徴でした。
             Do19とJu89は機体が大きい割りに性能がぱっと
             しませんが、エンジン的にはひけを取っていな
             いようです(B17はG型でも1200hp*4です)。
             結局ドイツ側も両機の完成前から性能的な不足
             を認識しており、CorumCによれば、当時Chef
             des TechinscheamtだったWimmerにより1936年
             4月17日に次世代4発爆撃機の仕様が発行され、
             既にWeverの生前から上の両機の開発を早期に
             終了して次世代機に移る方針が決まっていた
             としています。

             ともすれば戦史上のIFの対象となる両機です
             が、WW2時点での主力機となり得たと考えに
             くく、次世代のHe177の失敗がドイツの真の
             敗因の一つだったのでしょう。

             @参考文献2 page374-375
             A参考文献6 page155-158
             B参考文献3 page9
             C参考文献5 page172

                            

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