Normandy人物編

             Normandy航空戦のLw側のキーマン2人の紹介をします。

             Alfred Buelowiusは1892年1月14日生まれ。WW1に当初歩兵将校と
             して従軍し、途中から陸軍航空隊に移り爆撃、偵察、迎撃等の各
             兵種を歴任しました。WW1終了後一時警察に勤務しましたが、その
             後空軍再興活動に加わり、Lw発足後は主に爆撃部隊の
             Gruppenkommandeurを務めました。WW2開戦時は、
             Grosse Kampfliegerschule 1,Tutow(爆撃乗務員学校)の責任者で
             、その後も訓練畑を歩んでいました。
             1942年8月2日から東部戦線に加わり、その後の経歴は以下の通り
             です。

            

より まで 任務 備考
@ 1942年8月2日 1942年10月31日 Luftwaffenkommando Don
Kdr.Gefechtsverband Nord
東部戦線
A 1942年11月1日 1943年6月25日 Kdr.1.Flieger-Division 東部戦線
B 1943年6月26日 1944年6月30日 Kommandierender General
II.Fliegerkorps
地中海戦線
(シシリー島)
西部戦線
C 1944年7月1日 1944年10月15日 Kommandierender General
II.Jagd-Korps
西部戦線
D 1944年10月16日
以下Luftgau司令官を歴任

             
             Gefechtsverband NordはVoronezh地域の陸軍作戦を支援するための
             部隊で、KG76とAufkl.Gruppe 10が所属しており、必要に応じ
             て戦闘機部隊が参加しました。Buelowiusは成果を上げたので
             11月にFlieger-Division司令官として出世した格好でした。
             その後Fliegerkorps司令官に昇進してシシリー島に上陸した英米軍
             戦いました。
             陸軍との共同作戦の経験は十分でしたが、Normandyでは連合軍側の
             空軍の攻撃で戦力の集結と、指揮連絡を妨げられて、成果を上げる
             事ができず、6月13日に一旦戦線から去りました。

             Buelowiusの後,Normandyの戦闘機隊を指揮したのはWerner Junck
             でした。彼はほぼ同年の1895年12月28日生まれで、WW1中に歩兵
             義勇部隊から航空隊に転じました。ソ連のLipezkの秘密訓練施設
             の責任者を務めた後、Lw設立に参加し、主に戦闘機畑を歩みま
             した。WW2開戦時は戦闘機隊のInspekteur(L.in3.)だったので、
             MoerdersやGallandの先任に当る人です。ww2における経歴は下の表
             です。
            

より まで 任務 備考
@ 1939年2月1日 1940年6月4日 Inspekteur(L.in3.) インスペクター
A 1940年6月5日 1941年4月30日 Jagdfliegerfuehrer 3 西部戦線(BoB)
B 1941年5月1日 1941年8月1日 Kommandeure Sonderkommando Junck イラク
C 1941年8月1日 1942年3月31日 Jagdfliegerfuehrur Deutsche Bucht 本土防衛
D 1942年4月1日 1942年9月30日 Komandeure Jagd-Division Mitte 本土防衛
E 1942年10月1日 1943年9月15日 Kommandeur 3.Jagd-Division 西部戦線
F 1943年9月15日 1943年10月14日 attached to Lf.3 西部戦線
G 1943年10月15日 1944年6月30日 Kommandierender General
II.Jagd-Korps
西部戦線
H 1944年7月1日 1944年12月31日 予備役へ
I 1944年12月31日
退役

   


             Junckは戦闘機隊の中核として経歴を積んできましたが。陸軍との
             共同作戦は経験が少なく得意ではなかったようで、彼が指揮を執っ
             た期間はNormandyの戦闘機部隊はJagdfreiや四発爆撃機の迎撃
             を主任務としてその結果、陸軍からLwの支援が少ないと言う不満を
             招きました。6月30日付で任務を下ろされ、その後の復活は
             有りませんでした。優れたパイロットだったと考えられますが、
             数的劣勢下での過酷な戦いに向かなかったようです。Junckの経歴
             で興味深いのは1941年にイラクで任務に就いたことです。この時期
             ドイツは中東で影響力を確立するために空軍を派遣してイラク
             国籍マークをつけて作戦を行った事が知られていますが、彼は
             その部隊の司令官を務めました。

             1944年7月1日以降NormandyにBuelowiusが復活して、II.Jagd-Korps
             の指揮を執り、再び陸軍との共同作戦による戦局の挽回を試み
             ますが、数的劣勢を覆すことはできず、8月24日のParis解放後は
             各Gruppeはドイツ西部国境まで下がって、最後の防衛戦に入ります。

             

   
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