Ju52/3mg3e
Luftwaffe最初の本格的爆撃機となる筈だったDo11はエンジン
パワーと機体強度の不足の為、意外な不出来で、1933年
2月に初飛行した改良型のDo13でも問題点は十分に解消しません
でした。しかしこの時点でRLMは秘密裏に実戦部隊の編成を至急
進める必要が有り、どうしても代替爆撃機が必要な状況に
追い込まれました。そこで白羽の矢が立ったのは民間輸送機として
実績があったJu52/3mでした。同機が選定された背景には、単に
操縦しやすくかつ信頼性が高かった事だけでなく、1933年10月に
政府がJunkers社の株式の51%を取得して、緊急に大量生産する体制
を作り易かったことが有りました。
同機は民間機として開発されて来ましたが、爆撃機とする為の
主な変更点は客室を廃止して爆弾槽を設けたことと胴体上下面に
MG15各1門の銃座を設けたことでした。爆撃機型はJu52/3mg3eと
呼ばれて一号機の生産は1934年初頭から開始され、同年3月にWWT後
初めて編成された爆撃機隊にはDo11が3機とJu52/3mg3eが24機配属
されました。
また同機は最終組み立てを担当するメイン工場とサブ組を担当する
協力工場の組み合わせによるRLM主導の大量生産体制を実践する
初めてのケースとなりました。1934年夏から量産が軌道に乗り、
1936年10月1日までに最終的に760機のJu52/3mg3eが生産され、
He111やJu86が配属されるまでは爆撃部隊の約2/3を占めて、
機数的に立派な主力爆撃機でした。
このようにつなぎとして大きな役割を果たした同機ですが、低性
能は当初から認識されており、1934年に実施されたフランスを仮想
敵国とした図上演習で審判はJu52爆撃部隊の約80%が撃墜されると
言う判定を採ろうとしました。しかしWeverは戦略爆撃機開発に関
する方針が揺らぐことを恐れて、その結果を拒否しました。
1936年6月にスペイン内戦が始まると当初20機のJu52が輸送機として
送られた後爆撃機として改修されましたが、戦闘行動が始まると
6機が次々と撃墜された為爆撃機としての使用は中止されて残った
14機は輸送機に戻されました。しかしその後の作戦への貢献が大変
大きかった事から、RLMは同機をLwの標準輸送機として宣言し、
保有していたJu52は全て輸送機に改造され、Ju52は軍用輸送機と
して生産が継続されました。
この機体でよく分からなかったのは爆弾の搭載方法ですが、最近
12 o' clockの掲示板で情報を貰いました。
内部に550kg爆弾1個または50kg爆弾4個を縦型に搭載するラックを
8個まで取り付ることができて、左右の主翼をつなぐ構造材の間から
垂直に投下されたとの事です。欠点としては投下の際に爆弾が
跳ねて命中精度が低下したことがありました。
また、胴体下面の引き込み式のMG15銃座との干渉を避けようと
すると爆弾搭載位置が重心よりかなり後ろに寄るので、投下時の
重量バランス変化が大きい事が気になります。
次世代の新型機が登場するまでのつなぎとして全て目をつぶった
と言うことでしょうか。
Ju52/3mg3eは生産が容易で故障が少なく、使いやすい事だけが
特徴でした。本格的戦争に用いられた場合には役に立たない
脅しの道具だったと考えられます。
しかし周辺各国はその機数に怯えたのでドイツの政治的狙いを
達成する為の有力な手段として役立ち、Lw首脳も面子を保つ事が
できました。戦争無しに国家利益に貢献したのですから大成功の
機体だったと言えます。
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