Luftwaffe Operataion Unit

          (02年07月15日:青字はNEW
                                      by N.Dejima

      
      内容の多くを
      「The Luftwaffe,1933-1945 by Michael Holm」
      から作者の了解の下に引用して
      います。大変感謝しています。
      Many items are quoted from
      "The Luftwaffe,1933-1945" by
      Michael Holm under his
      permission.
      Thank you very much for
      his kind coopration.

      また参考文献をご参照願います。

   5.航空部隊

      Luftkreis    

            
            



      Luftflotte(LF)     航空軍(航空艦隊)

            本ではよく航空艦隊と呼ばれていますが,別に
            艦艇を持っているわけではないので、
            航空軍とします。

            1939年2月1日に最初に編成され、当初以下の
            ようにドイツ国内を分割して担当していました。
            Luftflotte1:北東ドイツ
            Luftflotte2:北西ドイツ
            Luftflotte3:南ドイツ

            その後オーストリア、チェコの併合に伴って
            この地域を担当する組織としてLuftflotte4
            が追加されました。 
            WW2の開戦に伴ってHeeresgruppeの作戦地域と
            直接リンクした事は上述の通りで、主要作戦
            での担当の状況を以下に挙げます。
            
            ポーランド戦
              Luftflotte1: Heeresgruppe Nord
              Luftflotte4: Heeresgruppe Sued

            ベルギー・フランス戦
              Luftflotte2: Heeresgruppe B
              Luftflotte3: Heeresgruppe A

            東部戦線緒戦
              Luftflotte1: Heeresgruppe Nord
              Luftflotte2: Heeresgruppe Mitte
              Luftflotte4: Heeresgruppe Sued

            途中Luftflotte2が地中海戦線支援の
            為に抜けた為に、中部ロシアに穴が空き
            ましたが、その穴埋めとして地上軍支援の
            目的でLkdo Ostが編成され、それが
            Luftflotte6に改編されます。その結果
            1942から43年の担当地域は以下ように
            なりました。

            Luftflotte1:北ロシア
            Luftflotte2:北アフリカ、イタリア、ギリシア
            Luftflotte3:フランス、ベルギー、オランダ
            Luftflotte4:南ロシア
            Luftflotte5:ノルウェー、フィンランド
            Luftflotte6:中央ロシア

            1944年2月5日にドイツ国内を受け持つ
            Luftflotte Reichが設立され、44年7月1日には
            訓練と搭乗員の補充を担当するLuftflotte10
            設立されました。

            Luftflotteは本質的に陸軍と連携した地域担当
            部隊であり、下部組織のLuftgauが、細かい
            地区毎に実務的な補給や飛行基地の管理を担当
            していました。 一方航空部隊等はその時点での
            作戦内容に基づき、OKLがFliegerkorpや
            Fliegerdivisoion等の航空部隊や、高射砲部隊の
            割り当てを行い編成が絶えず変動しました。

            Luftflotte1からLuftflotte5までは1944年後半
            以降解散し、地上部隊支援の性格を明確に持つ
            Luftwaffenkommando等に再編成
            されました。

      Luftwaffenbefehlshaber Mitte   ルフトバッフェ中央司令部
            北部ドイツ防空を担当する、Berlinに本部を置く
            Luftflotte格の組織です。指揮官は
            下記の2名の大将でした。

        GenOb Hubert Weise,       24.3.41 - 23.12.44 
        GenOb Hans-Jurgen Stumpff, 23.12.44 - 3.2.44 

            当初は夜間戦闘機部隊1.Nachtjagd-Divisionと高射砲
            部隊を指揮しましたが、その後昼間爆撃の脅威の増加と共に
            Jagdfliegerfuhrer Mitte(昼間戦闘機隊の指揮組織)が
            加わりました。
            一方1.Nachtjagd-DivisionXII.Fliegerkorps
            (後述)に発展した後、更にI.Jagdkorps(後述)への改編
            がある等、戦局に合わせて組織変更が続きました。            
            またWilde Sauの30.Jagddivision等も直属したことを
            特記します。
            1944年2月15日付けでLuftflotte Reichに改編されま
            した。

      Luftwaffenkommando(Lkdo)           
            Luftflotteより規模が小さく、地上部隊支援の
            目的で既存の部隊を再編成したもので、
            多くはRLMに直属していました。
            どのようなものがあったかをリストアップします。
            
            Luftwaffenkommando Don 
                           1942年8月26日に編成
            Luftwaffenkommando Kaukasus
                           1942年11月25日に編成
            Luftwaffenkommando Kurland  
                           1945年4月17日に編成
            Luftwaffenkommando Nordost  
                           1945年4月12日に編成
            Luftwaffenkommando Ost     
                           1942年4月1日に編成
            Luftwaffenkommando Ostpreussen@ 
                           1938年2月4日に編成
            Luftwaffenkommando OstpreussenA 
                           1945年1月24日に編成
            Luftwaffenkommando Schlesien 
                           1945年1月25日に編成
            Luftwaffenkommando See 
                           1938年2月4日に編成
            Luftwaffenkommando Sudost 
                           1943年1月1日に編成
            Luftwaffenkommando West 
                           1944年9月28日に編成
            Luftwaffenkommando Osterreich 
                           1938年8月1日に編成
            Luftwaffenkommando 4 
                           1945年4月6日に編成
            Luftwaffenkommando VIII 
                           1945年4月12日に編成

            Lkdo Donは南ロシア戦線のHeersgruppe
             Don(陸軍)支援の為にT.Fliegerkorps
            改名しました。
            主にスターリングラードで包囲された
            6armeeの援護と救出作戦に従事しますが
            失敗後、1943年に旧名称に戻ります。

            またLkdo KaukasusuT.Flakkorps
            を再編成したものでコーカサス地域での
            陸軍の作戦支援にあたり、一部は6 armee
            と共にスターリングラードで降伏しますが、
            こちらもその後旧名称に戻りました。

            Lkdo Ostは東部戦線拡大の際に中央ロシア
            戦線強化の為に一時的にD.Fliegerkorp
            をRLM直属にしたもので、Luftflotte6
            の前身になりました。

            Lkdo Sudost (南東)は、ギリシアで作戦行動
            を行いました。

            Lkdo West(西風)は、連合軍の侵攻に伴って
            フランスを失った後、Luftflotte Reichに所属
            して西部戦線の担当航空部隊としてLuftflotte
            3から改編されました。1945年には
            Luftflotte6に所属して南西ドイツを担当
            しました。

            また1945年に戦線崩壊を受けて残存部隊
            を再編成しましたが、
            時期から言って殆ど実態を
            伴わなかったと思います。
            

      Luftgau(Lg)               地域支援部隊
            ドイツ国内や占領地域の基地の補給、通信、
            拠点守備、整備、を主任務とする部隊で、
            地域内の基地を総合的に管理していました。
            下部組織として通信部隊、衛生部隊、
            飛行場管理部隊がありました。
            基地管理組織は独立していたので、航空部隊
            が楽に基地間を移動できた訳です。
            Luftgau同士での担当地域変更は頻繁に
            行われていました。

      Fliegerkorps(FK)             航空軍団 
            航空部隊として,最も大きな作戦単位でした。
            LFの下部組織になる場合と、OKL直属の
            場合が有りました。各部隊により機能が
            大きく異なっており、以下の12部隊が存在
            しました。

            I. Fliegerkorps (下図:黄色)
            II Fliegerkorps (橙)
            IV. Fliegerkorps (水色)
            V. Fliegerkorps(黄緑)
             VIII. Fliegerkorps (ピンク)
            IX. Fliegerkorps (赤)
            X. Fliegerkorps(青)
             XI. Fliegerkorps
            XII. Fliegerkorps (緑)
            XIII. Fliegerkorps
            XIV. Fliegerkorps
            Fliegerkorps Tunis (紫)

            Fliegerkorpsは、Luftflotteの
            実打撃力として配属が絶えず変遷しており、。
            下の図に主要FKの配属状況をまとめました。



            
            作り方が下手で、字が小さく読みにくいので補足
            します。縦軸はLFを番号順に並べました。
            横軸の目盛りは月です。帯は各FKがLFに配属されていた
            期間を示します。色が同じ所は同じFKです。
            ちなみに下のJagdkorps1(灰色)と2(茶色)も入れて
            あります。簡略化して作ってあるので、
            月の境目で多少誤差があります。
            
            またFKの他に、Lkd、Fliegerfuhrer、
            Jagdfliegerfuhrer等があったのでこれが
            全戦力ではない事に注意してください。
            これを見ると編成変えが大変多く、LF
            全体が柔軟に編成を変えられる優れた面を
            持っていたように感じます。

            (続く)

 
                                 
      Jagdkorps               戦闘航空軍団
            1943年夏から秋ははLuftwaffeの基本戦略に大きな変化が
            生じた時期で、それまで陸軍と協力した攻撃的性格の強い
            組織であったものが、ドイツ本土を中心とした防空能力の高い
            組織に急速に移行しました。
            その例としてJG3,JG27、JG11等の一部のGruppeが本土防空
            任務の為に前線から引き揚げられ、米空軍の昼間爆撃に対
            する迎撃戦力が強化されたことが有ります。これが1943年8月
            17日のSchweinfurt防空時の成果に結びつきました。更に
            戦闘機の運用を強化する名目で、1943年9月15日に以下の
            二つのKorpsが新設されました。
            下は歴代司令官です(D.Peltzが含まれています。ここで
            Bodenplatteを指揮したわけです。)。

              I.Jagdkorps:
              Luftwaffenbefehlshaber Mitte所属)
                  GenLt Josef Schmid, 15.9.43 - 30.11.44
                  GenLt Joachim-Friedrich Huth,
                              30.11.44 - 26.1.45

                所属する部隊:Jagddivision1,2,3,7 
                後に8,30が追加される。

              II.Jagdkorps:Luftflotte3所属
                  GenLt Werner Junck, 15.9.43 - 30.6.44
                  Gen Alfred Bulowius, 1.7.44 - 15.10.44
                  GenMaj Dietrich Peltz,
                              15.10.44 - 26.1.45
                  GenMaj Karl-Eduard Wilke (acting),
                              12.1.45 - 26.1.45

                所属する部隊:Jagddivision4,5

            同時にJagddivision の増強と再編成が実施されました。
            また南ドイツ地域を担当する3番目のJagdkorpの設立も
            計画されましたが、これは実行されませんでした。
            組織的面では、飛行部隊の他にレーダー情報部隊
            Luftnachrichten-Regimentを含んでいました。

            良く知られるようにこれらの変化はKammhuberの失脚と
            XII Fliegerkorpsの分割に他なりません。
            ここで触れたいのは、この変更によりドイツの本土防空組織
            全体の分断が固定化したことです。
            Luftwaffenbefehlshaber Mitteが創設された時点から
            フランス担当のLuftflotte3との境界で、防空システムが
            途切れることが絶えず問題となっており、Moeldersや
            Milchが、RAFのFighter Commandのような統一組織の
            設立が建議されたのですが、その都度Goeringが拒絶した
            ようです。理由はLF3の司令官であった古参のGenFeldm
            Hugo Sperrleへの遠慮とされています。
            背景は上記の設立の項を見てください。
            (この人は、RAFの公式サイトによると派手好みの面と、
            Battle of Britain の際に目標を飛行場から都市に変更
            することに唯一表立って反対した優れた戦略家の面の両方
            がありました。)

            ともかく1942年5月以降はXII Fliegerkorps
            Jagddivisionを指揮する形式で、統一運用への努力が
            積み重ねられたのですが(実はこの事が1943年6月24日の
            GoeringによるKammhuber叱責事件を引き起こしたのかも
            しれません)、この時点で二つのJagdkorpsに分かれた事で
            境界は再び明瞭化しました。皮肉な事に問題が解消したのは
            1944年8月の連合軍のフランス占領の時点でした。

            両組織は戦局の変化に伴って1945年1月26日に
            解散しました。


      Fliegerdivision            航空師団
            (建設中)

      Jagddivision              戦闘航空師団
            (建設中)

      Geschwadwer (G)          航空団
            Divisionの下に来るのがGです。師団の下ですから
            連隊格で、昔の本には戦闘連隊、爆撃連隊と有った記憶が
            有ります。

            追記:今は航空団と言う日本語でほぼ統一されていますが、
            何かあいまいに感るのは私だけでしょうか?

      お気づきの点があったらご連絡下さい(直)。     
                  

                                
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