Jaegerstab
戦闘機部隊司令部の様につい思ってしまいますが
そうではなく、連合軍による軍需工場爆撃の激化
を受けて、航空次官Milchが提案に基づき1944年
3月1日に設立された戦闘機増産の為の専門組織
です。
航空次官MilchとReichsminister fuer Ruestung
und Kriegsproduktion(軍需大臣)Speerの双方に
下属して、Karl-Otto Sauerが責任者になりました。
主な職務は航空機組み立て、エンジン生産工場
の分散と統一的管理による生産数向上でした。
効果は著しく、1944年9月に単座戦闘機の生産は
約3000機/月に達しました。
この活動の効果で、連合軍の戦略爆撃にも拘らず
ドイツの航空機生産は大きな低下を免れましたが
、1944年5月以降の石油工場の爆撃で交戦能力を
奪われました。
Jaegerstabは一方で弊害も生み、機種削減と従来
機種の増産に力を注いだため、Ta152を始めとする
多くの新型レシプロエンジン機の生産が遅延又は
打ち切りとなりました。
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