Luftwaffe Foundation
by N.Dejima
概観
☆前書き
Luftwaffeの設立は1920年代までさかのぼる事
になります。この時代について興味の有る方は
少ないと思いますが、組織の性質の理解の一助
にして下さい。
☆航空戦力再建の動き
ドイツは1919年のVersailles Treaty
(ベルサイユ条約)により軍隊の所有を禁止され
ましたが、1920年に防衛省の陸軍部隊指令官、
von Seekt大将の命令により、秘密グループが組織
され将来の航空戦力再建に向けての研究が開始
されました。このグループの中には、Felmy、Sperrle、
Wever、Kesselring、Stumpと言った将来の
指導者となる人々が含まれました。
その後、秘密裏に士官の訓練施設がロシアの
Lipetzに設立され1928年から1931年にかけての
卒業生が将来の高級将校となって行きます。
一方民間航空では1926年に国策会社である
Lufthansaが設立され、Erhard Milchが取締役に
就任しました。Lufthansaは欧州第一級の航空
会社に成長しドイツの航空機産業の再興と、
航空スタッフの養成に大きな役割を果たし
ます。@-1
☆RLMの設立と戦力の拡充
政治面では1933年にHitlerが政権を握って
RLM(航空省)が設立され、Goeingが航空大臣
に就任し、Milchは航空次官としてNazi党の
影響力の元で航空省の実権を握ります。
Nazi政権では再軍備と、空軍独立の方針
が選択され、Milchの指導の下で1933年中
に軍用機の試作品の完成、1934年初頭から
量産開始と言う驚くべきペースで計画が進め
られました。更に国防省の組織変更が行われ、
Hitlerが徐々に国防軍全体への直接の影響力
を強めて行きます。
☆空軍の存在の公表
空軍の存在は1935年3月1日に公表され、
GoeringがOb.d.l.
(Oberbefehlshaber der Luftwaffe:CinC)に
就任します。またWeverが
Chef der Generalstabes der Luftwaffe
(空軍参謀長)に就任して、その後の
基礎を作りますが、翌年事故死してしまい
ます。
(余談ですがこの時もう一人候補に上がった
のが、後に機甲戦の名手としてドイツ最高の
名将と言われたErich von Mansteinでした。
歴史を読む時にIFは禁物と言われますが、
この時に別の選択がされていたら?と言うの
はWW2の行く末に影響を与えた知られざる
IFです。)
これ等の事からGoeringはLuftwaffeの設立に
重要な役割を果たしたにしろ、後から入って
政治的に動いた人であったことが分かり
ます。またGoering自身の空軍の課題に対する
無理解と、その後の空軍人事で自分の側近を
重用したことも手伝って、結局1920年代からの
空軍の関係者達とは微妙な関係が生じ、
Luftwaffe上層部のリーダーシップの問題の
伏線になったことは容易に想像されます。
例として下のJagdkorpsの項を見てください。
☆組織上の問題
Milchはその後実務と生産面で腕を奮います
が、性格的に周囲と衝突する人で、Weberの
後任となったKesselring,Stump,Jessoneckと
不仲だったとされています。Goerigも結局Milch
の権力を制限する事を試み、手段として
組織人とは程遠いUdetが1939年2月1日に
Der Generalluftzeugmeisterに就き研究開発
と生産分野で実質責任を負いますが、この事が
機種選定や生産上の大きな問題に繋がって
行くわけです。@-3。RLM参照。
Luftwaffeは矛盾を孕んだ上位組織の下でWW2
に突入せざるを得ず。更に戦争が進むにつれて、
実務面でのHitlerの介入が始まり一層混乱を
深めます。
@-1参考文献1:p1-3
@-2参考文献3:p6
@-3参考文献3:p11-12
お気づきの点があったらご連絡下さい(直)。
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