星のとばり(サンプル)
シュテルンビルトには、ヒーローという職業がある。さして興味のなかったその職業に、よもや自分が就くなど、ニ年前まで
は想像もしなかった。バーナビー・ブルックスJr.は、一年間のヒーローアカデミーでの履修を
経て、昨日付けでアポロンメディアのヒーローになった。なんでも去年、退職したヒーローの後釜らしく、いくら優秀な成績だっ
たとはいえ、異例の速さでのヒーロー就任となったのだ。バーナビーには、やり遂げるべき使命があった。
だからこそ、ヒーローになった。
別にヒーローになんら愛着もないし、目的達成のためには警察関係への
就職でもよかった。けれど、己がNEXTであるということを最大限に利用できるのは、ヒ
ーローだと思ったのだ。要は、それだけの理由だった。そんなバーナビーは、どちらかというと人づきあいが悪く、また仲間意
識がことさら希薄で、それを隠しもしなかったのでヒーロー仲間とは、な
かなか打ち解けることはなかった。KOHだというやたらさわやかな男は、事あるごとにバーナビーを仲間
の輪の中に入れようと四苦八苦しているが、どちらかというと余計なお世
話である。バーナビーは仲間に入れないのではなく、あえて入りたくないのだ。紹
介されたのが約二週間前、話を聞く限りポイントを争う敵…、というかラ
イバルという関係で間違いないだろう。なのに、どうして慣れ合わなくてはいけないのか。
不思議で仕方がない。
他のヒーローたちが集うトレーニングセンターでも、バーナビーは無
言でもくもくと毎日の課題をこなし、それを済ますといつのまにか姿を
消していた。「バーナビーって、ほんと無愛想よね」
「きっと、まだ慣れてないんだよ。長い目でみてあげなくてはね」
不満そうに、気の強そうなピンクの唇を尖らせた少女に、KOHのキ
ス――、ポセイドンラインのヒーロー、スカイハイが取り持つように彼
を庇った。「そうかしら、そうは見えないけど」
まだ高校生のカリーナも、もとは歌手になる足掛かりとしてヒーロー
への道を選んだ。けれど今は、自分がヒーローであることを誇りに思っ
ている。「でもねぇ実際、会社の看板を背負ってポイントを争う以上、ただ慣れ
合うのをよしとしないっていうのは、わからないでもないわよ」プリプリと怒る女子高生をいささか持て余しているキースに助け舟を
出したのはヘリオスエナジーのオーナー兼、ヒーローでもあるファイア
ーエンブレム、ネイサン・シーモアであった。「そういうのと、アイツの態度は別物だと思うけど」
彼女にしてみれば、気に入らないのはなにもバーナビーの態度だけで
はなかった。なにより、彼がアポロンメディアのヒーローであるというのが、無条
件で気に入らないだけなのだ。むろん、これは彼女の心情がもたらすお門違いな憤りであったのだが。
そのことを少なからず感じたネイサンは、あえて彼女をそれ以上諌め
るような真似はせず、ただその癇癪が収まるのを待つことにした。「単純に能力という点では、むしろアイツよりかなり優秀なんだけどな」
そんな時、ちょっと空気を読めない大男が、タオルで顔を拭きながら
笑顔で話に参加してきた。ロックバイソンこと、アントニオである。
直後、ネイサンに鋭い肘鉄を食らって、オットセイのような呻き声を
あげてうずくまった。「……私、アイツのこと仲間だとは思えないから」
なにか言い返そうとして、けれど、それをねじ伏せるように飲み込ん
だカリーナは、ぽつりと小さく呟いて踵を返した。「お、おま…っ!なにを」
「アンタには乙女心がわからないのっ?」
いまだに立ち上がれないアントニオは、ネイサンの言葉に眉尻を下げ
て、とてつもなく情けない顔になる。――わかるはずもない。
今日はヒーローの出動もなくて、デスクワークが思ったよりはかどっ
た。退社の時間までまだ一時間ほどあるけれど、とは言え、わざわざ今
からトレーニングセンターに行く気にもなれない。最近は、周囲の雑音がますます煩わしく感じて、もっぱら己に課した
ノルマのトレーニングは、午前中に行う事にしていた。出社してすぐな
ら、さすがにトレーニングルームにも人がほとんどいないからだ。相変わらず構おうとしてくるスカイハイやファイアーエンブレムを避
ける為と、なぜか目の敵のように睨みつけてくるブルーローズの攻撃的
な視線から逃れるためである。確かに友好的な関係を築こうとしなかったのはこっちだが、あんな否
定的な目を向けられることはしていないはずだ。まったくもって、不可
解だ。だから人間関係はうっとうしい――。
バーナビーが、ヒーロー仲間との亀裂をますます深めている頃、アポ
ロンメディアのヒーロー部門のスポンサーだという人物の接待を、会社
から
持ちかけられた。何しろ、ヒーローというのは維持費、スーツ開発費など結構バカにな
らない金が動く。むろんそれは会社の経費だけではまかなえず、どのヒ
ーローにも大抵スポンサーがつくのが普通である。社名のロゴをスーツに入れたり、そのほかにもCMに出たり、キャンペ
ーンに駆り出されたりと、ヒーローはヒーローだけやっていればいいとい
うものではないのだ。会社内やヒーローの仲間内で素気無く対人関係を拒んできた彼も、さす
がにこの申し出を断ることはできなかった。バーナビーがヒーローになって約二カ月とちょっと。
その間彼は、確実な犯人逮捕とTVアピールをこなし、大量のポイント
を稼いできた。人命救助や、補助によるポイントが著しく少ないが、新人
ヒーローとしては快挙といえる。どうやら、それを労って席を設けてくれたというのだ。――迷惑甚だ
しい。「今日はよく来てくれたね」
むろん、バーナビーはそれを表に出すほどバカではないので、店の
前で出迎えてくれた彼に、営業スマイルでにこやかにあいさつをした。ここはゴールドステージの高級ネオン街にある、とある上品なお店。
今日招待してくれたスポンサーが、いくつか経営するバーの一つである。すぐにVIPルームに通されて、やがて綺麗な女性が二人、食事と飲
み物を運び込んできた。さすがは上流階級を相手にするだけあって、彼
女たちの仕草は上品かつ優雅で指の先までソツがなく洗練されている。この店は、本来カクテルやおしゃれなお酒を楽しむところで食事をす
るところではないのだが、彼がバーナビーをもてなす為にわざわざ他で
経営するフランス料理店から運ばせたらしい。「失礼します」
丁度、食べ物の配置が終わった頃、扉を叩いてもう一人の人物が入室
してきた。手には高級そうなワインのかごを持っている。
スラリとした、それでいて鍛えられたような長身の、夜のような黒髪
の男だった。少し長めのその髪を、肩のあたりで一つにまとめている。無駄のない綺麗な体つきだったが、その仕草はどちらかというと無骨
な印象を覚えた。先程までの躾の行き届いた上品な女性たちとは、なん
だか醸し出す空気が違うように感じたのだ。バーナビーの視線に気がついたのか、ふっと彼と視線が重なった。
やけに印象的な、琥珀色の瞳――。
まっすぐ向かってくるその視線に、珍しくバーナビーはたじろいだよう
に視線を泳がせた。そしてすぐに、なんで自分が目を逸らさなければいけ
ないのだ、と思い直して再び視線を戻すと、既に彼はテーブルにワインを
置いてオーナーと何やら話していた。なんとなく落ち着かない気分になって、バーナビーは少し不機嫌そうな
顔になってしまう。二人の視線が、同時にこちらを向いた。
てっきり酒を運んできただけのウェイターだと思っていた彼に、オーナ
ーはやけに親しげにその肩を抱いてバーナビーの方へ向き直った。「こちらは鏑木虎徹君、この店の店長兼、オーナーだよ」
「ちょっ…、その話は断ったはず…」
紹介の文句が気に入らなかったのか、鏑木虎徹と紹介された彼は、現
オーナーである男に食ってかかっている。けれどそれを軽くあしらって、
続いてバーナビーに手のひらを向けた。「そして、こちらは君の後任のヒーロー、バーナビー・ブルックスJr.君
だよ」さりげなく付け加えられたその言葉に、同時に二人が固まった。
ゆっくりとお互いの視線が合わさる。
瞬きさえも忘れたように、たっぷりと一分は凍りついたように凝視して
いたかもしれない。
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