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やさしい兎狩り1

「昨日、うさぎの夢を見たんだ」
 いきなり、虎徹がそう呟いた。
 PCの前でまったくキーボードにも触れず、ただぼんやりして例によってロクに仕事をしてい
ない様子だ。
 ヒーローとはいえ、普段はデスクワークが仕事である。
 社員なんだからちゃんと仕事をしなければならないが、ヒーローでなかったらおそらく虎徹は
とっくにクビになっているだろう。
 一瞬、バーナビーが相方にちらりと視線を向けたが、すぐにカタカタとキーボードを叩き始めた。
「昨日、うさぎの……」
「何度も言わなくて結構です」
「聞こえてたんなら、返事くらいしろよ」
「……うさぎがどうかしたんですか?」
 仕方がなさそうに、バーナビーが答える。
「だから、うさぎの夢を…、ん?いや、違うな、俺がうさぎになった夢か?」
「……」
「その顔はなによ」
 盛大な溜息をついて、今度こそパソコンに向き直ったバーナビーは、虎徹のくだらない話につ
きあっていられないとばかりに仕事を再開した。
 誰がオジサンのうさぎ話など聞きたいものか。
 意味を聞くのもばかばかしい。
 これ以上つついても話に乗ってこないバーナビーを諦めて、虎徹もPCの電源を入れた。
 けれど、頭がついていかない。
 書類に目を落しつつも、数分ごとに指が止まる。
 いつも以上に集中力がない。
 ふと気がつくと違うことを考えていることに気がつくのだ。
 夢のことが、頭からはなれない。
 さっきは「自分がうさぎになった夢」といったものの、厳密には違う。
 遠くから見ているような感覚なのだ。
 寂しそうなうさぎが何もない空間にぽつん、とうずくまっている様子がなんとも孤独で可哀そ
うだった。
 その気持ちというか意識が、自分と同化しているみたいな感覚。
 外側から見ているのに、その痛みや気持ちだけは自分が感じているみたいな。
「あー…、わかんね」
 思わず小さく呟くと、バーナビーが一瞬キーボードを叩く指を止めたが、すぐに何事もなかっ
たように単調な文字を打つ音が再開される。
 むろん虎徹も独り言だったので、更に言葉を重ねることはない。
 再び、小さな沈黙が落ちる。
 だめだ、こりゃ。
 どうしても仕事に打ち込める気分じゃなくて、虎徹は立ち上がった。
「トレーニングルーム、先いってるわ」
 バーナビーの返事もきかず、虎徹はさっさとPCの電源を落して席を立つ。
 いやみでも言われるかと思ったが、先程と同じように数秒間キーボードの音が止まっただけだ
った。
 背中に視線を感じた気がしたが、そのまま振りかえらずに部屋を出た。
 さすがの虎徹も、こんなもやもやした気分の時に相棒の刺々しいいやみを聞く気にはなれなか
ったからである。
「う……、なんか気持ち悪くなってきた」
 ところが廊下に出ると、またしても胸がうずくような、ヒリヒリするような変な感覚に襲われる。
 夢で感じたのと、似ている。
 いったいなんなんだ。
 結局すぐにトレーニングルームに入らずに、その手前にある自販機の前のベンチに腰掛けた。
 どうにもムカムカとせり上がる様な不快感に手に持ったコーヒーを横に置くと、自分の膝に頭
を押しこむようにしてうずくまった。
「おじさん?どうかしたんですか」
 どのくらい時間がたっただろうか、頭上からの声に虎徹は慌てて頭を上げる。
「ん?ああ、バニー。仕事はもういいのか?」
 すっかりトレーニング用のシャツに着替えたバーナビーが、少しだけ心配そうに虎徹を伺って
いたが、すぐに気を取り直したようにいつもの澄ました顔になって顎を上げた。
「僕はちゃんと終わらせてきましたよ」
「そりゃ、どうも。ん?バニーちゃんも飲むの?」
 自分のコーヒーがすっかり冷えていることに気がつき、もう一度自販機の前に立った虎徹はそ
のまま立ち去ろうとしないバーナビーに視線を向けた。
 すこし迷ったようなそぶりを見せたバーナビーに、返事もきかずさっさと熱いコーヒーを手渡
すと無言のまま自分の分を淹れ直した。
 またお節介とかいわれるかな、と思ったら手渡されたコーヒーをじっとみて、
「あ…、ありがとうございます」
 と小さく答えた。
 最近はバーナビーも大分打ち解けてきたと思う。
 もちろん刺々しい応対も今だ健在で、傷つきやすいオジサンのハートをときどき木っ端みじん
に打ち砕いてくれるけど。
 それでも、少なくとも虎徹が示す好意をあまり無碍にはしなくなった。
 ……ような気がする。
 二人は何も言わず、ただ並んでコーヒーを飲んでいた。
 先程までの不快感が、すこし良くなったような気がした。
 ジリジリするような焦燥感がうそのように薄らいていったのだ。
「お?ちょっとましになったかな?」
 虎徹が、胸のあたりを押さえた手をぽんぽんと叩くのを見て、バーナビーはふと眉をひそめた。
「どうかしたんですか?そういえば、さっき具合が悪そうでしたけど」
「ん?いや…、別に」
 なんでもない、と言おうとして瞬時にバーナビーの鋭い視線に遮られた。
「さ、さっきな、ちょっと気持ち悪かったんだよ、もう治った」
「ちょっ、コーヒーなんか飲んだら悪化するんじゃ」
 虎徹の言葉に思わずバーナビーが目を剥いた。
 普通、気分が悪い時にコーヒーを飲むなど非常識だろうと言いたかったが、虎徹はいつもの緩
い笑顔で得意げに親指を立てる。
「それが、すっきりと治っちまったみたいだ」
 一瞬のうちに、心配と、怒りと、呆れ、を順に表情に乗せたバーナビーは、最後に大きな溜息
をついてゆっくりと首を振った。
「そうですか、さすがですね……」
「だろー!俺は頑丈なのが取り柄だからな」
 バーナビーの言葉を額面通りに受け取った虎徹は、それはもう自慢げに満面の笑顔で頷いのだ
った。


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